「鉄道の車掌から、ITエンジニアへ転職」――店舗のデジタル化を支援するサービスを展開するSTORESに務める永尾優典さんは、一瞬耳を疑うような異色の経歴を持つ。列車に乗務し、発進・停止の信号確認や、旅客に対して乗降の案内などをしていた車掌さんが、なぜ“ITエンジニア”という職業を志すようになったのだろうか。
本連載のタイトルでもある「どうして、私(あなた)がエンジニアに?」という質問を抱え、永尾さんに直接話を聞きに行った。本稿を読み終えた後、未経験者でもIT業界で活躍できるということを理解してもらえるはずだ。もしくは、彼の好奇心と行動力に圧倒され、しばらくは放心状態になるかもしれない……。
乗客から3回殴られたが“天職だった”駅員時代
三重県出身の永尾さんが新卒で入社したのは東海旅客鉄道(JR東海)。名古屋駅に配属され、最初の3年間は駅員として窓口や改札口、ホームなど、駅の各所で切符の出札や乗り越し運賃の精算などを行っていた。
「鉄道に対して強い興味を持っていたわけではありませんでした。入社してから初めてJR東海の電車に乗ったほどです。ですが、旅客と直接関わり笑顔を見ることができる駅員の仕事に憧れはありました。また、旅行好きなので『JR東海の在来線なら乗り放題』という福利厚生にも惹かれましたね。休みの日は昼寝をするためだけに乗車していました(笑)」と、永尾さんは入社したきっかけを話す。
駅員としてのキャリアをある程度積んだ永尾さんは、入社4年目から車掌業務を行うようになった。東海道本線の名古屋駅~静岡駅間を乗車し、発進や停止の信号確認、旅客に対するアナウンスなど行い続ける日々だったという。
「駅員も車掌も運転手も出勤日はだいたい24時間勤務です。途中で1~3時間くらいの仮眠は取れますが、ほとんど寝ずに業務をこなしています。トラブル対応も頻繁にありました。自分は合計3回は殴られたことがあります……。でも、プライドは母のお腹に置いてきているので、かっとならずに優しく対応できましたね(笑)。そういった意味では駅員や車掌は天職だったと思います」(永尾さん)
肉体的にも精神的にもハードな職業とされる鉄道業だが、人と心を通わせることが好きな永尾さんは「天職だった」と胸を張る。そんな彼が一体なぜITエンジニアを志したのだろうか。
車掌がなぜ“ITエンジニア”の夢を見たか
きっかけは長い通勤時間だった。三重県の実家から名古屋駅まで通っていたため、通勤時間は往復で2時間以上だったという。読書好きの永尾さんは、小説の力を借りて通勤の体感時間を減らしていた。しかしある日、ふとしたことに気づく。
「小説ではなく知識をつけられるような本を読めば賢くなれるんじゃないか。最初はそんな安易な考えでしたが、鉄道業界という閉ざされた環境にいた自分の知識を広げるいいきっかけになると思いました」と、当時を振り返る。
最初に手を付けた分野は法律書。ゴール設定をしないと続かないだろうと思った永尾さんは、憲法・民法・刑法がひと通り学べて、かつ身近な不動産に関する知識を習得できる「宅地建物取引士(宅建)」の資格を取ることを決意。宅建の参考書を通勤時間に読み続け、半年後には資格を取得した。
そして次に手を伸ばしたのが、プログラミングに関する参考書だった。
「もともとモノづくりが好きだったこともありますが、身近なスマホアプリやITサービスがどのような仕組みで動いているのかに興味を持ちました。最初は簡単な本を読んでいましたが、次第に手を動かしてみたくなり、電車の中でMacBookを開いてプログラミングに挑戦し始めました。いつもより1時間早い電車に乗って、絶対に座れるようにしていましたね」(永尾さん)
約1年間で15冊ものプログラミングに関する参考書を読破し、独学でアプリを5つほど作った永尾さん。しかもガタンゴトンと揺れる電車の中で。そして「自分の手で実際に動くものが作れること」に魅せられた彼は、IT業界への転職を決意。プログラミングの勉強だけでなく業界研究を重ね、6年と6カ月もの間被っていた制帽に別れを告げた。
ITエンジニアになって初めて気づいたこと
