東京大学 生産技術研究所(東大 生研)は、コンピュータシミュレーションと機械学習を組み合わせることで、気象庁が発表している33時間先までの気象予報データから導き出される天気予報と同程度の信頼性を確保しつつ、放射性物質の拡散方向を予測できるコンピュータシミュレーション技術を開発したと発表した。

同成果は、東大 生研の吉兼隆生 特任講師ならびに同 芳村圭 准教授によるもの。詳細は、オープンアクセスの科学誌「Scientific Reports」に掲載された

コンピュータシミュレーションと原発事故の関係

2011年3月11日に発生した東日本大震災に端を発する福島第一電子力発電所の事故では、コンピュータシミュレーションを利用した「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)」が、放射性物質の拡散予測に関する解析を行なっていたものの、その情報を活用することができず、2014年10月に原子力規制委員会は、「福島第一原子力発電所事故の教訓として、原子力災害発生時に、いつどの程度の放出があるか等を把握すること及び気象予測の持つ不確かさを排除することはいずれも不可能であることから、SPEEDI による計算結果に基づいて防護措置の判断を行うことは被ばくのリスクを高めかねないとの判断によるものである(原文ママ)」との理由から、SPEEDIの計算結果を使用しないという方針が打ち出された。

これは、シミュレーションの結果だけを見ても、その信頼性を客観的に判断できない、ということであるが、一方、東京電力福島電子力発電所における事故調査・検証委員会は、「原子力センターは、翌12日から同センターが行ったモニタリング計画策定の参考として使用したが、その他の組織は、単位量放出を仮定した定時計算は実際の放射線量を示すものではない等の理由から、具体的な措置の検討には活用しなかったし、また、それを公表するという発想もなかった。しかし、定時計算の結果は、前記のとおり、放射性物質の拡散方向や相対的分布量を予測するものであることから、少なくとも、避難の方向を判断するためには有用なものであった(原文ママ)」と中間報告書で指摘しており、シミュレーションが事前の拡散方向の把握や、それに基づく避難などの適切な防護措置の実施につなげられると指摘していた。

シミュレーションで拡散方向を天気予報並みの精度で予測

こうした背景を受けて今回、研究チームでは、常に変化していく風向きや風の強さに応じて、放出された放射性物質がどこに輸送されていくのか、といったことを低気圧や季節風といったある程度決まった天気のパターンから拡散方向を予測し、機械学習と組み合わせることで信頼に足る予測情報とすることができるのか、といった研究を行ったという。

  • 物質は風上から風下に拡散していく、という前提

    物質は風上から風下に拡散していく、という前提をもとに、天気のパターンを利用して拡散方向を予測した

具体的には、風が広範囲に一様で一定期間継続する状況においては、物質は放出源より風下側の方向に輸送され、風上側には輸送される(放射性物質も同様)という基本法則をもとに、低気圧や季節風など天気状況が支配的になると、風が吹く方向が一方向になりやすく、拡散(飛散)した物質の分布には大きな偏りが生じることとなることを踏まえ、天気状況と拡散方向(大気中の放射性物質の濃度分布の偏り)の関係が明瞭であれば、天気パターンから拡散方向が推定できるようになるとする一方で、コンピュータシミュレーションの予測の不確実性を考慮して、拡散される方向については、放出源を中心に「南東」「南西」「北東」「北西」の4つに分けて、風と拡散方向の関係性についての調査を行なったほか、拡散方向の予測情報の精度について機械学習を用いて検証を行ったとする。

  • 機械学習による拡散方向の予測精度向上を実施

    機械学習による拡散方向の予測精度向上を実施。具体的には、問題(地上風データ)と正解(定義した拡散方向)をセットで学習させ、パターンを認識させた。ちなみにこの学習は、1台のノートPCで実施されたという

  • 機械学習による予測の正解/不正解の結果

    機械学習による予測の正解/不正解の結果。グレー部分がシミュレーションから算出された拡散方向。黒い四角が機械学習の予測が正解したもの、白い四角が機械学習の予測が不正解であったもの。NOIの部分は広範囲に分布した場合

放射性物質として選ばれたのは131I(ヨウ素131)で、学習のための期間は2009年から2013年(ただし2011年はテスト期間として用いため、実質4年間)。気象庁が提供する地上風(地表付近の風)解析値を入力データとして活用(5kmメッシュ。1日あたり3時間ごとのデータ)。それに対する正解データとしては、コンピュータシミュレーションで得た131Iの拡散方向を採用して、学習を実施。この結果、月ごとの拡散方向の的中率は85%以上(5年間平均の値)と、地上風と拡散方向の関係性が高いことが示されたほか、気象庁が提供している5kmメッシュの気象予報の33時間先までの詳細予報(2018年7月時点では39時間)を適用した拡散方向の推論においても、全体で77%以上の的中率で予測することに成功したという。この値は、気象庁が日々、夕方に発表している翌日の降水の有無の予報的中率とほぼ同じで、天気予報並みの精度で、拡散方向を予測できるようになったと研究チームでは説明している。

  • 機械学習によって予測された拡散方向の各月の的中率

    機械学習によって予測された拡散方向の各月の的中率(5年平均値との比較)。冬季の方が高く、夏場の方が低くなっているが、概ね8割程度の精度を達成した、

  • 気象庁の地上風予報データをもとに33時間後までの拡散方向予測の的中率

    気象庁の地上風予報データをもとに33時間後までの拡散方向予測の的中率。7月の27時間後がもっとも低く77%となっており、それ以外の月・時間帯の中には9割を軽く越す的中率の月・時間帯もある

ただし、予測精度としては、偏西風などの影響が出やすい冬季と比較して、台風の影響で天気がパターン化しにくい夏季は下がっており、これについて吉兼 特任講師は台風などの稀な減少がパターン化されておらず、機械学習でも認識が難しいことが要因の1つと説明する。

放射性物質以外の物質の拡散予測にも活用可能

また同氏は、「こうした取り組みがそのまま避難措置に活用できるかというと、現地の方々の心理的な問題や社会的な問題も考慮する必要があり、難しいところがある」とするほか、「完璧な予測は不可能であり、人命にも関わることなので、公開を控えるべきか否かという科学者側もジレンマを抱えることとなる」と、センシティブな問題を扱う難しさがあると説明。加えて、「ただし、現代社会において、その人や機関が公開をしなくても、海外を含め、ほかの誰かが情報を公開する。そうなれば非公開にした、という理由から疑心暗鬼を招きかねない。そうした現状を踏まえれば、もはや情報が不確実だから非公開にするは許される時代ではない。だからこそ、公開するのであれば、少なくとも、シミュレーションによる予測の不確実性に対する十分な説明が不可欠となる」と今回の研究の意義を語った。

なお、今回の研究は、文部科学省委託事業戦略的創造研究推進事業(CREST)、研究領域「持続可能な水利用を実現する革新的な技術とシステム」、研究課題「安全で持続可能な水利用のための放射性物質移流拡散シミュレータの開発」の成果の一部であり、研究そのものはすでに終了しているとのことで、今後の研究をどのように進めていく、という話は今のところはないという。仮に、研究が進められれば、予測精度のさらなる向上であったり、拡散方向の細分化、距離ごとの飛散濃度の変化、などにつながることが期待されるとしているが、今後については、今回開発された技術を、避難ルートの計画策定といったリスク管理への活用などにつなげていければとするほか、プラント事故での化学物質の拡散予測や火山灰の予報(降灰予報)といった分野にも応用ができるとしており、そういった分野での活用に興味を持ってくれる自治体や企業などが居れば、学習に必要なノウハウの伝授などを行なっていきたいとしていた。