「もっと収入が増えれば、今より幸せになれるはず」――そう考えたことがある人は少なくないでしょう。では実際、年収が上がるほど幸福度も高くなるのでしょうか。

かつて「一定の年収を超えると幸福度は頭打ちになる」とした研究と、「所得とともに幸福度は上がり続ける」とした研究。その"真逆の結論"を出した研究者たちが共同研究でたどり着いた答えとは。

『不安通貨 貯金や投資で消えない「お金の不安」を最新科学で解決』(櫻井かすみ/Gakken)から抜粋して紹介します。

ノーベル経済学者カーネマン&キリングスワースが解明した真実

「お金があれば幸せになれるのか」。この問いは、恐らく人類の歴史と同じくらい古いテーマです。哲学者も経済学者も、そして私たち一人ひとりも、どこかでこの問いを胸に抱えて生きてきました。近年、幸福学や心理学、行動経済学といった分野が、この問いに対する答えを科学の言葉で少しずつ整理してくれています。

結論はとてもシンプルです。お金は、幸せを直接作り出すものではありません。しかし、お金が足りない状態は、幸せを遠ざけてしまいます。

そして、その「幸福」とはどんなものかというと、研究が繰り返し示しているのは「幸福とは何かをどれだけ手に入れたかではなく、"自分がどう感じているか"によって決まる」ということです。

こうした長年の議論に決定的な転機をもたらした研究があります。2023年に発表された、ダニエル・カーネマン、マシュー・キリングスワースらによる共同研究です。

カーネマンはノーベル経済学賞を受賞した行動経済学の巨人。彼は2010年共同研究で、「年収約7万5000ドル(当時のレートで約700万円前後)を超えると、日々の感情的な幸福度は頭打ちになる」という有名な結論を導きました。お金が増えても、ある水準を超えると日常の幸福感はもう変わらない。この発見は世界中で大きな話題になり、「幸福には天井がある」という考え方が広く知られるきっかけになりました。

一方、キリングスワースは2021年の研究で、まったく異なる結論を示します。所得が上がり続ければ、幸福度も右肩上がりで伸び続けるというのです。頭打ちなど存在しない。お金と幸福は、もっと素直な関係にある、と。

2人の権威ある研究者が、真逆の結論を出していたわけです。

どちらが正しいのか。その答えを出すために、2人は手を組むことを決めました。かつてのライバルが共同研究に取り組む。「敵対的協力」と呼ばれる、学術界でも異例の手法です。

2023年に発表されたこの共同研究は、両者の主張を統合する画期的な結論を導き出しました。その結論は次の通り。

【所得が増えると幸福度は確かに上がり続ける。しかし、その上がり方は次第に緩やかになっていく。年収が上がるにつれて幸福の「伸び率」は鈍くなる。さらに注目すべきことに、ある調査では高所得であっても幸福度がほとんど上がらない層が全体の約15~20%いること、つまり約5~6人に1人の割合でいるということが判明。その層に共通していたのは、失恋や大切な人との死別、臨床的なうつ病など、「お金では解消しきれない深い苦しみ」を抱えていること。お金は人生を支える重要な力になる。でも、人間の苦しみのすべてを解決できる万能薬ではない。】

つまり、この研究がたどり着いた結論を一言でまとめると、こうなります。「お金そのものが幸せをつくるわけではない」。でも、不幸の下限を決めているということ。

わかりやすくたとえてみましょう。お金は幸せそのものではなく、幸せが育つための地面のようなものです。地面がしっかりしていれば、その上で人は笑ったり、挑戦したり、誰かと楽しい時間を過ごしたりできます。でも地面が崩れそうな状態では、落ちないようにすることで精一杯です。幸せを味わう余裕など、どこにもありません。

毎月の支払いに追われ、将来への不安で頭がいっぱいになったとしたら、「落ちないようにすること」で精一杯になる。そうなると、人は幸せを感じる以前に、「生き延びること」にエネルギーを使わざるを得なくなります。

長い間、「お金があっても幸せになれない派」と、「お金がないと不幸になる派」は、対立するように語られてきました。しかし、この研究は、その両方を1つにつなげたのです。お金があっても、それだけでは幸せにはなれない。でも、お金が足りないと、確実に不幸になりやすい。

つまり、どちらも正しかったのです。そして本当に大切なのは、「お金を何のために使うのか」という視点でした。お金を増やすことだけを人生の目的にすると、幸福は思ったほど増えていきません。けれど、お金を「安心を支える土台」として捉え直したとき、人は初めて、幸せを感じる余白を持てるようになります。

