海洋研究開発機構(JAMSTEC)は8月16日、日本の南方約2500kmに位置する「マリアナ海溝チャレンジャー海淵」の世界最深部(深度1万900m)に生息する「ヨコエビ(学名:Hirondellea gigas,和名:カイコウオオソコエビ)」の生態解明を行い、その食性究明において、タンパク質、脂質、多糖類などに対する分解活性を解析したところ、新規で有用性の高い消化酵素の検出及び精製に成功したと発表した。
成果は、JAMSTEC 海洋・極限環境生物圏領域の小林英城主任研究員ら研究グループによるもの。研究の詳細な内容は、日本時間8月16日付けで米オンライン科学誌「PLoS ONE(Public Library of Science One)」に掲載された。
1998年、JAMSTECの前身である海洋科学技術センターの1万1000m級無人探査機「かいこう」によって、海洋の最深部であるマリアナ海溝チャレンジャー海淵での探索が行われた。
一般に、深海海底は非常に水圧が高く、また貧栄養であるため、生物の生息は困難な環境であることが知られているが、「かいこう」の探索によって、世界最深部にカイコウオオソコエビ(画像1)が多数生息していることが確認された形だ。しかし、これら超深海生物が何を食べて超深海で生息できるのかはこれまでわかっていなかった。
そこで今回の研究では、2009年の調査潜航において、JAMSTECが作製したフリーフォール式の「カメラ付き採泥システム」(画像2)を用いて、カイコウオオソコエビを採取すると共に、その食性を解明するため、消化酵素の解析が実施された次第である。
カイコウオオソコエビが、貧栄養環境下で生息するための生態解明に取り組み、その消化酵素に着目し、タンパク質、脂質、多糖類などに対する分解活性を解析したところ、「セルラーゼ」、「アミラーゼ」、「マンナナーゼ」、「キシラナーゼ」などの植物性多糖分解酵素の検出に成功した(画像3)。
画像3は、カイコウオオソコエビの消化酵素反応。各基質上にカイコウオオソコエビのタンパク質を滴下して、室温にて反応させた結果。基質には青や赤の色素が含まれており、酵素活性がある場合、基質が分解されて周囲が白くなり、高い酵素活性を有していることがわかる。
これら4つの酵素は、それぞれ「セルロース」、「でんぷん質」、「ヘミセルロース(植物細胞壁に含まれるセルロース以外の多糖類)」である「マンナン」と「キシラン」を分解することが知られており、同時に採取した海底泥から、木片も見つかったことから、カイコウオオソコエビは、世界最深部の海底で流木や枯れ葉、タネなどの植物片を食べると予想された。
そこで、消化酵素の酵素学的性質を検討するため、カイコウオオソコエビから抽出した消化酵素と、でんぷん、「カルボキシメチルセルロース(CMC)」、「グルコマンナン」、キシランを反応させ、その反応生産物についての調査を実施。結果、以下の通りに各物質が検出された。
- でんぷん:分子量が「マルトテトラオース」以下の「オリゴ糖」
- CMC:「グルコース」と「セロビオース」のみ(画像4)
- グルコマンナン:低分子量の各オリゴ糖
- キシラン:キシラナーゼ活性が不安定だったため、同定に至らず
上記結果の内、CMCからグルコースとセロビオースを生産するセルラーゼの報告例はなく、新規セルラーゼであることが期待された。
画像4は、カイコウオオソコエビ由来のセルラーゼによるCMCの分解。CMCにセルラーゼを加えて、35℃で反応させた結果だ。反応後、分解生産物について「薄層クロマトグラフィ」を用いて分子種を同定した(「G」はグルコースを、「C2」はセロビオースをそれぞれ示している)。分解生産物を薄層クロマトグラフィ上の始点に滴下し、有機溶媒を浸透させると、各分解生産物は始点から移動を始める。その移動度は物質の化学構造によって異なり、同じ物質は同じ移動度を示すため、物質の同定が可能だ。画像4では反応後1時間から、CMCがグルコースとセロビオースに分解していることがわかる。
このセルラーゼについて、カイコウオオソコエビ10個体分を精製し、一般的な分子生物学的手法を用いて酵素学的な性質を検討した結果、カイコウオオソコエビのセルラーゼは1種類であり、分子量は約5万9000、反応至適温度は25~35℃、反応至適pHは5.6である新規セルラーゼであり、CMCとの反応において、グルコースとセロビオースを2:1の割合で生産することが明らかになった。
カイコウオオソコエビがこの新セルラーゼを用いて、木片を消化しているのかどうかを検証するため、この新セルラーゼをオガクズと反応させたところ、グルコースの生産が認められ、さらに、カイコウオオソコエビは、植物由来の生産物であるグルコース、セロビオース、「マルトース」を多く保有しており、特に、グルコースは乾燥体重の約0.4%含まれていることがわかった。
以上の結果により、生物の少ない超深海環境では、カイコウオオソコエビは、ほかの生物の死骸が落ちてくる間、流木などの植物片を食べて命を繋いでいると推測されたのである。セルラーゼ以外の酵素についても、その特性解明を進めているところだが、それら酵素は、不安定であり酵素学的な性質などの解明は今後の課題とした。
なお、今回の研究により新規に同定されたセルラーゼについては、特許出願が行われている。
今回の成果は、カイコウオオソコエビが保持するセルラーゼが、木材や紙類を含めた多種多様なバイオマス全般に対して、高いグルコース生産性を有していることを明らかにしたものだ。
木材などと反応させることによって、エタノールの原料であるグルコースを容易に取得できることから、再生エネルギーとして期待されているバイオエタノールの生産などに大きく寄与することが期待できるという。
またエネルギーを利用せず、枯れ木などから直接グルコース生産が可能であることから、生産したグルコースを食品に加工することで、世界の飢餓地域の栄養改善にも利用できると考えられるとしている。
さらに、同セルラーゼは天然由来のセルロースだけでなく、一般紙のような加工されたセルロースでも、室温でグルコースを生産できることから(画像5)、同酵素の利用範囲が広いことが示されており、今後、セルラーゼ遺伝子を取得し、大量生産を行うための研究を推進していく予定としている。
一般紙(コピー用紙)と今回のセルラーゼの反応。矢印の先に酵素溶液を滴下して、室温、15時間反応させた結果。画像5(左)が酵素反応前のコピー用紙、画像6が反応後、グルコース検出溶液(Glucose CIIキット(和光純薬))を滴下したコピー用紙。グルコースが存在する箇所が、赤く染まっている |
また、カイコウオオソコエビからは、セルラーゼ以外の酵素も検出され、有意かつ多様な特性が期待されるところだが、前述したようにそれら酵素は不安定であるため、研究の進展速度がセルラーゼに比べ遅れているのが現状だ。今後、解析方法などについて多角的に検討を進め、生活・社会に期待される成果に結び付けていきたいと考えていると、研究グループはコメントしている。