東京大学(東大)は4月1日、ショウジョウバエを使って脳の細胞を作る神経幹細胞の1つとそれが作る子孫細胞を染め出す実験を繰り返し、約100個ある神経幹細胞から作られる子孫細胞群のほとんどを同定することに成功したと発表した。

同成果は東京大学分子細胞生物学研究所の伊藤啓 准教授と博士課程3年の伊藤正芳氏、同大大学院情報理工学系研究科数理情報学専攻の増田直樹 准教授らによるもの。詳細は分子生物学、細胞生物学、遺伝学、神経科学、生態学、進化生物学を対象とした学術雑誌「Current Biology」に掲載された。

脳には無数の神経細胞があるが、それら無数の神経細胞は、限られた数の神経幹細胞が分裂を繰り返して作られる。そのため、ある幹細胞から作られた子孫細胞の一族(クローン)は、「どの幹細胞から産まれたかという出自に関係なく、それぞれが独自に分化してさまざまな神経回路を作る」と「出自ごとに決まった神経回路を作る」という2つの可能性があるが、これまで技術的に調査が困難であり、解明が進められてこなかった。

今回、研究グループは、脳の中枢部の神経が片半球約1万5000個と少なく、これらは106個程度の神経幹細胞から作られることが知られている「キイロショウジョウバエ」に対し、DNA内の組み替えを誘発するシステムと、マーカー遺伝子の発現を誘導するシステムを組み合わせ、神経幹細胞の1つか2つ程度に組み替えを起こしてマーカー遺伝子を発現させて、その幹細胞に由来する子孫細胞全体を染め分ける実験を実施。

この実験を数千回繰り返してデータを積み重ねた結果、個々の幹細胞の子孫が作るクローン神経群を全体の約9割にあたる96個同定することに成功したという。

この結果、1つの神経幹細胞に由来する子孫細胞群はすべて、脳内の特定の一部の場所だけに枝を伸ばす、特徴的な構造を作っていることが判明。同構造は幹細胞ごとに異なっており、これら形の異なるユニットがブロックのように組み合わさることで脳全体の神経回路を作っていることが確認された。

クローナルユニットと脳の神経回路。上段は、1つの神経幹細胞に由来する子孫細胞が作る神経回路をラベルしたもの。同定した96個のうちの4個を示している。このような神経回路のユニットが、ブロックのように組み合わさって、脳全体の神経回路を作っている

こうしたブロック構造は、「1つの神経幹細胞に由来する子孫細胞のクローンが作る、特定の神経回路のユニット(クローナルユニット)として、以前から脳の一部の場所で発見されていたが、今回の研究からは、脳の神経回路全体がこうしたユニットでできていることが示されたこととなった。

クローナルユニットと脳の神経束。1つの神経束を作る3つのクローナルユニットを異なる色で重ね合わせた図。黄色い三角形が1 つの神経幹細胞に由来する細胞体のクラスタ。そこから伸びた多数の神経が1つの束を作っている。脳には片半球の中の異なる場所を結ぶ神経の束(左図)が128種、左右の脳を結ぶ神経の束(右図)が22種あるが、ほぼすべてが1~5個の特定のクローナルユニット飲みからできていることが確認された

また、クローナルユニットの神経どうしがシナプスを作って情報をやりとりするには、それらが空間的に重複した場所に投射していることが不可欠だが、ユニットの重複の度合いには脳の場所によって差があり、キノコ体や中心複合体のような特徴的な構造を示す場所よりも、その周囲の場所の方が、多く重複する網の目のような複雑な構造を作っていることも今回確認されており、研究グループでは、特徴的な構造がないためにこれまで注目されていなかった領域が、実は複雑な脳機能を担っている可能性を示唆するものだと説明している。

さらに、96個のクローナルユニットを投射パターンによって247種類に細分割し、それぞれの投射が結ぶ脳領域のネットワーク図を作製し、ネットワーク解析を行ったところ、「どの2カ所もごく少数の結合を経由すればたどりつける」という「スモールワールド性」を備えていることが判明したほか、ネットワークに対し「内部では結合が強くて外に向かっては結合が弱いような部分ネットワーク」に分割する「コミュニティー解析」を行ったところ、脳領域は全部で5個(このうち右と左のキノコ体を除いた主要なものは3個)のコミュニティーに分かれることが示され、昆虫の脳が互いに強く連携して働くいくつかの部分から構成されていることが示唆され、このことから、視覚や嗅覚の情報は、異なるいくつかのコミュニティーに分かれて送られており、感覚情報が複雑な統合処理を受ける可能性が示されたとする。

脳の領域間を結ぶ神経結合のネットワーク図。脳を片半球42個の領域に分け、各クローナルユニットに属する神経がそれらをどのように結ぶかを線で表した図。脳内に存在する神経結合をもれなくカバーしている点では、2013年4月1日時点で線虫に次いで網羅的な情報であり、このデータを元にネットワーク解析が行われた

なお、進化的にショウジョウバエとはかなり遠いコオロギなどでも、今回同定されたのとよく似たクローナルユニットが、いくつか見つかっており、神経幹細胞の総数もほぼ同じであることから、研究グループでは、クローナルユニットは進化の過程で保存された重要な脳の構築要素だと考えられると説明する。

また、哺乳類脳では1つひとつの神経幹細胞の子孫を体系的にラベルする研究はあまり行われていないが、大脳皮質では、同じ神経幹細胞の子孫は互いにシナプスを作る頻度が高い、類似した感覚情報を処理している、といった知見が報告されており、クローナルユニットは脳の構造/機能単位としてやはり重要な役割を果たしていると考えられるとのことで、今回得られた成果を活用することで、幹細胞から脳の複雑な神経回路が形成される基本原理の解明につながることが期待されるとコメントしている。