東京大学の難波成任教授らによる研究グループは、植物の病気を簡易かつ迅速、そして高感度で安価に診断する技術の設計システムを確立したことを発表した。同技術を用いた診断キットは、専門技術や特別な設備が無くても使用でき、農家や家庭で一般の人が自ら診断できるほか、現場の専門家が従来1週間以上要していた病害診断を最短1日で判定することができるようになるという。米国の科学誌「PLoS ONE」(オンライン版)に掲載された。
農業において、連作障害の原因となる土壌病害や、種子伝染性の病害を含む多くの病害が生産性向上や品質向上の障害となっている。種子伝染性の病気の被害は全世界で年間4兆円に上るとされており、土壌病原菌による被害は、世界で年に10兆円に上ると言われている。こうした連作障害を解決するためには、病原菌の判定と菌に汚染した圃場の菌が発病に達する密度かどうかを判断し、土壌消毒が必要かどうか判定し、適切に土壌消毒を行う必要があるが、そのためには菌の種類の判定と菌の密度を測定する培地が必要となる。また、空気伝染性の病気も無視できず、大豆だけでもその影響は世界で年間8000億円に上るとされており、これらについても菌の種類の判定が必要となるが、その効率的な診断法の統一的設計理論はこれまで無かった。
培地の1つに特定の微生物を検出することを目的に、それのみを生育させる「選択培地」と呼ばれるものがあり、現在では医療、食品衛生、検疫、環境、新薬開発、農業などの諸分野において、選択培地は病原体をはじめとする標的微生物を検出する手法として用いられる。
そのため、これまでにさまざまな微生物を標的とした選択培地が考案されているが、環境中の雑菌を抑制することは容易ではなく、例えば1gの土壌には約100億個の(約1000種に相当する)微生物が存在すると言われており、選択培地の開発は困難とされていた。結果として、すべての標的微生物に対して選択培地が開発されているわけではなく、また、開発されている選択培地は標的微生物以外の微生物(雑菌)も生育してしまう不完全な選択培地しか事実上存在せず、専門家による鑑識でしか雑菌の巣の中に標的微生物のコロニーを見付けることが出来なかった。
これは、専門家が長年の経験と試行錯誤に基づいて培地に加える成分を吟味し組成を編み出し選択培地を設計することでしか判断できなかったためで、偶然と幸運を伴うため、法則性がなく、1つの選択培地が次の新たな標的微生物を対象とした選択培地の開発に参考になるわけではなかった。
今回研究グループでは、あらゆる微生物に対する選択培地の開発に応用可能な、培地設計理論「SMART(Selective Media-design Algorithm Restricted by Two Constraints)」を考案。実際に、その理論に基づいて選択培地を多数設計すると同時に、これまでにないスタイルの検出系を新たに4種類開発したという。
具体的には、完璧な選択性を示す培地を開発するため、従来の培地の成分を5つの要素成分(天然由来物、炭素源、抗生物質、基礎塩類、コロニー指示薬)に分類。これを解析した結果、従来の選択培地の多くに含まれる天然由来物が、雑菌生育を助長することが判明したほか、基礎塩類に関しては5種類の塩が必要十分量であることも判明。これを踏まえ、炭素源、抗生物質、基礎塩類のみを含む選択培地を作ることを目的に、炭素源および抗生物質の2つの制約(two constraints)により標的微生物のみ選択的に培養できる培地の設計アルゴリズムとしてSMARTを確立したという。
研究では、SMART法によって設計される一連の培地「SMART培地」を用いて、イネの重要病害の1つであるイネもみ枯細菌病の病原細菌(Burkholderia glumae:Bgl)をモデルにSMART培地を開発、SMART法の有効性を確認した。
まず、添加すべき炭素源と抗生物質を、「基礎塩類に20種類の炭素源と10種類の抗生物質をあらゆる組合せで加えた培地上でBglのみが生育出来る炭素源と抗生物質の組合せを決定する」方法と、「Bglのゲノム情報を利用し、エネルギー源になる炭素源と使用できる抗生物質を選定する方法」の異なる2つの方法を用いて決定。
この結果、2つの方法で決定した炭素源と抗生物質の組合せは一致し、SMART法による炭素源と抗生物質の設計にはゲノム情報による予測が可能であることが示された。
この場合、「D-ソルビトール」を炭素源に、「アンピシリン、セトリモニウム、クロラムフェニコール」を抗生物質として選択し、基礎塩類に加え、Bgl選択培地としたという。
SMART法を踏まえて新たに開発した診断系は以下の4つ
- プレート型選択培地
- カード型選択培地
- 色の変化する液体選択培地
- その中の菌体数を瞬時に計測する装置
感度は、従来の選択培地に比べ、カード培地と液体培地は10倍、プレート培地と菌体数計測装置は100倍で、液体培地と菌体数計測装置の組合せは1日で結果が分かるため簡易・迅速・高感度なものとなっている。
感度・コスト面に着目するとプレート培地が、簡便性・コストに着目するとカード培地が優れているとしており、先端技術とされる遺伝子検査法は、従来の選択培地に比べ、むしろ感度が低く、1/10で、例えばカーネーション萎凋細菌病の場合、1gの土壌に6000個の病原細菌がいる場合に発病するとされているが、「従来の遺伝子検査法」や「従来の選択培地法」では検出感度が足りないため判定不可能だが、今回開発した4種類の方法のどれでも判定可能であると研究グループでは指摘するほか、プレート培地や菌体数計測装置により発病レベルにまで菌が増えている場合に土壌消毒すればよいので、減農薬につながるというメリットもあるとしている。
さらに、これらの方法を用いた診断キットは、専門技術や特別な設備が無くとも使用でき、農家や家庭で一般の人でも診断が可能で、植物病院開発の診断をサポートする分かりやすい「診断カード」とセットで使うことで、これまで1週間以上要していた診断であっても最短1日で判定できることから、この診断結果をもとに専門家に相談することで人手を減らし、手が回らず対応に困っている現場の専門家も、対処法を的確に助言できるようになると研究グループでは指摘する。
なお、種子検査の場合、非破壊的なため全粒検査が可能となり、健全と確認された種子だけを播けば理論上病気は発生しないとするほか、同技術は、医療現場における診断や検疫現場における迅速な検査、食品の安全衛生検査のみならず、環境中から有用微生物(ダイオキシン分解菌など)の効率的な発見も容易となり、医薬・植物薬などの新薬開発(スクリーニング)への応用などにも活用が期待されるという。