2022年11月24日に、文部科学省傘下の科学技術振興機構(JST)は理事長記者会見を開催し、「11月17日から研究開発マネージャー(仮称)という新しい人材の公募を始めた」と、橋本和仁理事長が公表したが、その中で研究開発マネージャーの具体人物像として、以前、科学技術振興機構(JST)の職員を務めていた石田秋生氏と石井哲也氏の2名を取り上げ、そのサポート実績の説明を行った。
JST職員だった石田秋生氏は、2014年に「高輝度青色発光ダイードの発明」でノーベル物理学賞を受賞した名古屋大学工学部の赤崎勇教授の研究開発成果の事業化を推進した担当者だ。石田氏は1977年に、新技術開発事業団(JSTの前身機関)に入り、「1985年当時に名古屋大工学部で青色発光ダイオードの研究開発を進めていた赤崎教授と出会って、この青色発光ダイオードの研究開発内容にほれ込み、その事業化の産学連携推進を薦めた」という。
この時に、赤崎教授は「事業化を目指すと、その産学連携の相手となる企業との産学連携活動によって、研究開発時間を削られるのは困る」と答えて、産学連携にはあまり乗り気ではならなかったと、石田氏は2014年に赤崎教授と天野浩教授がノーベル物理学賞を受賞後、開催されたJSTの説明会・講演会にて当時の様子を説明している。
また、1987年から赤崎教授の研究成果を基に、産学連携の相手企業である豊田合成が事業化を始める際にも、「当時の豊田合成はプラスチック製品の成形事業が主体の企業だったので、社内には物理学や電子物性の担当者がいない」という実情を赤崎教授に伝えると、「産学連携活動内で必要な技術者を育成する」と、赤崎教授が答えた経緯を語っている。実際に、豊田合成は物理学や電子・半導体専攻の学生などを、この当時に新規採用し、青色発光ダイオードの事業化を推進した。豊田合成社内での“飛び地の新規事業”として人材育成から始めた経緯を解説している。
赤崎教授と天野教授がノーベル物理学賞を受賞した2014年当時は、石田氏はJST研究プロジェクト推進部の上席主任調査員だったという。石田氏は2014年12月にノーベル物理学賞の受賞をサポートする文科省・JSTのスタッフの1人として、スウェーデンに派遣されている。
一方の石井氏については、「2012年のノーベル医学・生理学賞を受賞した京都大学の山中伸弥 教授・iPS細胞研究所所長の研究開発・産学連携を強烈に支援したのは、石井哲也氏だった」と、JSTでは説明している。
2010年4月に、山中教授はiPS細胞研究所(CiRA)を設立してiPS細胞の研究開発を進めており、多忙を極めていた。この2010年4月より前に、JSTは石井哲也氏(当時はJST課長補佐)を長期派遣し、多忙を極めていた山中教授をサポートさせたという。
iPS細胞研究所の立ち上げによって、研究開発そのものが滞り始めていた当時、「石井氏は(山中教授の右腕の)フェローとして、研究開発費の獲得や研究開発のルール策定、京大外部との研究開発の連携、論文投稿支援などと多彩な研究開発支援を進め、iPS細胞研究所の研究開発体制の構築を強力に進めたという。
この結果、石井氏は「iPS細胞研究の研究開発を加速させ、iPS細胞の臨床応用の発展の礎を築いたと語っていた」という。
なお、石井氏は現在、京大から北海道大学 安全衛生本部の教授に転籍され、バイオテクノロジーの倫理的、法的、社会的観点からの分析を通じて生命倫理などを研究されているという。