「Appleに投げたボールがいつまでも返ってこない。しょうがないからAdobeがもう一度、新しいボールを用意したんだ」 - 昨年11月、Adobe SysetmesでFlashのプロダクトマネージャ Richard Galvan氏は小誌のインタビューにこうコメントした。iPhoneでのFlashサポートを一向に検討しようとしないAppleに対し、Flashサポートを強く望むユーザの声を無視できなくなったAdobeは、Flash Professional CS5でiPhoneネイティブアプリを構築できる機能「Packager for iPhone」を用意した。Flash開発者たちがこの"新しいボール"に驚喜したのは言うまでもない。だが、AppleはAdobeが再三投げたボールを打ち返すどころか、なんと場外に遠く投げ捨ててしまったのである。iPhone OS 4 SDKでの大幅なライセンス条項変更を知ったAdobeは、さすがに次のボールを用意する気力を失ってしまったらしい。すでにご存じの通り、AdobeはPackager for iPhoneの開発打ち切りを発表、今後は新たな機能追加を行わないとしている。
そして、ちょうどこの発表に合わせるかのように、Shantanu Narayen CEOを含むAdobe本社エグゼクティブ5名が来日、揃って4月22日の戦略発表会に出席した。メンバーはNarayen CEOのほか、Flashプラットフォーム事業を統括するコーポレートデベロップメント担当上級副社長のPaul Weiskopf氏、CS5などクリエイティブソリューション事業部門を担当する上級副社長兼ゼネラルマネージャのJohn Loiacono氏、昨年9月にAdobeに買収されたOmnitureの元CEOで現在はオムニチュアビジネスユニットを率いる上級副社長兼ゼネラルマネージャのJosh James氏、AcrobatやLiveCycleなどエンタープライズソリューションを担当するビジネスプロダクティビティ事業部担当上級副社長兼ゼネラルマネージャのRob Tarkoff氏 - Kevin Lynch CTO以外の同社の重要人物がほぼ一堂に会した格好だ。
この5名が行ったプレゼンテーションは、もちろんそれぞれが担当するビジネスについてのビジョンと戦略が中心だったのだが、ある共通するメッセージが全員の発表内容に織り込まれていた。Adobe製品で作成/配信するコンテンツはあらゆるデバイスで動く - これはAdobe製品であるための必要条件と言ってもいい。そしてこの条件は、Appleがユーザやサードパーティに対して示し続けている"Apple純正以外はすべてダメ"という方針とまったく相反するものだ。
以下、各氏のメッセージを簡単にまとめておこう。
Shantanu Narayen氏
Adobeの顧客はクリエイティブプロフェッショナルはもちろんのこと、アプリケーション開発者、エンタープライズユーザ、ナレッジワーカー、そして今ではオンラインマーケッターや広告主までも含まれる。つまり、コンテンツを作成し、それを配信し、効果を最適化するところまでAdobeがソリューション提供を一貫して行うということだ。そしてそのコンテンツが動作するプラットフォームは、デスクトップ、ノートブック、ゲーム機、携帯端末、TVといった端末も、あるいはOSも問わない。あらゆる機器であらゆるコンテンツが見られる、それがAdobeの目指すところだ。
Paul Weiskopf氏
Flashは全世界で圧倒的な普及率を誇り、今やWebのデファクトスタンダードと言ってもよい。開発環境も統合されている。あと2、3カ月後にリリース予定のFlash Player 10.1とスタンドアロンのAIR 2では、いずれもスマートフォン対応をより強化し、クロスデバイス化を進めていく。Andoroid、BlackBerry、Palm、Windows MobileなどFlash対応のプラットフォームは増えており、またスマートフォンから大画面TVまで、マルチデバイスでFlashコンテンツを動作させる「Open Screen Project(OSP)」への賛同パートナーも増えている。デバイスを問わずにシームレス&リッチなエクスペリエンスをユーザに届けるのがFlashプラットフォームだ。
John Loiacono氏
5月にリリース予定のCS5は、すべてのクリエータにとって"必要不可欠"なツールだ。ロトブラシやテキストレイアウトフレームワークなど、超一流のプロのクリエータにさえ「魔術としかいいようがない」と言わしめる機能が詰め込まれている。ただし、それだけでは十分なツールとならない。CS5で作成した作品を開発者やWebデザイナーが加工し、ターゲットユーザを定めて配信し、ユーザに見てもらい、反応を分析する - Adobe製品によるこのワークフローが完成してこそCS5はその役割を果たすことになる。
Josh James氏
Omnitureは日本でも多くの顧客と良い関係を築いてきた(同日、NHKオンデマンドによるOmniture SiteCatalyst採用事例が発表された)。ビジネスモデルは、ネット広告の分析→最適化→測定→分析…とするループによりコンバージョンと広告投資の最適化を実現、顧客の収益を拡大するというもの。デルタ航空は効果的なプロモーションを行うことで年間1,300万ドルの売上増加を果たし、翔泳社はメールマガジンのクリック率が700%向上した。"開発と提供"で市場をリードしてきたAdobeと、"解析と最適化"で市場をリードしてきたOmnitureの統合は、これまでにないユニークな効果を生みだすだろう。
Rob Tarkoff氏
(エンタープライズ事業の)2010年はドキュメントコラボレーションとカスタマーインタラクションソリューション(CIS)に注力し、企業のTCO削減に貢献する。もはや紙からデジタルへの移行は止めようがなく、また、チーム生産性の向上が注目されている現在、Flashエンジンを組み込んだAcrobat 9とコラボレーション環境を提供するAcrobat.comは、あらゆるデバイス/スクリーン上でドキュメント共有を可能にする。CISに関しては、効果を直感できる快適な操作性を備えた、ユーザの積極参加促すアプリケーションを構築し、生産性向上を実現するワークフローをLiveCycleなどを使って完成させたい。
Omnitureを手に入れたことでAdobe製品で構築されるクローズドループはひとまずの完成形を見たといえる。今後はより深い部分でのOmnitureと既存のAdobeポートフォリオとの統合が求められることになるだろう。
Appleとの関係ばかりが取り沙汰されるのはAdobeの本意ではないことはわかっているが、どうしても注目はそこに行きがちだ。いくらAdobeが他のスマートフォンベンダやキャリアとの良好な関係を主張しようとも、そこにiPhoneを擁するAppleの名前がないという事実は、Adobeのめざす"クロスプラットフォーム"を決して実現させないことをユーザはよくわかっているのだ。あまりに閉ざされた環境を開発者やユーザに強要するAppleの方針に疑問を呈する向きは少なくない。だが、そんなアンチApple派でも引きつけられずにはいられないほど、iPhone/iPadはたまらなく魅力的なデバイスだ。この上でFlashが動いたら……と考えないAdobe関係者はいないだろう。
だが、クロスプラットフォームを捨てることはAdobeにとってはFlashを捨てるも同じだ。そしてAdobeは今回、Appleと距離を置くという選択をした。このタイミングで経営幹部がそろってクロスプラットフォームの重要性を強調してみせたのも、かつては蜜月関係を築いていたはずのAppleに対する宣戦布告と受け取れなくもない。もしかしたら何らかの勝算があってのことなのかもしれない。いつか「技術的な問題がクリアされたのでiPhone/iPadでFlashをサポートすることにした」とAppleからさらっと発表されたりする日はくるのだろうか。