京都大学は1月24日、狙ったDNAに結合する化合物によって細胞の遺伝子発現をコントロールすることに成功したと発表した。

成果は、京大 物質-細胞統合システム拠点(iCeMS)・理学研究科の杉山弘教授、Ganesh Pandian Namasivayam研究員らの研究チームによるもの。研究の詳細な内容は、現地時間1月24日付けで英オンライン総合学術誌「Scientific Reports」に掲載された。

ヒトをはじめとする多くの多細胞生物はさまざまな役割を持つ細胞が集合してできているが、すべての細胞は核の中に共通のDNAを持っており、共通の遺伝子のセットが生命の設計図としてDNAにコードされている。DNAと遺伝子の違いがわかりにくいと思ったら、DNAは紙やハードディスクやUSBメモリなどの媒体、遺伝子はそこに書き込まれた情報に例えればいい。また遺伝子は生命活動に必要な多種多様なタンパク質1つ1つの設計図のことで、そうした生命をなり立たせるのに必要な全遺伝子を合計したものが「ゲノム」というわけだ。

ヒトのゲノムはおよそ2万の遺伝子をコードしているといわれ、この遺伝子を読み取ってタンパク質などの分子が合成されるわけだが、それを遺伝子の「発現」という。どの遺伝子を発現させるのかを正確にコントロールすることによって、個々の細胞が異なる役割を分担し、また機能を維持し、そして生命そのものを維持しているというわけだ。

近年では、遺伝子発現制御のメカニズムとして、配列自体は変わらずにDNAが「メチル化」修飾されたり、「ヒストン」がメチル化や「アセチル化」などの修飾を受けたりする「エピジェネティック」修飾が注目され、それを扱う学問のエピジェネティクスの研究が活発になってきている。

核内ではDNAが巻きついて「染色体」(ヒトの場合、23組46本を持つ)を構成するために、芯としての役割を主に担っているのが、タンパク質の「ヒストン」だ。このヒストンが、「ヒストンアセチル基転移酵素(HAT)」によってアセチル化されると、DNAの巻きつき方が緩くなって遺伝子発現に必要な分子がDNAにアクセスしやすくなるため、遺伝子の発現が促進される。

逆に、「ヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)」によってヒストンのアセチル基が取り除かれるとDNAがヒストンにタイトに巻きつくので、分子がDNAへアクセスできなくなり、遺伝子発現は抑制されるというわけだ。こうしたエピジェネティックな変化は遺伝子発現制御の方法の1つとして知られ、この均衡が崩れると細胞は機能を維持できず、病気の原因にもなってしまうのである。

画像1は、ヒストンのアセチル化による遺伝子発現制御を表した模式図だ。HDACがアセチル基を取り除くとDNAがタイトに巻きついて遺伝子発現は抑制される(左)が、HDACが阻害されるとアセチル化によって巻きつき方が緩くなって遺伝子発現が起こるのである。

画像1。ヒストンのアセチル化による遺伝子発現制御

このエピジェネティック制御機構は、iPS細胞や組織細胞の誘導といった細胞のリプログラミング、またはがんや糖尿病、神経疾患といったさまざまな病気にも関わっているという。実際、HDACの機能を阻害して遺伝子発現を促進する分子である「スベロイルアニリドヒドロキサム酸(SAHA)」はリンパ腫の治療薬として使われたていたり、iPS細胞作製を促進したりすることが知られている。しかしSAHAなどの分子はDNA配列への選択性がないので、特定の遺伝子を狙って発現上昇させることができないという。

そこで研究チームが今回開発したのが、この問題を解決するために、特定の遺伝子の発現上昇を可能にする"人工遺伝子スイッチ"として「SAHA-PIP」と呼ばれる小分子化合物である(画像2~4)。

PIPとは「ピロールイミダゾールポリアミド」のことで、「ピロール(P)」と「イミダゾール(I)」の誘導体がアミド結合で連結して逆並行の2本鎖構造を持つ。P-PのペアがDNAのA(アデニン)-T(チミン)またはT-A塩基対を認識し、I-PのペアがG(グアニン)-C(シトシン)塩基対を認識することで、配列特異的にDNAに結合することができる機能を持つ。そして、PとIの配置を換えることでさまざまなDNA配列に結合するPIPを設計することが可能だ。

SAHA-PIPの構造(画像2:左)とDNA配列認識の例(画像3:中)、およびPIPがDNAに結合する様子(画像4(右:)。ピロール(P)を赤丸、イミダゾール(I)を白抜きの青丸で表している。PとIの組み合わせでDNA配列を認識し、副溝に結合する仕組みだ