収入が増えると、他者との比較が増えてしまう

「お金があればもっと幸せになれる」。そう信じて、私たちは働き、学び、貯め、増やしてきました。でも実際には、収入が増えても資産が増えても、思ったほど心が満たされないと感じる瞬間があります。それどころか「これで本当に大丈夫なのだろうか」という不安がかえって増してしまう人も少なくありません。

なぜでしょうか。その答えは、幸福感を本当に左右している要因が、金額の大小とは別のところにあるからです。お金が増えると、できることや選択肢は確かに増えます。好きな場所に住める、好きなものが食べられる、将来への備えも厚くなる。

けれども「安心した」「満たされた」「納得できた」という実感は、金額に比例して増していくわけではありません。人の幸福感を本当に左右しているのは、誰かとつながっているという感覚、自分で選んでいるという実感、心身が健やかであること、将来に対する漠然としたゆとりといった、お金では〝直接買うことのできない〟要素なのです。

思い出してみてください。初めてのボーナスをもらった日のことを。封筒を開けた瞬間、あるいは口座に振り込まれた額を見た瞬間のあの嬉しさ。あの感覚は、10年後、20年後のボーナスでも同じだったでしょうか。もし今は金額が最初の2倍になっていたとしても、喜びは2倍にはなっていないはずです。

最初のころは「やった、自分のお金だ!」と純粋に喜べたのに、いつしか「手取りからいくら天引きされた」「去年より増えたのか減ったのか」と数字の精査が先に来るようになっていた……。そんな方も少なくないのではないでしょうか。

なぜ、お金が増えても満たされなくなるのか、この変化は、決してあなたの感覚が鈍くなったからではありません。むしろ、人として自然な反応なのです。人は「慣れる生き物」。心理学ではこれを「快楽順応(「ヘドニック・アダプテーション」あるいは「ヘドニック・トレッドミル」とも)」と呼びます。最初は特別だった収入も、やがて"当たり前"になっていく。当たり前になると、そこにあった喜びや安心は感じにくくなります。

さらに問題なのは、収入や資産が増えるほど「比較」が始まることです。

  • 同じ会社のあの人より少ないかもしれない
  • もっと稼いでいる人がいる
  • SNSではもっと豊かそうな人が目に入る

こうして、お金は本来の役割である「生活を支える手段」から、「自分の価値を測る物差し」へとすり替わっていきます。そして気づかないうちに、「まだ足りない」「もっと必要だ」という感覚に追い込まれていく。これが、"お金の不安が消えない構造"です。

心理学の研究では、幸福に影響を与える要因として一貫して指摘されてきたものがあります。人間関係の質、健康状態、社会的なつながり、そして自分自身の行動に対する納得感です。これらはどれも、所得が増えれば自動的に手に入るものではありません。年収が1000万円になっても人間関係が希薄であれば孤独感は消えませんし、いくら資産があっても「これは自分が選んだ人生だ」と思えなければ、心の満足にはたどり着けません。

どれだけ稼いでも、どれだけ増やしても、それだけでは必ず幸せになれるとは限りません。

これが「お金があれば幸せ」という考えが成り立たない本当の理由です。

お金にできない期待までするから、おかしなことになる

ただし、ここで大切なことがあります。「お金なんていらない」「お金は幸せに無関係だ」という話では決してありません。お金が足りない状態は、不安や制約を生み、幸せを感じる余地そのものを狭めてしまいます。日々の生活費が足りない、将来の見通しが立たない、毎月ぎりぎりで息つく暇もない。こうした経済的な不足は幸福度を確実に削ります。

この位置づけを取り違えたとき、私たちは奇妙な矛盾に陥ります。お金を増やしているのに安心できない。正しいことをしているはずなのに不安が消えない。その矛盾の正体は、本来お金には果たせない役割を期待しすぎていることにあります。

では、私たちはお金とどのように向き合えば良いのでしょうか。答えは簡単で、お金を「増やす対象」ではなく「整える対象」として見ること。いくら増やしても不安が消えない人と、そこまで多くなくても安心して生きている人の違いは、持っている金額ではなく、お金との関係性にあります。

不安に追われて使うお金は、いくらあっても足りない。安心から選ぶお金は、少なくても満たされます。だからこそ大切なのは、「いくら持っているか」ではなく「どんな状態でお金を使っているか」なのです。お金は、人生の主役ではありません。でも、人生の土台にはなります。その土台の上で、何を感じ、何を選び、誰と生きるのか。それを決めるのは、いつだって"自分自身"です。

ここから先に必要なのは、もっとお金を手に入れることではありません。お金と幸せの関係を正しく理解し直すことです。お金の役割を正しく位置づけることができたとき、お金は不安の源ではなく、自分の人生を支える力強い味方として、初めてその本来の力を発揮し始めてくれます。

