ヴイエムウェアは4月12日、日本法人が設立20周年を迎えるにあたり、記者説明会を開催した。米国VMwareも創立25周年を迎え、今年は同社にとってメモリアルな一年となる。説明会では、初めに代表取締役社長の山中直氏がこれまでの同社の歩みを第4章に分けて振り返った。

  • ヴイエムウェア 代表取締役社長 山中直氏

第1章は、同社の名を世に知らしめた「サーバ/デスクトップ仮想化」だ。山中氏は「仮想化が怪しいと捉えられた時代もあった」と当時を振り返った。サーバを仮想化したことで、サーバの自由化が実現し、その後、仮想化の波がストレージ、ネットワークなど、他のインフラに押し寄せた。

山中氏は、第2章となる「Software-Defined Data Center」について、「ストレージ、ネットワークを仮想化・抽象化したことで、データセンターをすべて仮想化し、われわれはハードウェアの選択の自由を提供した」と説明した。

第3章は「ハイブリッドクラウド/マルチクラウド」となる。同社は2016年に、マルチクラウド向けのプラットフォームとして「VMware Cloud Foundation」を発表。これにより、「サイロを取り払い、クラウドの選択の自由を提供した」と、山中氏は述べた。

そして今、「新たな章」を迎えている。昨年、米VMware CEO(最高経営責任者)のラグー・ラグラム氏が「クラウドカオスの状態をクラウドスマートにすることが必要」というメッセージを出した。「Cloud Smart」を実現するため、同社は新たな製品の開発を進めている。

山中氏は、このように同社のビジネスを振り返ったうえで、「われわれはこれまでITサイロができるたびに、抽象化によって解消し、ユーザーに主権を渡してきた。これは、今後も変わらないバリューポジション」と語った。

  • ヴイエムウェアのビジネスの歩み

さらに、山中氏は「Tech for Good」「People Joins Communities, Not Companies」を大事にしているとして、後者について詳しく説明した。「People Joins Communities, Not Companies」とは、人は会社に属しているのではなく、互いが尊重し合いながら共に働くコミュニティに属しているという意味を持つ。同氏は、「日本の社会にどうつながっていくかということを、アイデンティティととらえており、コミュニティを作っている」と話した。

山中氏は具体的な取り組みとして、「sweet heart project」と「VMware Sakura」を紹介した。

「sweet heart project」は、福祉施設のお菓子作りを応援しているプロジェクトだ。同社は同プロジェクトで作ったお菓子を顧客などに贈っている。お菓子を渡すときに、同プロジェクトのエピソードを渡すことで、よいアイデンティティが生まれているという。

「VMware Sakura」は、様々な事情で離職した女性の再就職を無償で支援するプログラムだ。3つのコースが用意されており、IT未経験の人に向けたコースも用意されている。昨年10月からスタートし、受講生は既に80名に達しているそうだ。山中氏は、「最終段階として、パートナー企業やユーザー企業のIT部門に採用してもらうことで、卒業生の可能性を広げていきたい」と述べた。

  • 「People Joins Communities, Not Companies」の取り組み

さらに、山中氏は今後注力するテーマとして、「エッジ」を紹介した。「AIやIoTによってOTもつながってくるため、CIOもいよいよOTまで見なくてはならなくなってきた」として、エッジに関しても「物理分散×論理統合」の世界を展開していくことをアピールした。

続いて、アイ・ティ・アール シニア・アナリスト 入谷光浩氏が、1980年代から現在に至るまでITインフラの動向を振り返った。同氏は、「サーバ仮想化はITインフラの革命だった。仮想化によって、エンジニアは自由を手にした」と述べた。2000年に入ってクラウドの時代に移っていくが、東日本大震災の時に「オンプレベースのインフラでいいのかという議論が出た」と、クラウド移行のブレイクポイントについて語った。

さらに、プライベートクラウド、パブリッククラウドパブの導入が本格化し、新型コロナウイルスの登場により、クラウドファーストが加速した。現在は、エッジの注目度が高まっているという。「今後、エッジによって産業のデジタルインフラを作っていくことになり、エッジはこれからITインフラの世界で大きなテーマになっていく」(入谷氏)

  • アイ・ティ・アール シニア・アナリスト 入谷光浩氏

さらに、パートナー技術本部 本部長 名倉丈雄氏が米国VMwareの歩みを振り返った。米国VMwareは1998年に生まれた。最初の製品は複数のOSを仮想化して利用できるようにする「Workstation 1.0」で、開発者や大学で導入が広がったという。先に、山中氏が、当初は日本で仮想化がすんなり受け入れられなかったと語ったと紹介したが、名倉氏によると、海外でも最初は同様の状況だったという。

  • ヴイエムウェア パートナー技術本部 本部長 名倉丈雄氏

そして、2003年7月に日本法人を設立。名倉氏は、「当時、戦うべきものは顧客のマインドだった」と語っていた。同氏もまた東日本大震災を引き合いに出し、「データセンターが被害に遭ったが、最初に復帰したのが仮想化されたインフラだった。物理インフラは復帰に1週間かかった、ここから、仮想化のメリットが浸透していったと思っている」と語った。

同社の仮想化技術は、サーバに始まり、デスクトップ、ストレージ、ネットワークに広がっていったが、名倉氏は「インフラを抽象化して、顧客にメリットを提供し、会社を存続してきた。最終的に、クラウドとエンドポイント(エッジ、ワークステーション)、インフラすべてを抽象化する。われわれの考えていることは変わっていない」と話し、締めくくった。