スペースXのイーロン・マスクCEOは2018年9月18日(日本時間)、開発中の新型巨大ロケット「BFR」を使い、2023年に世界初となる月旅行を実施すると発表した。月へ旅立つのは、ファッション通販サイト「ZOZOTOWN」などを経営する前澤友作社長。さらに、さまざまな分野のアーティストも招待し、月旅行を経て生み出された作品を、「人類の財産として後世に残したい」と語る。

はたして2023年に月旅行は実現するのか、そしてBFRは本当に完成するのだろうか。

連載の第1回ではBFRの概要について、第2回では今回発表された月旅行の概要について解説した。

今回は、月旅行にかかる金額の予想や、2023年に実現する可能性、そして今回の発表がもつ価値、可能性や意義について取り上げる。

  • 宇宙で創作活動をするアーティストの想像図

    宇宙で創作活動をするアーティストの想像図 (C) SpaceX

月旅行の金額は?

今回の月旅行において、世間で最も話題になったのは、その費用はいったいいくらなのか、ということであろう。

前澤氏は会見の質疑応答において、月旅行のために支払ったチケット代金について聞かれた際、「答えられない」と回答している。ただ、ある程度は推測することは可能である。

ひとつの手がかりは、米国の宇宙旅行会社「スペース・アドヴェンチャーズ」が2011年に、月旅行のチケットの販売を始めていることである。この旅行はロシアの「ソユーズ」宇宙船を使用し、自由帰還軌道で飛行するというもので、1人あたりの金額は約1億5000万ドル(当時のレートで約120億円)とされた。映画監督のジェイムズ・キャメロン氏が契約したという話があるが、真偽は不明で、また飛行もまだ実現していない。

前澤氏の目的が月に行くことである以上、おそらくスペースXより前に、同社とも接触した、あるいは検討した可能性が高い。そして同社が1億5000万ドルという価格を提示している以上、価格競争の観点から、スペースXはそれと同額か、あるいは安い金額を提示したと考えることができる。

  • スペース・アドヴェンチャーズが販売している月旅行の想像図

    米国企業スペース・アドヴェンチャーズが販売している月旅行の想像図。2011年から販売されており、映画監督のジェイムズ・キャメロン氏が契約したという話があるが、まだ実現はしていない (C) Space Adventures

もうひとつの手がかりは、スペースXが昨年発表した、「ファルコン・ヘヴィ」ロケットと「ドラゴン2」宇宙船を使った月旅行に、すでに前澤氏が申し込んでいたということである。

NASAは2016年に、ドラゴン2を使った宇宙飛行士の輸送に約5800万ドルかかるとしていた。もちろん、これはファルコン9ロケットを使って国際宇宙ステーションに打ち上げる際の金額なので、ファルコン・ヘヴィを使って月へ打ち上げるとなると、ここにいくらか金額が上乗せされることになる。とはいえ、ファルコン9とヘヴィの価格差、また地球周回軌道に乗るのと月に向かう軌道に乗るのとでは、それほどエネルギーに差がないことなどを考えると、せいぜい2倍になるかならないかという程度だろう。

また今回、ファルコン・ヘヴィからBFRを使う計画に変わったことが明らかになったが、だからといって金額が当初より大幅に増えるとなると、前澤氏がキャンセルすることも考えられる。そもそもロケットと宇宙船の変更はスペースXの都合によるものなので、たとえ計画変更にともなってコストが跳ね上がったとしても、その分はスペースXが負担するのが筋であろう。

こうしたことから考えると、前澤氏が支払う金額は、1人あたり1億5000万ドルよりも下、おおまかに100億~150億円くらいと推測できる。自身と6~8人のアーティストを連れて行くとなると、合計金額は約1000億円となるが、前澤氏の資産なら払えない金額ではないだろう。そもそも世界には、絵画やプライベート・ジェット機、豪華クルーザーなどに数百億円以上を使う大富豪がそれなりにいることを考えれば、驚くほどの金額ではない。

ちなみにマスク氏によると、すでにデポジット(手付金)は支払われており、そのお金はBFRの開発に役立てられているという。その金額についてはやはり明らかにされなかったが、マスク氏によると、BFRの開発費は約50億ドル(約5700億円)で、なおかつ前澤氏が支払ったデポジットは、その開発費の中の少なくない割合を占めているという。

仮に1000億円の数十%をデポジットとして納めているとすれば、マスク氏の「BFRの開発費の中の少なくない割合を占めている」、「開発に役立っている」といった言葉とも整合性が取れる。

  • BFRによる月旅行の想像図

    BFRによる月旅行の想像図 (C) SpaceX

2023年に実現する可能性は? BFRは完成するのか?

