政府による「GIGAスクール構想」大号令のもと、急速に ICT 化が進む学校現場。ただでさえ忙しいといわれる教員が対応に追われています。そういった学校現場の状況を反映するかのように、ある投稿が SNS 上でちょっとした話題となりました。その裏には『ICTで先生を世界一「面白い仕事」に!』という途方もない目標を立てて、学校の ICT 化にまい進する一人の元教員がいました。

学校の教員の方々の働き方を改善する ICT の使い方をまとめた「働き方を劇的に変える ICT の小技 10」が SNS などで話題となりました。教員の働き方に焦点をあてた同冊子の内容以外にも、小冊子の企画・制作者で元教員の栗原太郎さんのキャリアにも注目があつまりました。日本マイクロソフトに所属しながらも「先生は世の中で最も面白い仕事」と語る栗原さんの、キャリアと教育にかける想いをうかがいました。

教員から マイクロソフトへ転職そのわけは?

――教員から日本マイクロソフトという珍しい経歴をお持ちですが、教員時代の話を聞かせてもらえますか?

栗原太郎氏

栗原太郎さん:大学卒業後、高校の社会科教諭を経て日本マイクロソフト株式会社に入社。現在Microsoft 365を中心としたスペシャリストとして学校のICT化推進に従事。

私は 2020 年 3 月まで高校の社会の教員をしていました。専門は倫理の古代ギリシア哲学なので、クラウドはおろか電気で流れるものとは無縁な世界にいました。 そのころは学習指導要領が変わるタイミングで、いわゆる探究型の学びを実現するための授業改革が始まりました。まさに教員の方々が受けたことのない教育を生み出すということで、実現のためにはいかに対話の空間と時間を増やしていくかが鍵になりました。真っ先に考えたことは、働き方を改革して物理的な時間を確保することでした。ICT を活用したコミュニケーションの円滑化と校務の自動化をはかり、紙や口頭で行われていた情報のやりとりや、電話で行われていた保護者との欠席連絡などを手作りのアプリでできるようにしました。いままでのアナログ作業がデジタル化され一瞬で終わり、一日の中で授業開発に使える時間が確実に増えました。

教員の方々の多様な働き方に対応するため柔軟で効率的に仕事ができる ICT 環境の刷新にも注力しました。「家に早く帰って仕事ができたらいいのにな」そんな子育て世代の教員からの言葉がきっかけで、いままでは職員室の PC でしかできなかった仕事を、いつでも、どこでも、どんな端末でも安全にできるようにしました。多様な働き方を選べる環境を作ることで先生方のワーク ライフ バランスは向上し、労働時間が減るだけでなく、教育の質も向上しました。働き方に対する価値観も大きく変わったと思います。「もう前の環境には二度と戻れない」と周りの教員の方々がいうくらい劇的に生活が変わりました。この経験が、ICT によって「先生誰しもが創造的に働ける環境を作る!」という目標へとつながりました。

途方もない挑戦 日本全国の学校の ICT 化が終わるまで教員には戻らない

――学校での成功体験をもとに、教員としてステップアップしていく道は考えなかったのですか?

考えなかったわけではありません。その考えが変わったきっかけは、学校全体の改革が一段落したときに他校を視察したことにあります。そこで改革前の学校と同じく、多忙を極める教員の方々を目の当たりにし、「自分の学校は劇的に変わった。自分はこのまま見ているだけでいいのだろうか。いま同じ悩みを抱えている他の学校の力になれないだろうか。」という疑問が生じました。自分の経験で学校現場の課題や悩みを少しでも解決できるのではないか。そんな考えが日に日に強くなり、教員の経験と ICT 技術を融合させ、課題解決ができる IT 企業に転職することにしました。

  • 卒業式での一コマ。この卒業生とともに栗原氏も学校を「卒業」し新たな目標に挑戦する。

    卒業式での一コマ。生徒からは「栗太(くりた)先生」の愛称で親しまれていた。この卒業生とともに栗原さんも学校を「卒業」し新たな目標に挑戦する。

はじめは ICT 環境を導入する側の業務を理解しようと考え、システム構築に強みのあるIT 企業に入社しました。IT の必要性を感じていない学校がまだ多く、1 校 1 校地道に広めていくしかないと思っていたからです。ところがコロナ禍で状況が一変し、GIGA スクール構想が前倒しされる形で急速に ICT が学校現場に導入されました。学校としては半ば強制的に IT を使わざるを得ない状況になってしまいました。

