──販売戦略はどうなっていたのですか?

福井氏:ヤマハと住商の定例ミーティングは4月から始まりましたが、このなかでは、営業状況や開発状況を交換し、定期的に密な意思疎通を図っていました。IIJの吉村さんにもご同席頂きアドバイスいただくこともありました。

福田氏:価格については、画期的なところで、キャンペーン価格で20万円を切ろうと。20万以下は、固定資産でなくなって経費で済んだ(当時)ことや、競合の価格帯が40~50万だったこともあります。価格は、かなりインパクトがあったと思います。

福井氏:それから、媒体に広告を打つために「手軽いルータ」というキャッチコピーを作りました。

福田氏:プロモーションでは露出をできるだけ増やそうということで、当時、SIerや情シスの担当者がよく見ている専門誌に広告を出しました。そこでひねり出したのが、「手軽いルータ」という言葉です。専門家でもなくても簡単に設定、運用ができて、手軽に発注できるルータということで、テレホンカードも作りました。

福井氏:当時、広告を出したある雑誌には、連絡すると資料が自動的にFAXで送信されてくる資料請求サービスがあり、その資料請求数ランキングで、初広告の掲載月にいきなりトップになりました。みなさん注目されているんだなあと実感したことを覚えています。

福田氏:ただ、どういうチャンネルでどこに販売していくかについては、なかなか整理がつかないままでした。「こういういいものはあんまり決めつけずに露出を続けてプルでやればいいんだ」と、ある意味、乱暴な戦略でした。そういった中で発売日の3月6日を迎えましたが、結局それがよかったんだと思います。ほしい人がすぐ調達できる仕組みを作っておいて、サポートもすぐにできた。それが早く広められることにつながったのだと思います。

福田氏:当時、業界では認定リセラー制度が主流で「認定になるには、どうしたらいいですか」というお声を頂いたこともありました。「いえいえ、そんなものけっこうです。すぐ出荷しますよと」。郵便局留めとか代金引換とか、いろんな仕組みをつくって届けました。

──秋葉原などでも売っていたのですか?

福田氏:はい。今はあたり前ですが、当時はルータを在庫している店はなかったと思います。最初はLAOXネットワーク館で、それから、T-ZONE、Sofmap、ぷらっとホームなどでも取り扱ってもらいました。

福井氏:当時はダイヤルアップが主流でしたが、ルータを使うとISDNで自動ダイヤルアップして切断も自動で便利になる。そういう良さを世の中に広めるために、電気量販店などで行われていたインターネットフェアでブースを作り、土日に説明員として立ちに行ったりしました。実際に販売が始まると、各店頭にも出張しました。また、カバンにノートPC2台とルータ2台、ISDNシミュレータ1台を入れて、地方のSIerに飛び込み営業に行ったりもしました。ルータの説明では、頼まれもしないのにその場でそれらの機器をつないでPingコマンドを打って「ほら、こんなに簡単につながったでしょ」なんて言いながらデモを見ていただいたりしていました。事務所にはそういうセットが当時3セットくらい常備されていていましたね。度々の訪問を通じ各地で仲良くなった方の多くとは、今でもお付き合いさせていただいています。

福田氏:販売してみて、当時のインターネットの勢いは肌で感じましたね。マンションの一室で一旗あげようという熱気に満ちた企業が多くいて、トラブル対応でユーザーのところに行くと、高揚した雰囲気のなかで仕事をしていました。NETWORLD + INTEROP 95(1995年6月に第2回が開催)に出展したときも、みんな徹夜で作業していましたが、初日を迎えていてもまるでできていないところもありました。何かをクリエイトしていこうという勢いのなかで、われわれも一緒になってビジネスを立ち上げていきました。