かつて東アジアを代表する国際ハブとして存在感を示した成田空港。しかしコロナ禍を経て世界の航空ネットワークが再編されるなか、日本の「世界への玄関口」としての地位は韓国・仁川に取って代わられつつあるといいます。
なぜ日本の空だけが世界の回復から取り残されたのでしょうか。『空の地経学戦略 日本の経済安全保障と航空サプライチェーン』(伊藤恵理,鈴木均/日本経済新聞出版)から抜粋してご紹介します。
戦略なき日本の空
パンデミックが映し出した日本の航空ネットワークの空洞化
コロナ禍を経て、世界の航空輸送網は大きく再編され、米中の空には地経学戦略を垣間見ることができた。しかし、日本の空のネットワークは、縮小しているのだ。
コロナ禍前後の2019年10月と2023年10月を比較すると、日本のFIR(福岡FIR)を通過する航空ネットワークの規模は約5%縮小しており、コロナ禍前の水準にすら戻っていない。その規模は米国のわずか13%、中国の約半分にとどまる。上位空港の顔ぶれを見ると、2019年、2023年ともに羽田、成田、韓国・仁川、関西が中心だが、2023年には韓国・釜山(金海)や米アンカレッジが新たに上位に入り、上海と香港が順位を落とした。中国をつなぐ国際便の減少が、その構造変化を象徴している。
一方、「日本+1ネットワーク(日本と世界のつながり)」も同様に弱体化した。2019年と比べて2023年は8%縮小し、米国の61%、中国の93%の規模にとどまる。かつて「日本の世界への玄関口」として君臨した成田空港は、2019年に近接性の指標で首位だったが、2023年には14位に後退した。そして、その座を韓国・仁川が奪った(近接性で首位)。
つまり、いまや「日本の世界への玄関口」は韓国・ソウルである。日本の空を通過する国際便の比率は10%程度と変化がないが、その通過の向き、すなわちフローが変わった。成田を経由して米国とアジアを結んでいた流れが、今や仁川を経由するようになっている。 実際、成田発の米国路線が減少し、韓国経由での日本就航便が増えている。グローバル航空ネットワークにおいて、かつて東アジアで最も高い存在感を誇った成田(2019年:媒介性14位、近接性12位)は、2023年には21位・20位へと低下。代わって仁川が台頭し(媒介性17位、近接性17位)、日本は東アジアの結節点としての地位を明け渡した。
グローバル航空ネットワークが拡大する一方、日本の空は、縮小している。もはや「自然回復」を待つ段階ではない。
仁川に奪われたハブ機能
時系列で見ると、日本の航空ネットワークの凋落は、パンデミックによる一時的なものではなく、構造的な後退であることがわかる。
2020年4月、航空旅客が途絶し、世界の航空ネットワーク規模が半減するなか、東アジアでは中国、韓国、日本が存在感を増した。羽田は隣接性5位、接続性25位と好調だったが、ネットワーク規模は日本国内で56%、日本+1で40%以下に縮小した。米中主要空港との結節は強かったが、欧州とのつながりは細くなった。
特筆すべきはこの時期、成田が近接性指標で仁川に逆転されたことである。すなわち、2020年春を境に、「日本の世界への玄関口」が成田から仁川へと移ったのだ。
以降、回復局面でも日本は取り残される。2020年12月、世界ネットワークは9割近く回復したが、日本は7割台にとどまる。2021年以降もグローバルでは拡大傾向が続いたが、日本は常にコロナ禍前の7割台にとどまり、存在感を回復できなかった。
2021年末時点で、成田は媒介性19位・近接性19位とわずかに持ち直すが、羽田は隣接性15位へと低下した。欧米中心の回復局面で成田が息を吹き返す一方、中国路線依存度の高い羽田は地盤沈下した。仁川も同様に順位を下げたが、それでも日本を上回る位置にある。日本は米中を中心とする世界の航空貨物ネットワークにおいて、「迂回される国」へと変貌しつつある。
航空輸送量という「実際の物流の重み」で見ても、日本の存在感の低下は明白だ。2019年、羽田発の国内路線(新千歳・福岡・伊丹・那覇)は輸送量上位を占めたが、国際路線での存在感は小さい。成田も輸送強度の指標で29位にとどまり、アジア太平洋のハブとは言いがたい。2020年4月には成田―上海浦東が上位5位に入るが、韓国・仁川や台湾・桃園が急上昇し、上海浦東が世界首位(輸送強度1位)となった。
以降、羽田、成田ともに順位を落とし、2021年にはいずれも上位10位圏外に沈む。一方で、インド・デリーが急伸(輸送強度15位)するなど、アジアの重心が、確実に南へ移っている。かつて羽田が担った「国内拠点としての圧倒的輸送量」は健在だが、国際輸送における重みは消えつつあるのだ。
羽田と成田の二都物語と「接続不全」
コロナ禍を経て世界の航空ネットワークが再構築されるなか、日本は縮小を続けている。この構造変化を決定づけた時期にあたる2020年、象徴すべき出来事は、デルタ航空の成田撤退と羽田シフトである。
コロナ禍以降、成田から常時の直行便がなく、羽田のみ就航している西側主要都市が急増した。2026年4月現在、代表例は以下の通りである。
- 米国:デトロイト、アトランタ、ボストン、ミネアポリス、サンノゼ
- 欧州:ロンドン、ミラノ
一方で、羽田から常時の直行便がなく、成田のみ就航している非西側諸国の都市も多い。 東南アジアのダナン、シェムリアップ(カンボジア)、セブ、南アジアのベンガルール、中東のアブダビ、オーストラリアのケアンズーーいずれも、羽田からは安定的に飛べない。 つまり、米欧主要都市とアジア・中東の成長都市を「ワン・トランジットで」結べる都市は、いまや東京ではなくソウルなのである。
世界との近接性において成田は仁川に追い抜かれたが、アジア環太平洋地域の航空輸送取扱量においてもハブ空港としての重要度を低下させた。羽田はパンデミック期間中においても日本の国内空港との航空輸送量が大きく、重要な空港ではあるが、世界と日本をつなげるハブ空港の役割を担えていない。両者の機能分担は曖昧なまま、成田、羽田の両空港がアジア環太平洋地域のハブ空港になりきれず、日本の航空ネットワークが縮小しているのは問題である。
日本の空は、いまや「戦略なき空」である。地経学的にも経済的にも重要性を増す航空ネットワークのなかで、日本を世界の"結節点"にすることができるのか。国家としての意思決定とリーダーシップが求められる。
『空の地経学戦略 日本の経済安全保障と航空サプライチェーン』(伊藤恵理,鈴木均/日本経済新聞出版)
「空を制する者は、世界を制す」――。現代社会に不可欠な半導体とその製造装置、ノートPCやスマートフォン、医薬品・ワクチンなど貴重な戦略物資は、どれも航空機で運ばれている。そしていま、地政学リスクの高まりによって、空の覇権争いは激しさを増している。本書は、世界の「空のつながり」を、複雑ネットワーク分析の手法を用いて可視化し、地政学と経済安全保障を掛け合わせた「地経学」の視点から、アメリカ、中国、ヨーロッパ、ロシア、インド、中東、ASEAN、中南米諸国など主要各国の動向を解説する。