今回の研究では、ライブラリ中のまだ機能のわかっていないSAHA-PIPが遺伝子発現にどのような効果を及ぼすかについて、32種類のSAHA-PIP(SAHA-PIP1~32)をそれぞれ「ヒト皮膚繊維芽細胞(HDF)」に投与し、「DNAマイクロアレイ法」によって全遺伝子の発現変化が測定された(画像5、6)。DNAマイクロアレイ法とは、網羅的に遺伝子発現レベルを測定する実験法のことだ。チップに配置された数万種類のDNA断片に蛍光ラベル化した遺伝子産物を結合させて、チップをスキャンすることで蛍光強度から遺伝子発現量を解析する仕組みである。

その結果、SAHA-PIPによって発現上昇した遺伝子の数が多いことが判明(画像7)。また、発現変動した遺伝子を抽出してクラスタリング解析が行われた。結果、それぞれのSAHA-PIPが別々の遺伝子群を発現上昇させたことがわかったのである(画像8)。このことは、各SAHA-PIPのPIPが異なったDNA配列を認識して結合することに起因すると推測された。

画像5(左):SAHA-PIPのライブラリ。PIP中のピロール(中抜き青丸)とイミダゾール(赤丸)の配列が異なり、異なったDNA配列を認識し結合する。画像6(右):実験の模式図。ヒト皮膚繊維芽細胞(HDF)にSAHA-PIPを投与し、遺伝子発現の変化が調べられた

画像7(左):発現上昇した遺伝子の数。PIPが結合していないSAHA単体に対して代表的なSAHA-PIPである"9"は多くの遺伝子の発現を上昇させた。 画像8(右):遺伝子クラスタリング解析。赤は発現上昇、緑は発現減少を示している。各SAHA-PIP(縦の列)は別々の遺伝子群(横の行)を発現上昇させたことがわかる。

次に、発現が上昇した遺伝子にどんな機能や役割があるのか調べたところ、SAHA-PIP1はすい臓や内分泌系、13は神経など、それぞれのSAHA-PIPが特徴的な機能を持っていることが確認されたのである。また疾患などに関与している遺伝子として、インスリン分泌に関わる「GRPR」、網膜の形成に関わる「SEMA6A」、肥満に関わる「KSR2」、小脳に関わる「ATCAY」がSAHA-PIP1、13、18、23によってそれぞれ発現が上昇することが確かめられた(画像9)。

このほかにも7種類のSAHA-PIPで組織形成や疾患に関わる遺伝子が発現上昇することが確認された。一方、PIPが結合していないSAHA単体ではこのような発現上昇は見られなかった。このことは、PIPとの結合によってSAHAが特定の遺伝子の領域で作用し、SAHA単体では発現上昇できない遺伝子に作用していることを示唆している(画像10)。

画像9(左):遺伝子の発現量の相対値。SAHA単体や化合物非投与の細胞(DMSO)では発現していない、組織や疾患において重要な遺伝子が、SAHA-PIPによって発現上昇したことがわかる。 画像10(右):SAHA-PIPによる遺伝子発現の上昇。通常ではHDACによってDNAが凝縮され、遺伝子発現が抑制されている(上部:Closed状態)が、SAHA-PIPの投与によって部位特異的にHDACが阻害されてDNAが弛緩し、転写因子(Transcription Factor)が遺伝子にアクセスできるようになり(下部:Opened状態)、遺伝子の発現が上昇すると推測される(スイッチ"ON")

遺伝子発現は生体内で緻密にコントロールされているが、均衡が崩れて異常をきたすことで、さまざまな病気の原因となり、このような病気に対する治療法として注目を集めているのが、人為的な遺伝子発現制御技術だ。また、最近ではiPS細胞の登場によって再生医療の実現に期待が高まっている。再生医療ではある組織の細胞や幹細胞を別の組織の細胞へ転換させることが必要になるが、この時エピジェネティックな修飾のコントロールが重要となってくるというわけだ。

今回の研究では、異なったDNA認識配列を持つ32のSAHA-PIPが、遺伝子発現にさまざまな影響を与えることを示した形である。SAHA-PIPは認識配列を事前にプログラム可能で、かつエピジェネティックな遺伝子発現上昇の活性を持つユニークな分子であり、"人工遺伝子スイッチ"として新しいタイプの治療薬や組織細胞の効率的な誘導などでの利用が期待されるとしている。