華々しくぶち挙げられた今回の月旅行計画だが、実際に2023年に実現が可能かといえば、難しいと言わざるを得ない。

じつのところ2023年に間に合う可能性が低いことは、マスク氏自身も認めている。会見で「2023年という目標は現実的なのか」と問われたマスク氏は「まったくわからない」、「もし水晶占いができるなら、いつ飛行ができるのか知りたいですね」と答えている。

「BFRは、途方もなく大きく、そして非常に高度な技術を使うロケットです。完成できる可能性は100%ではありません。しかし、できる限り速く飛行にこぎつけられるよう、可能な限りあらゆることを尽くします」。

BFRの開発において、最も大きな障壁となりうるのは、炭素繊維複合材を用いた機体構造だろう。これまでロケットの機体全体に炭素繊維複合材を用いた例はあまりなく、それも全長100mを超える巨大ロケットとなると前代未聞である。極低温の推進剤を入れるタンクとして使う技術はまだ課題も多く、打ち上げや大気圏再突入の際の熱や圧力に耐える必要もある。しかも再使用ロケットである以上、それを何度も繰り返すことになる。

  • BFRの推進剤タンクの試作品

    BFRに使われる炭素繊維複合材を使った推進剤タンクの試作品 (C) SpaceX

また、第1回で触れた、可動翼を使った大気圏再突入・飛行の技術も、実際の開発や試験はこれから始まる。第1段と第2段に装着されるロケット・エンジン「ラプター」も、燃焼試験が続いており、「山場は超えた」とされるが、予定どおりのスケジュール、性能で完成するかはまだわからない。

そしてなにより、人を乗せる以上は安全性も追求しなければならない。そのうえで、スペースXが目指す機体の再使用と低コスト化という挑戦もある。

おそらく、(マスク氏の予想どおり)2023年の月旅行の実現はまず難しく、数年から十数年ほどの単位で遅れることは間違いない。そればかりか、BFRが現在目指している仕様で完成させられるかも未知数である。

もちろん、光の速度を超えて飛ぶ宇宙船を造ろうというわけではないので、いつか完成はするだろう。しかし、開発が長引けば、今度はスペースXの企業としての体力がいつまで持つかという問題も生じる。つまり技術的な観点ではなく、事業的な観点からの計画の凍結、中止もありうるだろう。

  • BFRに使われる「ラプター」

    BFRに使われる「ラプター」ロケット・エンジンの燃焼試験の様子 (C) SpaceX

ついに「いままでにない宇宙の利用」にお金が動いた

今回の発表をめぐっては、マスク氏と前澤氏、そして彼らの企業にとっての広告、宣伝行為であるという見方が根強い。またマスク氏にとっては、ここ最近、テスラにまつわるさまざまな問題や、タイの洞窟事故をめぐるツイートの炎上などから目をそらすという目的もあるのではという見方もある。

たしかに、意図したものかどうかはわからないが、そうした側面があったのは事実だろう。しかし、今回の発表の本質、そして最も大きな価値は、まさにアーティストを月に連れて行くということそのもの、すなわち「いままでにない宇宙の利用方法にお金を出す人が現れた」ということに他ならない。

かねてより、民間による宇宙開発が活発になれば、これまでにない宇宙の利用、活用法が生まれると言われていた。いままで宇宙とつながりのなかった企業の宇宙ビジネスへの進出であったり、新しい宇宙ビジネスの創出であったり、あるいは衛星でレースをするといったようなちょっとふざけた内容だったりと、さまざまな例が考えられていたが、今回の「アーティストを宇宙に招待し、月と丸い地球からインスピレーションを受けて生み出された作品を、人類の財産として後世に残したい」というのは、その極北のひとつであろう。

1969年7月20日、月に着陸したニール・アームストロング宇宙飛行士とバズ・オルドリン宇宙飛行士は、月着陸船の船内で、フランク・シナトラ氏が歌う「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン(Fly Me to the Moon)」をカセットから流して聞いたという有名なエピソードがある。

当時はそれだけでもおおごとであり、ましてや、その歌を歌ったシナトラ氏自身が月に行くようなことなど、SF小説の中でしかありえない夢物語だった。

しかしそれから半世紀。そんなことが実現するかもしれない時代が訪れようとしている。当然その先には、私たち誰もが宇宙へ、月へと行ける時代も待っている。

本当に実現するかはまだ誰にもわからないうえに、課題も多い。しかし、誰かが歩き始めなければ何も始まらない。そしてスペースXと前澤氏は、その目標に向かってすでに歩き始めている。

魯迅曰く、それを「希望」と呼ぶ。

  • 打ち上げられるBFRの想像図

    打ち上げられるBFRの想像図 (C) SpaceX

参考

First Lunar BFR Mission | SpaceX#dearMoon
Mars | SpaceX
SpaceX to Send Privately Crewed Dragon Spacecraft Beyond the Moon Next Year | SpaceX
Circumlunar Mission - Space Adventures

著者プロフィール

鳥嶋真也(とりしま・しんや)
宇宙開発評論家。宇宙作家クラブ会員。国内外の宇宙開発に関する取材、ニュースや論考の執筆、新聞やテレビ、ラジオでの解説などを行なっている。

著書に『イーロン・マスク』(共著、洋泉社)など。

Webサイトhttp://kosmograd.info/
Twitter: @Kosmograd_Info