海外でも有名な日本人作家は誰?

日本の小説にも、翻訳され世界中で読まれている作品は多くあります。かつては谷崎潤一郎やノーベル文学賞を受賞した川端康成などの純文学が中心でしたが、村上春樹が登場してから、海外での受容のされ方は大きく変化しています。

そこで今回は、日本在住の外国人20名に「海外でも有名な日本人作家は誰?」という質問をしてみました。

■村上春樹は最も人気がある作家だと思います。(ロシア/20代後半/女性)
■村上春樹を読むのが夢です。私はまだ読んでいないのですが、スウェーデン人の友達のほとんどは読んでいますよ。(スウェーデン/40代後半/女性)
■村上春樹でしょうかね。(韓国/40代後半/男性)
■村上春樹さんですね。(インドネシア/30代後半/男性)
■村上春樹(ベトナム/30代前半/女性)
■村上春樹(トルコ/20代後半/女性)
■村上春樹(イギリス/40代後半/男性)
■村上春樹(ドイツ/30代後半/男性)
■村上春樹(スペイン/30代後半/男性)

圧倒的多数を占めた村上春樹は、回答された方がみな40代以下なのが興味深いですね。初めて翻訳された長編小説は1989年に発行された「羊をめぐる冒険(Wild Sheep Chase)」と言われますが、ドイツでは1985年頃に「パン屋再襲撃」などの短編がすでに翻訳されていたのだとか。その短編に続いて刊行された長編「羊をめぐる冒険」でも、ブローティガンらの影響を受けたという氏の平易な文章の調子は残され、「驚くほどアメリカの香りがする日本の小説」として話題になったそうです。

1990年代前半、各国翻訳版は英語版を底本に作成する流れがエージェント経由でできた際は各国でさまざまな論議が起こったようですが、現在は日本語版から独自に翻訳版を作る流れに戻っています。その結果、現実と非現実を行き来する難解な物語ながら、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の韓国版は日本発売から3カ月で発行。タイムラグもかなり縮まっているようです。

■村上春樹、よしもとばなな(イタリア/30代後半/女性)
■村上春樹とよしもとばなな(ポーランド/20代後半/女性)

海外の若い世代に人気の現代日本文学作家ツートップ、という感じでしょうか。よしもとばななの作品では、国内のデビュー時にも大きな話題となった作品「キッチン」が1991年にイタリアで翻訳、刊行されて以降、現在まで多くの作品が30カ国以上で出版されています。1993年には優れた外国文学に与えられるスカンノ賞を受賞、その後もいくつかの海外文学賞を受賞しています。イタリアで非常に人気が高く、ある学術論文では「エキゾチックなアジア文学という枠を越え若者文化の代名詞」と表されているとも描かれています(太田垣聡子「吉本ばなな『N・P』の英語・イタリア語訳比較」)。イタリアの女性が名前をあげているのも頷けますね。

■両方(村上春樹、宮沢賢治)(インドネシア/30代前半/女性)
■川端康成、夏目漱石、村上春樹、宮沢賢治の名前をよく聞きます。(中国/30代前半/女性)

村上春樹を現代文学とすれば宮沢賢治は純文学と括ることができますが、そのどちらも、という回答です。こうした回答をしてくれた方々は、比較的文学が好きな方なのかもしれませんね。ちなみに、中国で村上の小説を翻訳した林少華は、その作品が中国で称賛される理由を「簡潔、明瞭な筆致」であり「ユーモアと叙情性、想像力をかき立てるから」だと評しています(「人民中国」2001年10月号)。純文学が持つ叙情性やある種の湿度を個性として持つ旧来の日本文学があるからこそ、軽やかさを持つ現代文学作品も際立って見えるのかもしれません。

■夏目漱石(シリア/30代前半/男性)
■夏目漱石(オーストラリア/40代前半/男性)
■夏目漱石(アメリカ/30代後半/男性)

ここからは純文学の作家が続きます。「こころ」や「吾輩は猫である」など日本の伝統的な文学として多数の翻訳がある夏目漱石。一般の海外文学好きはもとより、4月には連載開始から100年を記念し「漱石の多様性」をテーマにした国際シンポジウムがアメリカのミシガン大学で行われるなど、文学者の研究対象としても人気が高い作家です。「漱石の描いた人間関係の難しさは全く古びていない。読むたびに新しい発見があり、様々な視点で考えられる」、「作中の"恋は罪悪ですよ"は海外でも有名」などの研究者の発言もあり、日本人の私たちにも発見があります。

ちなみに「吾輩は猫である」の英訳版タイトルは「アイ・アム・ア・キャット」。英語では「我輩」という一人称は表現できないものの、原作の雰囲気はきちんと伝わる名訳となっているのだそうです。

■三島由紀夫や大江健三郎が知られています。(フランス/30代後半/男性)
■三島由紀夫(ブラジル/50代前半/女性)

三島由紀夫は、1960年代にドナルド・キーンらによって翻訳され、ヨーロッパやアメリカなどで読まれるようになりました。また、「真夏の死」や「宴のあと」は、ホルヘ・ルイス・ボルヘスなどが受賞したフォルメントール国際文学賞で第2位になるなど、高い評価を受けています。作品、本人ともに各分野のクリエイターを刺激する要素が強く、ジョージ・ルーカスとフランシス・フォード・コッポラが三島のドキュメンタリーを撮影したほか、アメリカで「午後の曳航(The Sailor Who Fell from Grace with the Sea)」、フランスで「肉体の学校(L'Ecole de la Chair)」が映画化されました。さらにバレエや音楽などのモチーフに利用されることも多々あり、小説だけでなく幅広い形で影響を与えた作家と言えそうです。

■宮沢賢治(ペルー/40代後半/男性)
■川端康成(スリランカ/50代後半/男性)

純文学の作家ですが、文体や雰囲気はまったく異なる印象の2人。宮沢賢治の言葉使いは翻訳家にとって「ひらがなが続くと思うと難しい漢字がばっと出てきて字面が読みにくいし、唐突にエスペラント語や科学用語が出てきて飛躍があるからわかりにくい」(ロジャー・パルバース氏)そう。暗喩や比喩も多いため、翻訳者自身の想像力も不可欠な作家なのでしょうね。

一方の川端康成は、情景を想像させる美しい表現やシンプルな文章が持ち味です。が、有名な「雪国」の一文「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」は、主語がなくその意味を文脈から読み取る必要があったため翻訳者には難しいものだったのだとか。それを成功させたのがエドワード・サイデンステッカー氏。川端自ら「ノーベル賞の半分はサイデンステッカー氏の功績だ」と語っていたほどだそうです。

さまざまなエピソードを見ると、海外で親しまれる日本文学には、その作品をよく理解した翻訳者の存在が大きいことを感じさせます。現在放映中の「花子とアン」や映画「ドストエフスキーと愛に生きる」などでも翻訳者の様子が描かれていますが、こうした有名な文学が広がっている裏には、日本の文化を理解しその国の特性に即して置き換えていく人々の力があるんですよね。