東京大学(東大)医学部附属病院は1月15日、細胞の表面に存在する受容体タンパク質「Notch」が変形性膝関節症に関与していることを、マウスの実験によって発見したこと、ならびにNotchの阻害剤である低分子化合物「DAPT」を膝関節内に注射投与したところ、軟骨細胞に働いて変形性膝関節症を予防することを見出したと発表した。

成果は、東大大学院 医学系研究科 外科学専攻 感覚・運動機能医学講座 整形外科学 大学院生の保坂陽子氏、東大医学部附属病院 ティッシュ・エンジニアリング部 骨・軟骨再生医療講座の斎藤琢特任准教授、東大大学院 医学系研究科/医学部附属病院 整形外科・脊椎外科の川口浩准教授らの研究グループによるもの。研究の詳細な内容は、日本時間1月15日付けで米国科学雑誌「米科学アカデミー紀要(PNAS)」電子版に掲載された。

高齢者の生活の質(QOL)を低下させ健康寿命を短縮させる運動器疾患、いわゆるロコモティブシンドロームの治療法は、近年、長足の進歩を遂げ、患者に多くの恩恵をもたらしている。例えば、骨粗しょう症に対するビスフォスフォネート製剤や副甲状腺ホルモン製剤、関節リウマチに対する生物製剤による抗サイトカイン療法の開発などがその代表だ。

変形性膝関節症は膝の関節軟骨が摩耗する病気で、関節痛や変形を引き起こす。ロコモティブシンドロームの代表的疾患で、骨粗しょう症や関節リウマチよりも多くの高齢者が罹患しており、国内の有病者数は2400万人と推計されている(東京大学ROADスタディ調べ、2009年6月時点)。しかし、その治療法は対症療法のみで根本的治療法は存在しないのが現状だ。

これまでに分子生物学的研究やヒトゲノム研究によって変形性膝関節症の原因分子がいくつか発見されてきたにも関わらず、変形性膝関節症の根本的治療の開発が進まない理由として、発見された原因分子のほとんどが細胞の中の分子(細胞内分子)であったことがあげられる。細胞内分子は治療物質がその分子に届いて作用するまでの手法(ドラッグデリバリー)の確立が困難で、治療の標的にはなりにくいという欠点があるのが現状だ。

また、抗体やタンパク質などの高分子の治療物質は血管を通って運ばれるため、血管の存在しない関節軟骨の細胞に到達しにくいことも根本的治療の開発が進まない理由の1つである。これらの欠点を克服するために研究グループは現在までに、低分子化合物が標的とできる細胞外分子の同定に挑戦してきた。

体の中で骨ができる現象は、骨格の発生や成長に必須だ。体内の骨のほとんどは、いったん軟骨ができた後、これが石灰化して骨に置き換わるという過程で作られる。骨の成長も、骨の中にある成長板という軟骨が変性・破壊されて骨に置き換わり続けることで起こる仕組みだ。これは「軟骨内骨化」と呼ばれている。

軟骨内骨化は、本来は永久に軟骨のままであるはずの成人の関節軟骨では起こらない現象だが、川口准教授のグループは、これまでの研究で変形性膝関節症の発症に関節軟骨における「病的な軟骨内骨化」が関与していることを報告してきた。本来は永久に軟骨であるはずの関節軟骨が「病的な軟骨内骨化」を起こしてしまうことが、変形性関節症の発症のきっかけであるという考え方だ。

今回、川口研究室の大学院生の保坂氏、斎藤特任准教授らは、マウスの実験系を用いて、この「病的な軟骨内骨化」過程の中心的役割を果たす分子として、関節軟骨の細胞の表面にある受容体タンパク質Notchとそのシグナル分子「Rbpjk」を同定した(画像1)。

Notchは脊椎動物の多くによく保存され、ほぼ全身に発現している細胞表面の受容体タンパク質で、現在4種類が確認済み。隣接する細胞のリガンド(抗原)との接触を介してさまざまな細胞の分化過程に関係する。Notchにリガンドが結合すると細胞表面の Notchタンパクは細胞内に遊離して細胞核内のRbpjkと結合することで、標的遺伝子の転写活性が行なわれる仕組みだ。

画像1は、ヒトの正常関節軟骨(左)と変形性関節症の関節軟骨(右)のNotchの局在の違いを比較した画像だ。ヒトの正常関節でNotchは受容体として細胞表面に存在している(緑に発色)が、変形性関節症患部の関節軟骨ではNotch が細胞の中に移動している。

画像1。ヒトの正常関節軟骨(左)と変形性関節症の関節軟骨(右)のNotch の局在の違い

関節軟骨への力学的負荷の蓄積や加齢の結果、関節軟骨表面のNotchタンパクが細胞の中に移動してRbpjkを活性化させて、軟骨において軟骨内骨化が促されることを示したのである(画像2)。

画像2は、マウス膝関節の変形性関節症負荷モデルにおける関節軟骨の変化(Rbpjkノックアウトの効果)を撮影したもの。正常マウスでは明らかな関節軟骨(赤染色)の変性・破壊が見られるが、Notchの活性化分子であるRbpjk を発現しないようにしたRbpjkノックアウト(KO)マウスでは抑制されている。

画像2。マウス膝関節の変形性関節症負荷モデルにおける関節軟骨の変化(Rbpjkノックアウトの効果)

また、Notchの阻害剤の低分子化合物DAPTを膝関節内に注射投与すると、膝関節軟骨細胞にまで作用して変形性膝関節症の進行を予防することも見出された(画像3)。このことは、低分子化合物が血管の存在ない軟骨組織に浸潤して軟骨細胞に働きうることを証明した知見といえるという。

画像3。マウス膝関節の変形性関節症負荷モデルにおける関節軟骨の変化(DAPT関節内注射の効果)を撮影したもの。マウスに10週間毎日、Notch阻害剤であるDAPT(2.5μM、10μL、右)または対照液(10μL、左)を注射。10週後、対照液注射マウスでは明らかな関節軟骨(赤染色)の変性・破壊が見られたが、DAPT注射マウスでは変性・破壊が抑制されていた。

画像3。マウス膝関節の変形性関節症負荷モデルにおける関節軟骨の変化(DAPT関節内注射の効果)

健康な組織が従来の形質を保てずに別の形質を獲得してしまう、いわゆる変性疾患はロコモティブシンドロームのみならず多くの老化関連疾患に見られ、高齢化社会の進行によって重大な社会問題となっている。

中には上記の軟骨内骨化のように、本来は生理的に必要な現象がその病因となってしまう場合がある。これは自然の摂理を越えた人類の高齢化によって、本来は起こりえない環境からのストレスに対応するための生体の防御作用とも考えられるという。変形性膝関節症の発症におけるNotchの活性化もその1つと考えられると、研究グループは述べる。よって、今回の結果で得られた、低分子化合物の関節内投与が膝関節軟骨細胞に働いて変形性膝関節症の進行を予防するという事実は、変形性膝関節症の治療の概念を大きく進歩させるものといえよう。

しかし、Notchのように全身的に発現してさまざまな機能を司っているシグナルの全身的な抑制は、病気の根本的な治療が生理的に必要な機能をも抑制してしまう可能性がある。

そのため研究グループでは、この問題を解決するためには、生理的にはほとんど作用しない、あるいは生理的に作用するがほかの分子の機能で代償可能である、病気の発生にとってのみ重要な役割を果たす分子を見つける必要があり、それが今後の課題となるとしている。