金沢大学(金大)は10月3日、鋭利な針を用いて、表面上の1個の分子を原子の大きさ分だけ動かす時に生じる「動摩擦」の謎を解明したことを発表した。
同成果は、金大 理工研究域 数物科学系の岡林則夫助教を中心に、海外の研究者も参加した国際共同研究チームによるもの。詳細は2本の論文にまとめられ、1本は米国物理学会(APS)が刊行する機関学術誌「Physical Review Letters」に、もう1本はAPSが刊行する物性物理とその関連分野全般を扱う学術誌「Physical Review B」に掲載された。
もし摩擦がなかったら、我々は歩くことはもちろん、まともに立っていることさえできないだろう。床など平らな面に置いてある物体は滑ることをやめず、自動車のタイヤも空転するばかり。まさに摩擦は我々が生きていくために必須の物理現象の1つといえる。
摩擦とは、物理学的には2つの物体がこすれ合う時に生じるエネルギーの散逸を伴う現象のことをいう。身近な物理現象であり、数百年以上も研究が続けられているにも関わらず、その詳細についてはいまだに完全には理解できていないという。その背景には、さまざまなスケールでの相互作用が複合的に寄与することが影響しており、摩擦への理解を深めるためには、物体間の接点の正確な把握が何よりも重要になるとする。
そうした中、近年のプローブ顕微鏡の発明と発展は、その問題を克服しつつあるという。たとえば、清浄な表面上に孤立して吸着した1個の分子を、プローブ顕微鏡の鋭利な探針を用いて自在に動かせるようになり、その分子を動かすために必要な「静止摩擦力」も測定できるようになったとする。しかし、分子を動かす際の動的過程や、その時に生じるエネルギー散逸、それに関連する動摩擦力についての議論は、測定の難しさとそれを解釈するために必要な第一原理計算の難しさから、これまで取り扱われてこなかったのである。
そこで研究チームは今回、プローブ顕微鏡の探針を用いて、清浄な銅表面上の1個の一酸化炭素(CO)分子を動かす過程に着目。そして、トンネル電流を用いた振動分光で表面に吸着した分子の状態について、原子間力顕微鏡を用いた分子のイメージングによって、探針先端の構造を把握したという。また、探針と分子との間の相互作用によって引き起こされる分子の吸着状態の変化と、それに伴って生じるエネルギー散逸を、原子間力顕微鏡を用いて測定したとしている。
研究ではまず、探針によるCO分子の吸着状態の変化が調べられた。探針を遠くから表面上の分子に近づけると、探針と分子の間の引力により原子間力顕微鏡のカンチレバーの共鳴周波数が徐々に減少し、距離が160pm(ピコメートル)になるとその量が増加へと転じたという。
その後さらに探針を近づけると、あるところで周波数変化が急激に減少する。この急激な変化は、トンネル電流を用いた振動分光ならびに第一原理計算により、CO分子の吸着位置が銅原子直上のトップサイトの位置から、銅原子同士の間のブリッジサイトに変わったことに対応することが見出された。また、振動する探針をCO分子の近傍に近づけると、探針の振動に同期してトップサイトとブリッジサイトの間で吸着状態のスイッチングが起き、その度にエネルギーの散逸が生じることを解明したとする。
また、このようなブリッジサイトでの分子の吸着を考慮に入れることで、探針を表面に対して水平な方向に動かす時に引き起こされる分子の移動の動的過程が理解できることも判明したとのことだ。
探針がトップサイトにいる時、CO分子はトップサイトに吸着しているが、探針が隣のトップサイトに近づいてある位置までくると、トップサイトでのエネルギーとブリッジサイトでのエネルギーが交差し、トップサイトからブリッジサイトへの分子の移動が起き、引き続いてエネルギーの低い隣のトップサイトへの移動が起きるのである。
これらに加え、隣り合うトップサイト同士の間のある点におけるトップサイトでのポテンシャルの傾きが、静止摩擦力(分子を動かすために必要な力)に対応することも確認された。また、ブリッジサイトにおけるポテンシャルと隣のトップサイトにおけるエネルギー差がエネルギー散逸に対応し、そのエネルギー散逸を分子操作における探針の移動距離で割ったものが、動摩擦力に対応することが明らかになったという。
今回の研究により、表面上で1個の分子を探針により動かすという、摩擦を調べる上で理想となる研究対象において、静止摩擦力や動摩擦力は一体どのようなものであるのかが突き止められた。研究チームによると今回の研究は、摩擦の発現過程を曖昧さなく解明したという点が特徴であり、その強みを活かし、電子正孔対やフォノンの生成といった、エネルギー散逸における緩和過程まで含めた研究への展開が期待されるとしている。