米国ハーバード大学は7月25日、脳の高次機能を司る領域「白質」の機能が加齢と共に低下してしまう、つまり脳組織を維持・修復できなくなるメカニズムを明らかにし、同時にその修復機構の劣化が既存の医薬品で防ぎうる可能性があることも明らかにしたと発表した。
成果は、マサチューセッツ総合病院/ハーバード大医学部の宮元伸和氏、ハーバード大の荒井健Assistant Professorらの研究チームによるもの。研究の詳細な内容は、7月23日付けでAmerican Stroke Associationの学会誌「Stroke」に掲載された。
近年の研究から、成体脳においてもある程度は可塑性が残っており、障害を受けた場合などには、失われた細胞を修復するメカニズム(神経新生や血管新生など)があることがわかってきている。しかし、加齢と共に神経新生のスピードは落ちていき、このことが多くの中枢性疾患において加齢がリスクファクター(危険因子)となる要因の1つだと考えられてきた。
しかし、なぜ加齢がリスクファクターとなっているのかというメカニズムは、今までのところ完全には解明されていない。神経新生のスピードが加齢と共に落ちるというメカニズムは、主に脳の「灰白質」を解析した研究から明らかとなったのだが、白質でのメカニズムは不明のままだ。
なお灰白質とは脳などの中枢神経において神経細胞が集積している部分のことで、名称の通りに灰色をしており、大脳や小脳においては表面に集まっている。白質は中枢神経において有髄神経繊維が集積した部分のことで、大脳や小脳においては灰白質の内側に存在し、見た目がその名の通りに白い。
白質はマウスやラットなどのげっ歯類では灰白質よりも小さいが、ヒトでは脳白質も灰白質と同程度の容積を占めるようになる。また、白質はヒト高次機能を司る脳領域で、脳卒中や血管性認知症など、白質病変を伴う中枢性疾患は多く存在している。そのため、白質においても加齢と共に失われた細胞を修復するメカニズムが低下するかどうかを探ることは、先進諸国では高齢化の問題があるため、非常に重要な課題というわけだ(脳卒中や血管性認知症などは加齢がリスクファクターである)。
そこで研究チームは今回、血管性認知症のモデルマウスを用いて研究を実施。この血管性認知症のモデルマウスは、マウスの両側総頸動脈にマイクロコイルを埋め込んで狭窄(きょうさく)して脳への血流を慢性的に低下させるという、2004年に京都大学医学部で開発されたものである。
研究チームはまず、2箇月齢および8箇月齢のマウスの比較から行った。2箇月齢のマウスは若齢マウスで、脳卒中や血管性認知症に関する基礎実験でよく使われる年齢だ。2箇月齢のマウスはヒトでおおよそ20歳前後、8箇月齢はおおよそ50歳前後だという(ヒトの年齢への換算は難しいため、あくまでもおおよそである)。
何もストレス刺激を与えていない通常の状態で観察が行われたところ、どちらのマウスも白質構造に大きな差は観察されなかった。しかし、マイクロコイルを埋め込んで慢性脳低灌流状態を引き起こさせた後、白質領域(脳梁)の「ミエリン」(神経の軸索を鞘のように取り巻くミエリン鞘を構成する脂質とタンパク質の複合体)の密度を計測したところ、8箇月齢マウスは2箇月齢マウスに比べて有意にミエリンの脱落が見られたのである(画像1~3)。
画像1(左):白質におけるミエリンの密度。*P<0.05。SD-OCM(spectral domain optical coherence microscopy)顕微鏡により白質領域の微細構造を観察したところ、8箇月齢マウスでは白質の構造がより崩壊していることが確認された。画像2(中):2箇月齢(白質障害後14日後)。画像3(右):8箇月齢(白質障害後14日後) |
8箇月齢のマウスでの白質障害の度合いは2箇月齢のマウスよりも顕著に大きくなることが判明。また通常状態では両者で差はなかったが、血流を低下させた際に8箇月齢のマウスでは2箇月齢のマウスよりも、記憶学習能力が低下していることが、Y型迷路試験を使った実験で確かめられた。
この違いの原因を探るため研究チームが着目したのが、「オリゴデンドロサイト」という細胞だ。オリゴデンドロサイトは「グリア細胞」の1種で主に白質に存在している。オリゴデンドロサイトは神経細胞の軸索を取り巻くことで効率的な神経伝達の助けをしており、その障害は学習能力なども含む種々の神経機能を引き起こしてしまう。
オリゴデンドロサイトは、オリゴデンドロサイト前駆細胞が分化することで誕生する。一般にオリゴデンドロサイト前駆細胞からオリゴデンドロサイトへと成熟するのは胎生後期から発生直後に見られる現象だが、オリゴデンドロサイト前駆細胞は成体脳にも残っており、脳が障害を受けた時などに失われたオリゴデンドロサイトを補填するため、一過性に分裂して数を増やしながら成熟オリゴデンドロサイトへと分化する仕組みを持つ。
今回の研究では、2カ月齢の若齢マウスではマイクロコイルを埋めて白質障害を引き起こした後に、オリゴデンドロサイト前駆細胞数の増加とそこから分化してできた新生オリゴデンドロサイトの数が増加していることが確認された。一方で、8箇月齢のマウスでは、オリゴデンドロサイト前駆細胞の数は増加せず、新たにできたオリゴデンドロサイトの数も少ないままだったのである(画像5・6)。
次に、8カ月齢のマウスではオリゴデンドロサイト前駆細胞の機能が落ちる理由を解明するために研究チームが着目したのが、「CREB(cyclic AMP response element-binding protein)」のシグナル経路だ。CREBは神経細胞など多くの細胞の生存に関わっていることが知られていたからである。実験の結果、白質障害後のCREBシグナルは2箇月齢のマウス脳よりも8カ月齢のマウス脳で顕著に低いことが確認された(画像7)。
そして最後に研究チーム、薬剤でCREBシグナルを活性化させることで、8カ月齢マウスでもストレス(マイクロコイルを埋め込むことによる脳低血流)に対する抵抗性が上がるかどうかを検討。用いた薬剤はホスホジエステラーゼIII阻害剤の「シロスタゾール」で、臨床でも使われている薬剤だ。培養細胞を用いた実験では、シロスタゾールがオリゴデンドロサイト前駆細胞のCREBシグナルを活性化させ、ストレス下においても成熟オリゴデンドロサイトへの分化を促進することが確認された(画像8)。
また8カ月齢マウスを用いた検討においても、シロスタゾールを投与することで、マイクロコイルを埋めて白質障害を誘導させた後でもオリゴデンドロサイト前駆細胞の分裂および分化が促進され、白質障害と学習能力の低下を抑えられることが確認されたのである(画像9・10)。
以上の結果から、(1)白質の修復機能は加齢と共に減弱すること、(2)そのメカニズムはオリゴデンドロサイト前駆細胞のCREBシグナルと深く関わること、(3)既存の薬剤で加齢による白質の修復機能低下が抑えられる可能性があること、の3点が明らかとなった形だ(画像11)。
なお、今回の研究はマウスを用いた基礎実験であるため、臨床へと応用するには色々な検討が必要だと思われるという。しかし、今回の結果は加齢による脳機能低下の新たなメカニズム、および薬剤によるアンチエイジングの可能性を示した興味深い成果ではないかと研究チームは考えているとしている。