私が今年見たスポーツの試合の、これまでのところのベストはノヴァク・ジョコヴィッチが優勝したウィンブルドンの決勝 (ジョコヴィッチ×ロジャー・フェデラー)だ。第2セットの後半から何となく見始めて、そのまま約3時間、最後まで見てしまった。

何が良かったって、以下のようにデータ上では、ほぼ全ての項目でフェデラーが上回っていた

  • エース (ジョコヴィッチ 10、フェデラー 25)
  • ダブルフォルト数 (ジョコヴィッチ 9、フェデラー 6)
  • ファーストサーブでのポイント獲得率 (ジョコヴィッチ 74%、フェデラー 79%)
  • セカンドサーブのポイント獲得率 (ジョコヴィッチ 47%、フェデラー 51%)
  • ウィナー (ジョコヴィッチ 54、フェデラー 94)
  • 獲得ポイント (ジョコヴィッチ 204、フェデラー 218)

唯一ジョコヴィッチが上回ったのがアンフォーストエラー (ジョコヴィッチ 52、フェデラー 62)のみ。フェデラーは安定したテニスをしていたが、それでも重要なポイントを落とさずものにし続けたジョコヴィッチが5回目の優勝を果たした。

夏のウィンブルドンの話をなぜ今頃しているかというと、ESPNやWashington Postなどで活躍するフリーライターのアマンダ・ローディンがMediumで公開した「Novak Djokovic Used A.I. to Train for Wimbledon」というコラムが面白かったからだ。

「ウィンブルドンのためにノヴァク・ジョコヴィッチがAIを使ってトレーニング」……スポーツの戦略分析にAIを用いるのは今やめずらしい話ではない。この記事に興味を引かれたのは、ジョコヴィッチ陣営にAI分析を提供しているのがRightChainということ。スポーツの戦略分析にしては奇妙な社名と思った人が多いと思う。それもそのはずで、RightChainはサプライチェーンの最適化を専門とする企業であり、Colgate、Caterpillar、Ford、Coca-Cola、ホンダなどを顧客に持つ。ロジスティクスの世界では知られた名前である。

きっかけは、テニス好きであるRightChainの生みの親エドワード・フレーゼルがある日、「テニスの試合とはA地点からB地点へとボールを運ぶこと」であり、それなら自分が編み出したサプライチェーン管理の手法によってテニスでも最善の結果を導き出せると考えたことだ。

記事はジョコヴィッチ陣営によるAIソリューションの導入に重点を置いているが、RightChainはAI分析を手がける以前からサプライチェーン管理ソリューションを提供してきた。そのノウハウが少なからずジョコヴィッチ陣営の戦略に活かされている。いや、むしろサプライチェーン管理のノウハウが他のAIを活用しているであろうライバルとの差別化要因になっていると言える。

複雑化する物流の問題に対処するために、企業は近視眼的になり過ぎず、経営視点を持って取り組みべきというのがRightChainの主張である。例えば、RightChainがホンダと契約した初期の頃、ホンダの倉庫は98%以上も埋まっていた。それは「倉庫をムダなく使う」という目的は達している。だが、新たな倉庫管理システムを導入し、継続的にラベリングや棚を改善していくには85%程度に抑えなければならない。しかし、ホンダはなかなか実行できなかった。そこでフレーゼルが半ば冗談で「安い別の倉庫を借りて85%を超える商品はそこに送りましょう」と勧めたら、ホンダは本当にそれを実行した。融通がきくのか、きかないのか分かりづらいホンダの生真面目さにフレーゼルは驚いたが、結果的にコストを払ってまで別の倉庫を用意したことで、持ちすぎている在庫が可視化され、ホンダの倉庫では倉庫管理システムが機能するようになって効率化が進み始めた。

欠品を出さないよう倉庫を隈なく利用してきた会社に、商品を積み上げないことが改善につながることを納得させるのは難しい。それが今なら機械学習を活用し、予測分析の結果を示すことで、ホンダの時のように別の倉庫を借りさせずとも、サプライチェーン全体に渡るエンドツーエンドのソリューションの導入に納得してもらえる。

テニスに話を戻すと、テニスプレーヤーはミスを防ぐ一貫性のあるプレーを求める。今回のウィンブルドンでは、ほぼ全てのデータでジョコヴィッチを上回ったフェデラーは一貫性のある安定した強みを発揮していた。

しかし、それが勝つチャンスを高めるかというと、ラリーが長く続けば続くほどプレーは均等になる。「勝つ」ことを優先するなら、安定の強みにこだわり過ぎるのはリスクになり得る。それを一貫性を重んじるプレーヤーに納得してもらうのは難しく、従来のデータ分析が効果を発揮できない一因になっていた。それが機械学習と予測分析によって、一貫性のあるプレーが勝利という結果にどの程度結びついてきたか、別の戦略を選択した場合の可能性を分かりやすく伝えられる。それらに触れて、プレーヤーは一貫性を損なっても勝ちにつながるプレーに納得し、自信を持って変化に踏み切れる。例えば、初期のタッチで攻撃的なプレーを仕掛けられる。マイクロな視点で見たら不安定なプレーが増えるだろうが、トータルで勝つ可能性を高めるソリューションが機能する。

ほぼ全てのデータでフェデラーを下回ったジョコヴィッチのウィンブルドン優勝は"粘り勝ち"と見られている。だが、RightChainのソリューションに触れたジョコヴィッチが、従来の統計には現れない勝ちにつながるボール運びの戦略を自信を持って遂行した結果だったと見ることもできるのだ。