こうしてICT に注目せざるを得ない状況の中では、教育業界で必ず何らかの形で使われているマイクロソフトのような IT 企業に入り、自分の経験を伝えることが学校現場をよくする上での近道になるのではないか。「学校が早く変わるためには自分がどこにいればよいか」という視点で転職を考えました。

――教職が嫌で辞めたわけではないですよね。

もちろんです!むしろいまでも一刻も早く教員に戻りたいと思っているくらいです。私は教職を世の中で最も面白い仕事と思っているので、そんな場所に身をおかない理由はないのです。しかしながら、ICT によって日本中の学校現場を変えていく、それが終わったら教員に戻るという途方もない目標を立ててしまったので、いつになったら教員に戻れるのかという不安はありますね。

足かせがなくなった教員は本当にすごい

――それほどまでに教員に熱い思いを持たれている栗原さんは、どのような教員だったのでしょうか?

教員時代の栗原氏。試行錯誤を重ねながら生徒にとっての最適な授業を開発していた。

教員時代の栗原さん。試行錯誤を重ねながら生徒にとっての最適な授業を開発していた。

私は幼少期にアメリカに住んでいたのですが、そのときにブレンデッドラーニング(eラーニングと従来の集合学習を併用する教育方法)を経験しました。公立学校だったのですが、読書する子もいれば、協働学習を数人で行っているグループもあれば、PC で算数ドリルのゲームをやっているような子もいる。全員が違うことをしながらなぜか学びが進んでいく、そんな教育環境でした。一方、日本に戻ってからは丁寧に全員が同じことをできることを目指す、いわゆる一斉型の授業を受けました。

教員になってからは「生徒たちにとって最適な授業って何だろう」と考えながら試行錯誤しました。関心を持っていたのはモチベーションと評価ですね。熱中するとつい時間を忘れてしまう。きっと誰しもが経験のあるあの時間を生徒主導でいかに増やし、濃くしていくかということです。そしてそれらの体験を深い学びへとつなげる、いわゆる自立した学習者を育てるための評価設計と評価観について先生たちと日々議論を行っていました。

――教員としてのやりがいはどんなところにあったのでしょうか?

生徒が「変わる」瞬間に立ち会えることです。ある日を境に昨日と今日とで生徒がガラッと変わってしまうのです。教員でも思いつかない考え方をしたり、教員の想像を超えていくようなアイデアを出したり。そういった生徒が成長した瞬間に立ち会うと自分の頭の中に衝撃が走り、「面白い!」と自分自身も学びを深めていく大きなモチベーションになりますね。

――その瞬間に立ち会うために教員の方々は具体的どういったことすればよいと思いますか?

他者の考えに依存せず、生徒が自分で考えられるように育てていくという理念を元に教員の方々が探究していく必要があると思っています。自分で考えて、意見を構築し、学びを設計できる生徒はどうやって育てることができるのか。答えのない問いに対して、多様なバックグラウンドを持つ教員の方々と協働し、全力で知恵をしぼって教育の質を高めていくことが大切です。そのためには余白の時間や空間で、教員同士ちょっとした雑談や相談ができる環境が必要です。教育業界では同僚性と呼ばれているもので、それを高めることが生徒の成長につながると考えています。

教育関係者でなくてもおわかりかと思いますが、教員の方々っていろんな意味で個性的な人が多いです。その教員たちの個性が受容される環境において、協働できると信じられないような力を発揮します。これは前の学校で体験し、私が現在活動する上で原動力の中心になっていることです。

――時間に追われている教育現場を見ていると、それは難しい取り組みではないですか?

