魚の死骸は滅多にない大御馳走 - 普段食べているものは何なのか

マリアナ海溝で仕掛けたサバの身には、数十匹のカイコウオオソコエビが集まってきた。

「他の海域で丸鶏を与えたら、わずか30分くらいで食べ終えて、すぐにいなくなったらしいです。私の経験では、罠を長時間放置しておくと共食いを始めます。罠の中のような密度の高い状態では生活していないのでしょう」

飢餓状態の中に、サバの身という御馳走が突然現れ、ありったけの力を振り絞って集まってきたのだろう。しかし、超深海に魚の死骸が丸ごと落ちてくることは滅多にないはずで、それが食料のすべてとは思えない。

普段は土の中でじっとしているらしく、多くの研究者が、土の中の有機物を食べて生きていると考えていた。しかし、調べてみると、マリアナ海溝の土に含まれる有機物があまりに少ないことが分かった。

インタビュー時に見せていただいたカイコウオオソコエビの実物。脂が融けてやせて見え、触覚や脚も失われているが、ノミのような形や、体節の様子は分かる。実際に嗅いでみたが、融けた脂は「エビの尻尾が腐ったような」臭いがする

「かいこう」初代機亡失後は、新たに開発された11,000mフリーフォール式カメラ/採泥システム「アシュラ」を使用してマリアナ海溝にアクセスしている。ベイトトラップでカイコウオオソコエビを捉えたり、脚に装着した採泥機で海底の土を採取することも可能だ。(C)JAMSTEC

「何を食べているのか」をきちんと知るには、極小な消化管を取り出して、その内容物から消化酵素を精製して調べなければならない。問題は、多くの深海動物と同様、高水圧に耐えて泳ぐために体内に特殊な脂を蓄えていること。この脂が、1気圧の室温下ではさらさらに溶けて流れ出す。

「ピンセットで黒い細い消化管を引き出さなければならないのですが、悪戦苦闘しているうち、あっという間に脂が溶けだします。失敗しても、簡単に取りに行くことが難しい貴重なサンプルです。分子生物学的なアプローチを取るには、かなりの勇気が必要でした」

研究の方向性を決める上で大きなヒントになったのは、マリアナ海溝で採取された土の中から出てきた木片だった。

「もしかしたら、木片をそのまま食べて、植物の細胞壁や繊維の主成分セルロースを分解しているのかもしれない…まさかそんなことないよねって感じで、実験を始めました。いろいろな酵素がある中で、深海性のヨコエビに植物多糖分解酵素があるかどうかを調べようなんて、私以外誰も考えなかったみたいです」

苦心して精製した酵素の中から、画期的な機能を持ったセルロースを分解する新規セルラーゼが発見された。

生物が栄養として摂取するには、セルロースを糖分に分解する必要がある。セルロースを長い鎖に例えれば、糖分は一個の鎖の環のイメージだ。従来のセルラーゼは、長い鎖を、一端短めの鎖に分解し、さらに2個の鎖の環にして、最終的に1個に分解するという、3種類の酵素が必要だった。しかし、カイコウオオソコエビは、長い鎖をいきなり鎖の環に分解できる、いままで誰も見たことがない新規セルラーゼを持っていた。

従来のセルラーゼなら、消化管の中で木片をまるごと消化する必要があるが、新規セルラーゼなら、木片をくわえて「ペロペロキャンディーのように」端から少しずつ消化していくことができる。長期間僅かな木片で食べつなぎながら、魚の死骸のような大きな餌が落ちてくるまで、じっと土の中で待ち続けているのではないかと想像される。

「人間が誕生する何億年も前から植物は生い茂っていて、木や葉が流されて海底に転がっています。実際、陸地に近い海溝では、落ち葉などが見つかります。しかし、周囲にグアム島しかないマリアナ海溝には、豊かな栄養を供給する陸地がありません。カイコウオオソコエビも、そういう場所だから、苦肉の策という感じで、木や植物繊維を食べるように進化したと考えています」

糖分を発酵させれば、エタノールになる。発見された新規セルラーゼなら、木や紙を効率よく分解してバイオエタノールを生産することも可能だ。

「今までトウモロコシの実からバイオエタノールを作っていましたが、実じゃなくて幹からも、オガクズや紙からも糖分ができます。糖分さえ作れれば、それを食べてもいいし、燃料にしてもいいし、いろいろと利用価値があります。新規セルラーゼはもうひとつメリットがあって、従来のセルラーゼが50度以上で、セルロースが水に溶けていなければ反応しないのに対して、25~35度の常温で、あまり水がなくても反応が進みます。電気や水道などのインフラが整っていない地域でも、食料や燃料が生産できる可能性があるのです」

問題は、精製できた量があまりに少ないことだが、今後関係する遺伝子が特定できれば、大量生産が可能になる。なお、この新規セルラーゼは特許出願中だ。

ケルマディック海溝で捕らえられたヨコエビの一種。背後の青いものはゴム手袋をはめた両手であり、その巨大さが実感できる。「アシュラ」に似た機材を用いて捕獲された。(出典:ニュージーランド/英アバディーン大学広報Webサイト)

今年(2012年)2月、ニュージーランド沖のケルマディック海溝水深7000mで、体長30cm近い巨大ヨコエビが、イギリスとニュージーランドの学者達によって発見された。カイコウオオソコエビのライバル出現であるとともに、深海性ヨコエビが秘める大きな謎と可能性を感じさせるニュースである。

「深海環境にいる生物は巨大化することが多いのです。これは、生物数が少ないため敵に襲われる機会がないからと考えられていますが、栄養に乏しい環境でどのくらい生きていれば、その大きさになるのか不思議です。カイコウオオソコエビの姿を見ていると、その環境適応能力に驚かされます。その環境適応機構に、陸上の生物にないユニークな遺伝子が存在すると確信しています」

21世紀になってもなお、「深海にどんな生物がいるのか」は、人類の疑問であり続けている。そして、そこでなされた新たな発見が、私達の暮らしを大きく変化させる可能性さえ秘めているのだ。

小林英城主任研究員は、海洋研究開発機構(JAMSTEC)、海洋・極限環境生物圏研究領域の環境メタゲノム解析チームに所属している。「専門領域からは少しはずれているのですが、今後数年はカイコウオオソコエビをきちん研究し尽くしたいですね」とコメントしてくれた