退職後の約半年間はプログラミングの勉強に没頭した。友達からの遊びの誘いにすぐ乗ってしまうという永尾さんは、あえて三重県から上京。缶詰め状態で参考書を読み漁り、独自にアプリをいくつも開発した。「働きながらの片手間の勉強で、エンジニアを目指すのは正直厳しいなと思って上京しました」(永尾さん)
そしてついに半年間におよぶ準備期間を経て、とある冷凍食品事業会社に転職することに。見事、ITエンジニアデビューを果たした。「Ruby on Rails」や「React」というプログラミング言語を用いて、ECサイトの開発などを担当した。
「転職する前は、ITエンジニアという職業に対して『パソコンとにらめっこして、黙々と作業を進める』といった勝手なイメージを持っていました。ですが、実際のITエンジニアは、思っていた以上にコミュニケーションを活発に取りながらプロジェクトを進めていました。自分はどちらかというとコミュニケーションを取りながら仕事をしたい派だったので良かったです」と永尾さんは転職後のギャップを振り返る。
転職後のギャップはいいものばかりではない。ITエンジニアの難しさも実感した。「プログラミング言語を学んできたはずなのに、先輩が書いたコードが理解できないことも多かったです。やっぱり参考書だけでは現場レベルの応用は学びきれないなと実感しましたね」(永尾さん)
そして、ITエンジニアとしてのキャリアをスタートさせてから1年後、産業用ロボットの導入プラットフォームを扱う、愛知県のスタートアップからスカウトされた。四日市市出身だった彼は同業界に強く関心を持ち2度目の転職を決意。
従業員数は3名で、創業してからまだ半年しか経っていないスタートアップの熱意に惹かれた永尾さん。2週間以内に二つ返事をし、愛知の賃貸物件を内見せずに契約したという。「リモートワークでもいいよと言われましたが、密なコミュニケーションが大事だと思ったので、毎日出社できる環境に身を置きました」(永尾さん)
この会社ではシステムの開発業務だけでなく、営業や人事も兼任。「良くも悪くも、業務に対してこだわりがなかったので、何でも屋として働いていました。会社が成長していくのが一番楽しかったので、ユーザーが求めることなら何でもコミットしたい思いでした」と振り返る。
未経験者と技術者をつなぐ橋渡し役に
その1年半後の2023年5月、STORESへ転職。前職のときと同様にスカウトされて転職を決めた。「駅員時代に参加したITエンジニアの採用イベントを主催していたのがSTORESでした。会場にいた人はほとんどが経験者で、『鉄道業界』というネームカードをぶら下げていた未経験は私くらいでした。ですが、STORESの社員さんは、未経験の私に対しても熱心に、そして優しく接しくれました。そんなSTORESからスカウトが来たので、『恩返しをしたい』という気持ちで転職を決めました」と、永尾さんは振り返る。
STORESでは、ECサイトを手軽に作れるサービスの開発を担当。また、再び「Ruby on Rails」が主に使用するプログラミング言語となった。現在はフロントエンドとバックエンドを区別することなく、横断的に開発業務を行っている。「本当に優秀な人が多いです。圧倒的な実装力を持っているだけでなく、人間味がある人が多い。大規模でありながらもスタートアップの気質を持っている雰囲気も自分に合ってると思います」(永尾さん)
これからの目標についてはどうだろうか。永尾さんは目を輝かせてこう答えた。
「自分は鉄道業界という全く別の業界からITエンジニアになったので、人一倍“未経験者”の気持ちが分かると思います。その経験を生かして、小難しい話をかみ砕いてできるだけ分かりやすく説明できるような、未経験者と技術者をつなぐ橋渡し役になっていきたいです」
そして最後に、異業種からITエンジニアを目指す人に向けてのアドバイスを聞いてみた。
「何かを始めようとすることに年齢も関係ありません。恐れずにまずは一歩を踏みだすこと。楽しそうだなと思ったことを諦めて、違う努力をすることのほうがモヤモヤすると思います」