去る2011年12月10日、神戸市立青少年科学館において「レスコンシンポジウム2011」が開催された(画像1)。

画像1。神戸市水上消防署の特別高度救助隊「スーパーイーグルこうべ」に搭載されている救助資機材を見学する参加者達

レスキューロボットコンテスト(以下、レスコン)は、1995年の阪神淡路大震災を契機に生まれたレスキューロボット研究から派生してスタートした。単なるロボットコンテストにとどまらず、「技術を学び 人と語らい 災害に強い世の中をつくる」という理念の下に防災啓発活動を行っている。

そのため毎年、次回の参加チーム募集にあわせて、防災啓発活動の一環としてシンポジウムを開催している。今年も、参加者だけでなく一般も対象とし、防災をテーマとした講演や消防隊のレスキュー資機材のデモンストレーションを行った。

講演は、近畿大学の大坪義一准教授が「震災から学んだこと」と題し、神戸市長田区で阪神淡路大震災を被災した経験を公式の場で初めて語った(画像2)。

画像2。大坪義一准教授(近畿大学)

阪神淡路大震災の地震発生時、大坪氏は起きていたそうだ。地震の瞬間、稲妻が光ったように周囲が一瞬明るくなったという。次の瞬間に、淡路島の方角から、「ゴゴゴゴゴ」という不気味な地鳴りが迫ってきた。地面から突き上げられるような衝撃を受け、本棚の上から本が落ちてくる様子が、コマ送りのように見えたという。

幸い、家族は無事だった。すぐに、祖母が入院している病院へ向かったそうだ。病院内は状況を把握できない患者さんで騒然とし、階段や廊下には医療器具が散乱していた。この時、病室の窓から外を見ると、南東方向に煙が見え「エライことになる」と直感したという。

祖母の無事を確認し、病院を去ろうとしたところ、看護師さんに呼び止められ入院患者を全員ロビーに下ろす手伝いを頼まれたそうだ。

2時間の救助を終えて、自宅に戻ると自宅周辺は倒壊家屋が多く大変な状況となっていたそうだ。掛矢(建築用の大型の槌)とバールで倒壊家屋に侵入口をつくり、負傷者の救助を1日中行ったという。

大坪氏は、この日だけで病院での救助を含め50名以上を救助した。夜になって、ようやくスティックパン2本と牛乳1パック、缶コーヒーを口にできたという。「缶コーヒーのプルトップを開けることができぬほどに疲労困憊していた」と振り返った(画像3・4)。

画像3。震災当日の大坪氏の病院での救助活動と周囲の状況

画像4。自宅周辺での救助活動。当時は知識がなかったトリアージ(治療の優先度の決定)を実践していたそうだ

こうした非常時には自然と住民の気持ちがまとまり、お互い冷静に協力体制が整ったことを感じたそうだ。震災までは、隣近所と挨拶を交わす程度の交流だったのが、あの日を境に「一緒に震災をくぐりぬけた戦友」意識が芽生えたという。

大坪氏は、この震災により自然の力に脅威を感じるとともに、エンジニアとして何もできなかった悔恨が、その後、自身をレスキューロボット開発研究に向かわせたと語った。最後に、参加者に向けて、「各々に適した役割、できる仕事がある。力をあわせれば、困難は乗りきれる。レスコンの中から、ロボットの実用化アイデアと研究者が育ってほしい」と呼びかけた。