――まず最初にお聞きしたいのですが、「幻影ヲ駆ケル太陽」の企画が始動したのはいつごろですか?

同作の原案を制作した、アニマの赤城晴康氏(左)と田中秀典氏(右)

赤城氏 この企画がスタートしたのは2010年の冬ですね。最初はタイトルも違ったものでした。普段3DCGの制作を手がけている弊社として打ち出すべきかどうか、ということはさておいて、まずアニメの企画を立ち上げてみようと思ったんです。

初期段階では僕1人で動いていて、ある段階まで制作したところで、田中が弊社に転職してきまして。その時に「幻影ヲ駆ケル太陽」の基となった企画の話を持ち出したら乗ってきてくれて、参加してもらったという形です。先ほど言ったように会社として認可されたプロジェクトではなかったので、夜中にSkype会議をしたりして進めました。

田中氏 赤城がお話した通りなのですが、僕はこの会社に3DCGの制作進行として入社しました。ただ、入社以前にゲームのシナリオを書いた経験もありました。この企画に興味を惹かれたので参加したという形です。

――田中さんが合流された後、このプロジェクトはどのように進めていったのでしょうか?

赤城氏 何とかこの企画をきちんとしたものにしたいなと思って、さまざまな方にお声がけさせていただきました。知人のつてを頼りに相談させていただいて、興味を持っていただいた事が今に繋がっていると思います。

アニマ内で作られていたキャラクターデザインの一部。あかりの武器のパターンはこれだけの中から現在の案に絞られている

田中氏 いわゆる"営業"の部分はすべて赤城が行ってくれていました。そして外部の方がこの企画を見た際の意見をフィードバックしてくれたので、その様子も見ながら作り込んでいって、今の状態に近くなったのは2011年のころでしょうか。コミックマーケット(コミケ)にブースを取って出展しました。

――アニメ放送開始前に、コミケに出展されていたんですね。

赤城氏 コミケの参加については、後先考えていませんでしたね(笑) とにかく世に出そうという一心でした。ただ、この段階ではすでに会社の認可が下りていて、コミケには企業ブースとして出展しました。この頃では「幻影のメサイア」というタイトルでしたが、キャラクターデザインは一貫してあかつきさんにお願いしています。そこから企画が大きく動きはじめ、現在の放映までこぎつけたというところです。

――では、現在の「幻影ヲ駆ケル太陽」というタイトルはいつ決まったのでしょうか?

赤城氏 タイトルが変わったのは本当につい最近ですね。監督や脚本含め、制作者みんなで3案ずつ出してコンペのような形で選びました。自分の出した案には投票しないというルールのもと多数決を取り、今の「幻影ヲ駆ケル太陽」というものになりました。

今回テレビ放送が決まったのは関係各位の協力のたまものですが、タロットの数(大アルカナのみ)だけキャラクターが出てくる大きな構想の物語となっているので、今後も「幻影シリーズ」として展開していけたらと考えています。

――ありがとうございました。