理化学研究所(理研)は5月29日、記憶痕跡細胞同士のつながりを強めるシナプス増強がなくても、記憶が神経細胞群の回路に蓄えられていることを発見したと発表した。
同成果は理研脳科学総合研究センター 理研-MIT神経回路遺伝学研究センターの利根川進 センター長らの研究チームによるもので、5月28日付けの米科学誌「Science」オンライン版に掲載された。
記憶は記憶痕跡とよばれる神経細胞群とそれらのつながりに蓄えられると考えられている。これまでは記憶が長期的に保存されるには記憶痕跡細胞同士のつながりを強めるシナプス増強という過程が不可欠であるとされていた。動物実験では、シナプス増強を阻害すると過去のことを思い出せない状態になることが報告されている。しかし、記憶の固定化プロセスの中で、記憶痕跡を形成する神経細胞群そのものにどのような変化が起きているかはわかっていなかった。
今回の研究では、光遺伝学という技術を用い、シナプス増強が起こらないような条件下でマウスの記憶痕跡を操作して、記憶痕跡自体の変化を調査した。
実験ではマウスを小箱Aに入れた後、小箱Bに入れ電気刺激を与え小箱Bが怖いということを記憶させ、直後にシナプス増強を阻害する薬を与えた。通常では次の日にマウスを小箱Bに入れると怖い体験を思い出してすくむが、シナプス増強が阻害されているマウスは小箱Bに入れてもすくまず、小箱Bの体験の記憶を喪失していた。
さらに次の日では、同じマウスを小箱Aに入れた。小箱Aでは怖い体験をしていないので、通常では特に何も反応を示さないが、実験で用いたマウスの小箱Bでの怖い体験に対応する記憶痕跡細胞群を光を照射して人工的に活性化すると、小箱Bの記憶を思い出してすくんだ。これは、シナプス増強がない場合でも、怖い体験の記憶が記憶痕跡細胞群の中に、直接保存されていることを意味している。
また、周囲の環境とそこでの怖い体験を結びつける記憶は、海馬から扁桃体へと伝わる回路の活動に依存することが知られているが、シナプス増強が起きないマウスでも、海馬と扁桃体の間の記憶痕跡細胞同士のつながりは強まっていることもわかった。これは、シナプス増強によらない記憶痕跡細胞同士のつながりの強化によって、記憶が安定的に蓄えられていることを示唆している。
今回の結果について利根川教授は「シナプス増強というプロセスはおそらく、記憶が形成されるごく初期の段階には重要な役割を果たしているが、すでに保存された記憶を維持するための基本メカニズムではなさそうだ。しかし、自然な手がかりから効率よく記憶痕跡を活性化し、過去の体験を細部まで思い出すには、シナプス増強が不可欠なのかも知れない」とコメントしている。