高所得でも幸福度が低い人がいる理由

「年収が高い人ほど幸せなのか?」。そう聞かれると、多くの方が「きっとそうだろう」と感じるかもしれません。確かに、お金が増えれば生活は安定しやすくなります。しかし現実は、どうやらそれほど単純な話ではないようです。

例えば、高級マンションに住み、周囲からは「成功している人」に見られていても、夜になると、「もっと結果を出さなければ」「今の生活を維持できなくなったらどうしよう」そんな不安で眠れなくなる人もいます。

アメリカのギャラップ社が世界規模で行った大規模な幸福度調査では、興味深い結果が報告されています。高所得者ほど「自分の人生はうまくいっている」という人生全体への評価は高い傾向にありました。しかし同時に、日々のストレスや不安、怒りといったネガティブな感情が低くなるとは限らないことも明らかになったのです。「人生を振り返れば順調だ」と頭では思っていても、毎日の暮らしの中では心が落ち着かない、安心できない。そういう状態が、高所得者にも珍しくないということです。

なぜこんなことが起こるのでしょうか。高所得者ほど、仕事の責任が重く、常に成果を求められ、自由に使える時間が少なく、競争や比較にさらされ続けるという環境に置かれやすいことが指摘されています。収入が上がるにつれて期待されるパフォーマンスも上がり、プレッシャーも増大していきます。その結果、生活水準は高いのに心が休まらないという、一見矛盾した状態に陥りやすくなるのです。

国際的な視点でも、同じ傾向が確認されています。OECD(経済協力開発機構)は人間の幸福を、「所得」「生活の質」「主観的な満足感」という3つの柱で捉えるモデルを採用しています。そこで一貫して指摘されてきたのは、所得が一定の水準を下回ると幸福度は大きく下がるということ。

特に長時間労働、睡眠不足、人間関係の希薄さ、心身の不調がある場合、高所得であっても幸福度は低下するといわれています。

OECDは所得の役割をこう位置づけています。「所得は人生の選択肢を増やすが、それ自体が幸福を保障するわけではない」。お金は困らないための条件にはなっても、満たされるための答えにはならないということです。

複数の調査では、経済的に恵まれた富裕層であってもある一定数が「今の人生に十分満足していない」と回答していることが報告されています。お金があるからといって、全員が幸せなわけではないのです。

ギャラップ社とOECD。立場の異なる2つの調査機関が共通して示していることをまとめると、こうなります。お金が増えると人生全体の評価は上がります。でも、日々の安心感や感情の安定は、お金だけでは守れないことがあります。幸福度を本当に左右しているのは、お金の額以上に、人間関係の質、心身の健康、自由な時間、そして自分でコントロールしているという感覚なのです。

高所得であっても不安が消えない人は、お金の力が足りないわけではありません。お金にはできない領域にまで、お金に役割を求めてしまっていることが原因なのかもしれません。

そのような場合、お金の役割を正しく切り分けることが解決の糸口となるケースがあります。お金で解決できることと、お金では満たせないことを、はっきり分けて考える必要があるということです。

例えば、生活の安定や安心、選択肢の広がり、未来への備えといった「土台」は、お金が支えてくれます。こうした基盤が整うことで、私たちは日々の不安から解放され、人生を前に進める余裕を持つことができます。

一方で、安心できる人間関係や、自分らしくいられる時間、意味ややりがいを感じる生き方といったものは、お金では直接作ることができません。

それにもかかわらず、私たちは不安を感じるたびに、「もっとお金があれば解決できるのではないか」と考えてしまいます。しかし実際には、お金で埋められない領域の不安まで、お金で解決しようとしていることが少なくありません。

だからこそ必要なのは、お金を増やすことではなく、お金の〝使いどころ〞を変えることです。不安を埋めるために使うお金には終わりがありませんが、安心を育てるために使うお金は、人生を確実に豊かにしていきます。

お金は、人生を満たす"答え"ではありません。しかし、人生を整える"土台"にはなります。その土台の上で何を大切にして生きるのか。その選択こそが、あなたの幸福を作っていくのです。

『不安通貨 貯金や投資で消えない「お金の不安」を最新科学で解決』(櫻井かすみ/Gakken)

なぜ、お金が増えても不安は消えないのでしょうか。十分な貯蓄があっても将来が不安な人。高収入でも満たされない人。一方で、収入がそれほど高くなくても安心して暮らしている人。その違いは、お金の額ではなく、「お金との向き合い方」にありました。本書では、近年世界的に注目されているファイナンシャル・ウェルビーイングを中心に、幸福学、心理学、行動経済学、経済学の研究成果をもとに、科学的に解き明かします。なぜ不安はなくならないのか、お金と幸せはどのように関係しているのか、どうすればお金に振り回されずに生きられるのか…、本書を通じて解決へと導きます。