教員を取り巻く問題として大きいのは教育に専念する時間がないことです。よく会社の人から聞かれるので、あえて民間企業の仕事に例えていうと、「授業」という名の自分が主催する会議を毎日 8時から夕方まで連続でやるようなものですね。それが終わったら夜の 19 時くらいまで部活。部活が終わったらやっと申請業務やメールの返信などの残務をして、翌日の会議(授業)の準備が始まる。そして次の日も勤務時間のほとんどが会議(授業)、というパターンがおおまかな1 日のスケジュールです。そこに加えて防犯・防災や生徒の体調管理といった役割までも果たすマルチプレーヤー性(これがあるべき姿という議論はおいておき)も求められています。

時間的なゆとりがなく、生徒のためにフルパワーを発揮することができません。そんな中では教員同士で気軽に相談したり、悩み事を共有したり、新しい授業に向けた議論ができる余裕もありません。この状況では生徒のための教育を考えることは難しいです。

SNSで話題になった「働き方を劇的に変える ICT の小技 10」は栗原さんが元教員の目線で校務の課題を ICT を使って解決する方法を紹介している。

SNSで話題になった「働き方を劇的に変える ICT の小技 10」は栗原さんが元教員の目線で校務の課題を ICT を使って解決する方法を紹介している。

根本的な制度の改善ももちろん必要だと思いますが、このような教員の足かせをはずすのに一定の効果が期待できるのが ICT だと考えています。作業を効率化することで仕事量を減らすだけでなく、コミュニケーションツールとしても活用することで、フラットで有機的、流動的な組織を作ることができます。足かせがはずれた教員の方々のパワーは本当にすごいです。前の学校では ICT を導入したことによって、教育により専念できる時間が生まれ、年配の教員を含めどんどん新しいことにチャレンジしていくような文化が作られていきました。教員が創造的な仕事だと実感し、みんなで新しい授業について話し合って、毎日が本当に楽しかったです。

IT 企業として少しでも教員の時間を作ることが助けになると信じて

――今回栗原さんが企画・制作した小冊子ですが、SNS で多くの反響を得られたのはなぜだと思いますか?

教師のバトンの件*など、教育現場の厳しい労働環境に焦点が当たる現在です。やはり小技集でもいいから欲しい、と思うほど苦しんでいる現場の方がいるのだと思います。もちろん「ICT自体いらない」「余計な仕事が増えてしまう」「このようなもので解決できる仕事ではない」など、あの小技集に対するネガティブな反応も承知しています。コロナ禍でGIGAスクール構想が前倒しとなり、あらゆる学校がICT を使わざるを得ない状況となってしまいました。そういった状況でも仕事量は減らない、苦しんでいる教育関係者を一人でも救いたいという思いで自分の現場での経験から考案した小技集を作成しました。

ICT を導入したからといってすべてが解決するわけではありません。手段と目的が入れ替わらないよう、教員が熟議することが大切です。私も学校に ICT を導入する際に先生方とその目的を熟議した上で導入しました。だから目的を明確にして ICTを活用し、教員が力を発揮できる環境を作れたのだと思います。熟議した結果、ICT を入れない方がいいという結論になることもあるでしょう。しかし現実、は熟議せずに強制的に ICT を導入することになってしまった学校がほとんどです。ICT を導入しても学校現場は依然として教員の方々の時間がない状態で回っています。そういった学校の教員の方々のためにも少しでも熟議して、改めて考える時間を作ってもらえるようにすることが、元教員としてマイクロソフトにいる自分にできることだと考えています。小技集がいまそうやって苦労されている教員の方々の一助となれば幸いです。

元教員からマイクロソフトと異色の経歴を歩まれている栗原さん。そのキャリアは日本の学校すべてを ICT で変えるという大きな目標に向かう歩みの中にありました。コロナ禍、GIGAスクールの前倒しによって混乱の中にある学校現場。そこで苦しんでいる教員を救い、生徒のための本質的な教育ができるようにするために、マイクロソフトという IT 企業の力を使って日本の教育全体を変えていこうと努力されています。小技集の制作はまだまだ序章にすぎません。栗原さんの日本の学校を変える大きな挑戦はまだまだ続きます。

*教師のバトン:
文部科学省主導で行われた Twitter・note を活用した SNS プロジェクト。全国の教員同士で創意工夫や日常の共有を目的としていたが、学校現場の厳しい労働環境を訴える声が相次いだ。

[PR]提供:日本マイクロソフト