理化学研究所(理研)は8月7日、匂いを受容する「嗅細胞」に存在し、嗅覚機能の鋭敏さに必要なタンパク質「グーフィー」が発見されたと発表した。

成果は、理研 脳科学総合研究センター シナプス分子機構研究チームの吉原良浩チームリーダー、同・後藤智美テクニカルスタッフらの研究チームによるもの。研究の詳細な内容は、日本時間8月8日付けで米科学誌「The Journal of Neuroscience」に掲載された。

五感の1つである嗅覚は、多くの生物にとって食べ物の探索、危険の感知、記憶の想起、情動の発現など生命活動に重要な役割を果たしている。特に野生の動物においては、最初にエサを見つける、いち早く敵に気付く、繁殖のためのパートナーを見つける、といった本能的な生命の営みに嗅覚を用いており、匂いに対して敏感でなければ生き残ることも子孫を残すこともできないという、重要な感覚だ。

匂いの成分である多種多様な化学物質(匂い分子)は、鼻腔奥の「嗅上皮」に存在する神経細胞の嗅細胞で受容される。嗅細胞は鼻腔表面に運動性の「嗅繊毛」を広げており、この嗅繊毛には匂い分子を認識して結合する「嗅覚受容体」を初め、情報伝達分子、イオンチャンネルなどが豊富に局在している。

嗅覚受容体に結合した匂い分子の情報は、「GTP結合タンパク質(Golf)」、「アデニル酸シクラーゼIII(cAMP合成酵素)」を介して細胞内「cAMP(環状アデノシン一リン酸)」濃度の上昇を引き起こす。そしてcAMPは細胞膜の陽イオンチャンネルを開き、細胞内への陽イオンの流入が膜の脱分極をもたらし、活動電位を発生させる。このようにして匂い分子の情報は電気信号へと変換され、脳へと伝えられるのだ(画像1)。さらに、その情報は脳の「嗅球」部位へ、さらには「梨状皮質」や「扁桃体」などの高次嗅覚中枢へと送られ、匂いの認識、識別、記憶、情動の変化、誘引あるいは忌避行動などが誘起されるのである。

画像1。マウスの嗅細胞における匂い情報のシグナル伝達機構

このように、匂いの受容機構と鼻から脳への神経配線様式については多くの部分が解明されてきた。しかし、匂いの知覚における鋭敏さを生み出す分子メカニズムについては何もわかっていない。そこで研究チームは今回、匂いの受容機構の要となる嗅細胞に存在するタンパク質を全体的に調べることで、嗅覚機能を司る重要分子を発見することを目指したのである。

研究チームはまず、マウス嗅細胞に存在する膜タンパク質・分泌タンパク質の網羅的解析を目指して、マウス嗅上皮からRNAを精製し、それらに相補的な配列を持つcDNAのライブラリーを作製した。そして、酵母を用いた「シグナル配列トラップ法」によるスクリーニングを行うことにより、マウス嗅上皮のcDNAライブラリーから、新規タンパク質を作る12種類の遺伝子が発見されたのである。その内の1つが作るタンパク質は、匂いを受容する嗅細胞とフェロモンを受容する鋤鼻感覚細胞に強く発現していることが判明。研究チームによって、「グーフィー(Goofy:Golgi protein in olfactory neurons)」と名付けられた。

次に研究チームはグーフィーを認識する抗体を作製し、嗅上皮切片の免疫組織化学的染色を実施。その結果、グーフィーは嗅細胞内で膜タンパク質や分泌タンパク質の修飾や細胞内輸送を担う、細胞内小器官「ゴルジ体」に局在することが明らかとなったのである。

さらに研究チームはグーフィー遺伝子に緑色蛍光タンパク質(GFP)遺伝子をつないだ遺伝子改変マウス「Goofy-GFPマウス」を作製し、GFP蛍光はマウスの鼻の嗅上皮から嗅球へと軸索を投射する嗅細胞と、ほ乳類など一部の動物が持つ嗅細胞とは別の臭覚細胞の「鋤鼻感覚細胞」だけで明るく観察され、ほかの組織や臓器ではまったく確認できないことが確認された(画像2)。この結果から、グーフィーは嗅覚機能における何らかのユニークな役割を果たすことが示唆されたのである。

画像2。グーフィー遺伝子の発現制御下にGFPを発現させたGoofy-GFPマウス。胎生15日目

続いてグーフィーの機能を調べるため、グーフィー遺伝子を欠損させたマウスが作製され、その異常の有無について野生型マウスとの比較が行われた。その結果、グーフィー遺伝子欠損マウスでは、鼻腔表面に広がっている嗅繊毛が通常より短くなっていることが判明(画像3)。

グーフィー遺伝子欠損マウスでは嗅繊毛が短くなる(形態の異常)。画像3(左)が正常マウスのもので、画像4(右)がグーフィー遺伝子欠損マウスのもの。上段は、マウス嗅上皮を2種類の嗅覚受容体(Olfr2:赤、Olfr6:緑)に対する特異的抗体で染色され、嗅繊毛を嗅上皮の表面側から観察したもの下段は、嗅上皮を横から見た模式図。グーフィー遺伝子欠損マウスでは嗅繊毛が短くなっていた

また、匂いの情報を電気信号に変換する過程で重要な働きをする酵素のアデニル酸シクラーゼIIIが、嗅繊毛だけでなく嗅細胞の軸索や嗅球の神経終末にも多量に存在しており、細胞内局在に異常があることも確かめられた。また、さまざまな匂い分子に対する嗅上皮の電気生理学的応答も測定され、正常なマウスに比べて、グーフィー遺伝子欠損マウスでは嗅細胞の反応が鈍くなっていることが判明している(画像5)。

さらに、マウスにとって天敵であるキツネのフン由来の匂い分子「TMT(2,4,5-トリメチルチアゾリン)」をグーフィー遺伝子欠損マウスに嗅がせたところ、高濃度のTMTに対しては正常マウスと同様にフリージング(すくみ)反応が見られたり、匂いのある側を避ける忌避行動を示したりしたが、低濃度のTMTに対しては忌避行動が見られないという異常が観察された(画像6)。これらの実験結果により、グーフィーは嗅覚を敏感に感じ取るのに重要な役割を担っていることがわかったというわけだ。

画像5。さまざまな匂い分子に対する嗅上皮の電気生理学的応答(嗅電図)の測定結果。グーフィー遺伝子欠損マウスは匂いに鈍感(神経活動の異常)

画像6。グーフィー遺伝子欠損マウスは天敵の匂いにも鈍感(行動の異常)。グーフィー遺伝子欠損マウスは、低濃度のTMTに対しては反応がなかった

ヒトの視覚障害や聴覚障害と比べて、嗅覚障害についてはその原因の究明が遅れている。匂いに対する鋭敏さに関連するグーフィーの発見は、嗅覚障害の分子メカニズムを解明する手掛かりになることが期待されるとしている。