毎朝、起きてスマホを見るたびに、寝る前よりも状況が悪化している世界に生きている自分を確認する。世界中の誰もがそんな状況に巻き込まれてから、もう数ヶ月が経つ。

こんな日々にいつまでも精神的に耐えられる人間はほとんど居ないはずだ。憂鬱で悲惨な戦いの中に置かれ続けたら、誰でも苛立つのは仕方ない。だからといって、どこかの誰かに責任を押し付けようとする心の動きは、誰の為にもならない。

疫病との戦いに「勝利」は存在しない

言うまでもなく、疫病との戦いに勝利は存在しない。今はまず、この当たり前の事実を皆で共有することが大事なのではないかと思う。

初期の武漢のすべての関係者は、我々と同様に被害者だ。日本の政治家や官僚も誰もかれもみな、我々と同様に被害者だ。

もちろん、後から振り返れば、「もうちょっとやりようがあった」という局面も少なからずあっただろう。今この瞬間も、政府の立場ならできることはもっとあるのかもしれない。しかし、だからといって、誰かを責めることで自分の心の安寧を保とうとする行動は、結局だれの心の安寧も保てず、不信と憎悪を世界にばら撒く結果しか生まない。

未曽有の災害、今できることはなにか?

宮沢賢治の『雨ニモマケズ』の後半に以下の箇所がある。

東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き

「無私」の境地で、誰かの役に立てればという一心で、東に西に、南に北にと、無駄を厭わず奔走する人間になりたいと願ったあの宮沢賢治でさえも、日照りの時は涙を流すしかなく、寒さの夏はオロオロ歩くするしかないと言っている。

  • 宮沢賢治

    宮沢賢治 (C)ふじたともひろ

疫病は、今地球上で生きている人類全体に等しく降りかかる災害だ。今はまず、「諦める」ことしかできないという事実は、どんなに悔しくても辛くても残念でも、受け入れるしかない。

「諦める」という心の動きは、決して悪いことではないと私は考える。「諦める」とは、心を次に向かわせるために不可欠な前向きなステップなのだと思う。

世界中の誰もが突如、勝利のない戦いに巻き込まれてしまったこの状況下で、我々が現時点(4月中旬)でできる、状況を受け入れて「諦める」以外の唯一のことは、戦いの最前線で、不安と恐怖と激務の連続で奮闘している医療従事者の皆様に感謝の気持ちを持つことだと思う。

そして、我々ができる医療従事者への感謝を表す唯一の手段は、感染者を一人でも増やさないための努力。つまり「家でじっとして居ること」でしかない。決して、心の赴くがまま、どこかの誰かに憤りや不安をぶつけることではないのだ。

医療従事者以外にも、物流、農業、医薬品開発・生産など、社会機能の維持のために奮闘している人は大勢居る。そんなみなさんにも、くれぐれも安全に気をつけて業務を続けて欲しいと感謝する気持ちを共有したい。

一方で、交通・旅行・外食・エンターテインメント・芸術関係の人たちを中心に、今この瞬間も多くの人が、犠牲や苦難と言う言葉で簡単に言い表すのも憚れるような状況にあると思う。そんな多くの人の状況のことを考えても、私には、共に涙を流し、オロオロすることしかできない。そんなまったく無力な自分を受け入れることしかできない。

涙を流しオロオロしても、事実から目を反らしてはいけない

それでも尚、私は多くの人が認めたくない残念な事実に敢えて触れておきたい。この勝利なき戦いは、多くの人が希望と共に語っている状況よりも、長くまだまだ続くという事実から、目を反らしてはいけないと思うからだ。

まず、各国の方針を「緊急事態宣言」と呼ぶか「ロックダウン」と呼ぶか、「自粛」なのか「強制」かその呼び方や外出禁止の強度については民主主義の専門家に任せておけばよいが、そのレベルがどうであれ、ほんの数ヶ月前まで存在した当たり前に自分の行動を決められる自由が謳歌できる社会は、すぐには帰ってこない。

いつになったら元の社会に戻れるのかは誰にもわからないが、少なくとも、半年や一年と言う期間で元の社会が戻ってくる可能性は極めて小さいという事実は、受け入れなければならない。

「18ヶ月でワクチンができれば」と皆が期待を持つことは大事なのかもしれない。しかし、そもそもこのウイルスはそもそも、有効なワクチンを作ることができるタイプのウイルスなのかどうかは、現時点で誰もわからないと言う事実から目をそむけてはならない。

一度感染した人から順に、感染の恐怖から自由になれると思う人も少なくないようだが、一度罹ったら二度罹らないタイプのウイルスなのかどうかも、まだ世界中の誰もわからないという事実も受け入れなければならない。

もちろん私自身、アビガンを始め、さまざまな薬に効果が認められ広く使われるようになることを強く願っている。しかし、有効な治療薬ができたからといって、感染が防げない以上は、元のような社会には戻れるわけではないという事実もまた受け止めなければならない。

敵は疫病にあり、事実を受け入れ次のステップへ

私はなにも、悲観にまみれたこの状況において、ことさら悲観的なことを書き連ねたいわけではない。

私が願っているのは、今、人類の全員が戦っているのは疫病であり、この争いには決して勝利が存在しないのだという事実を、諦めとともに受け入れられる人の数が増えることだ。

この、突如湧いた容易には受け入れがたい事実を受け入れられる人が増えれば、他者を叩くことで心の安寧を保とうとする人々や、専門外の薬の開発状況のニュースを読んで一喜一憂する人々、さらに、どさくさ紛れに自分が得するためにデマをばら撒く人々が、一人でも減ることにつながるのではないかと私は考えている。

最後に夢みたいな話をするが、究極的には、通貨発行権を有するすべての国で同時に通貨を発行し、世界中のすべての人々の3ヶ月分のベーシックインカムを保証した上で、人類全員が3ヶ月家に引きこもる事ができれば、地球上からこのウイルスは消滅する。

人類にそこまでの決断ができる準備はまだ整っていないのかもしれない。

タイトルの「前に進む為にすべきたった1つのこと」とは、疫病との戦いとは勝利がない戦いなのだという認めがたい事実を「受け入れ、諦める」ことである私は考えている。

仏教において「諦める」とは、前向きな心の動きだと解釈すると聞いたことがある。

いつまで待っても、元の社会が戻ってこない現実に、苛立ち、憤る心の動きは、世界中の誰にとっても当たり前の心の動きだ。 しかし、何年かした後に訪れるであろう疫病収束後の時代を生きていくためには、今はまず意識的に「受け入れ、諦める。」という姿勢を持つ努力をすることこそが、実は建設的でポジティブな姿勢なのではないだろうか。

「受け入れ、諦める。」という過程を経た上で、人類全員がほぼ同じDNAを有した親戚のような関係にある事実や、人類全員が心を合わせて生活していくことの必要性を、今回の疫病を通じて改めて心の底から理解することができれば、この決しての勝利のない戦いが終わった後に訪れる時代への希望の源泉になるのではないか。

私は、日々そんなことを考えている。

Imagine all the people living life “at home”.
You may say I’m a dreamer.
But I’m not the only one.