NECの事業範囲は、「海底から宇宙まで」と幅広い。
深海8000メートルの深さに敷設されている光海底ケーブルにも、上空約3万6000kmの人工衛星にも、NECの技術が活用されている。
日本初の人工衛星「おおすみ」の誕生
NECの宇宙事業への進出は、通信事業で培ってきた技術の活用からスタートしている。
1956年にロケットに搭載するためのテレメトリ送受信装置を、東京大学生産技術研究所(現在の宇宙航空研究開発機構=JAXA)に納入。これがNECの宇宙事業の最初の一歩だった。カッパーロケットの打ち上げ実験の際に、上空のロケットから地上に計測データを送信する装置の開発および製造を、NECが担った。
1965年には、NEC社内に航空宇宙開発本部を設置。これを機に宇宙事業を本格化している。その象徴となる動きが、東京大学宇宙航空研究所から、ラムダロケットへの搭載機器を受注するとともに、制御レーダシステムを三菱電機と共同受注したことだ。この時の「ラムダ4型」ロケットはロケット最終段が人工衛星となる構造で、5回目の打ち上げとなった1970年2月11日に成功。日本初の人工衛星「おおすみ」が誕生したのである。
その後、NECでは、「たんせい」、「しんせい」、「でんぱ」、「たいよう」などの人工衛星の本体部の製作を担当。静止気象衛星の「ひまわり」や日本最初の宇宙探査機「さきがけ」のほか、国際宇宙ステーション「きぼう」の日本実験棟の完成にも貢献したり、内惑星探査機「あかつき」の探査機システム設計を担当したりといった成果がある。
NECの宇宙事業は、70年近くの実績を持ち、これまでに約80機の衛星を開発および製造し、世界の約400機以上の衛星に、約9400台以上の機器を供給している。常に、人工衛星の構想段階からNECの技術者が検討チームに参加し、研究者のニーズに応え人工衛星の設計を詰めていくという手法を用いている。
ひとつの人工衛星の開発には10年以上かかるものもある。その間、JAXAなどともに緊密な関係を築きながら開発を進めていく事業なのだ。
NECは、2014年に、同社府中事業場内に「衛星インテグレーションセンター」が始動させており、人工衛星の自社一貫生産体制を確立。2018年には自社衛星を打ち上げるとともに、「衛星オペレーションセンター」を開設した。人工衛星を管制制御するソフトウェアなども開発し、保有する地球観測衛星を自ら運用。2018年9月には、高性能小型レーダー衛星「ASNARO-2」で撮影した画像の販売を開始しており、宇宙利用ビジネスにも取り組んでいる。
世界的な「はやぶさ」の偉業、「はやぶさ2」の新たな旅
NECの技術は、小惑星探査機「はやぶさ」および「はやぶさ2」の成功においても重要な役割を果たした。
いずれも、開発当初からプロジェクトに携わり、システムインテグレータとして、システム全体の設計、製作、試験、運用を担当した。また、バス機器やイオンエンジンなどの多くの搭載機器も納入。地球への帰還成功に貢献する役割を担っている。
はやぶさが打ち上げられたのは、2003年5月である。
開発コード名は、「MUSES-C(ミューゼス・シー)」と呼ばれ、打ち上げ後に「はやぶさ」と命名された。はやぶさの最終的な目標は、「星のかけら」ともいえるサンプルを小惑星から、持ち帰ることであったが、実は、主たる目的は、これらの作業に必要な技術の実証であった。
NECは、目的地の小惑星にたどり着くために、燃費効率が高いイオンエンジン「μ10」の開発に参加。機体の推進や長期連続稼働、スイングバイと呼ばれる惑星の重力を利用した加速、自律的な飛行制御と誘導を行いながら小惑星を目指し、科学観測や小惑星へのタッチダウン(接地)、サンプル採取、小惑星からの離脱を行ったのちに、サンプルを収納したカプセルを大気圏に再突入させ、その回収を行うといったように、各段階で必要な技術を実証することがゴールとなっていた。
また、NECでは、機体の軽量化を図るため、素材を変更したり、肉抜きを施したりするなどグラム単位での削り、510kgという制限内に抑え込んだ。
だが、「不具合が多発したプロジェクト」と称されるように、トラブルが多発した。これまで誰もやったことがない小惑星から「星のかけら」を収集する作業である。当然のことだろう。
2005年9月に小惑星イトカワに到着した「はやぶさ」は、2005年11月4日から11月26日の間に、世界初となる小惑星へのタッチダウンを、リハーサルを含めて5回試みた。1回目のタッチダウンの失敗は、想定外の異物を障害物センサーが検出したことが原因だった。事前に障害物に関する様々なケースを想定したが、その想定が完璧ではなかったことが、小惑星に着いて、初めてわかったという。
タッチダウンとは、惑星からサンプルを採取するために、1秒程度、接地するものであり、それを行うために、刻々と変化する状況に対して、その場でコマンドを作成して、どんどん送信していく作業が必要なのだという。
はやぶさは、小惑星に到着する前に、姿勢を制御するリアクションホイールに障害が発生するなど、トラブルが続出。さらに、12月9日には通信が途絶するという事態に陥ってしまった。運用に使うソフトウェアを大急ぎで組み替え、「はやぶさ」を見つける作業を開始。研究者たちは「アンテナの先には、必ず『はやぶさ』がいる。いつかは太陽電池に光が当たって、絶対に返事をしてくれる」と信じて、コマンドを送信し続けたという。
「はやぶさ」は、2006年1月23日には通信が回復。受信電波を分析する装置の画面に、小さな電波のピークが立ったときには「はやぶさが帰ってきた」という思いだったという。
はやぶさは、無事にサンプルを採取し、2010年6月13日に地球へ帰還。世界的な偉業として注目を集めた。
一般的に衛星は、分離後に軌道データを受け取り、再突入カプセルが落ちる場所を計算したのちに、地上から停波コマンドを送信して、運用を終了するのが一般的だが、「はやぶさ」の場合は、鹿児島県内之浦の34mのパラボラアンテナで捉えていたものの、山の陰に隠れ、通信が途切れ、消えていくという珍しい形で運用が終了した。満身創痍で帰還した「はやぶさ」の最後は意外な終わり方だった。
一方、「はやぶさ2」は、初代「はやぶさ」で実証した深宇宙往復探査技術を、維持および発展させることを目的に開発が進められた。
NECでは、探査機システム全体や、探査に必要な主要機器の開発、製造を担当。小惑星近傍での科学観測や探査ロボット分離などの運用における技術支援なども行った。
「はやぶさ2」は、2014年12月3日に、種子島宇宙センターから打ち上げられ、2018年6月に、小惑星「リュウグウ」に到着。9つの世界初を成し遂げた小惑星近傍での一連のミッションを行い、小惑星の地表と地中のサンプルを採取。2020年12月5日には地球帰還軌道上での探査機本体からの帰還カプセルの分離、2020年12月6日に、地上へのカプセルの着陸に成功した。
リュウグウは900m強の大きさの小惑星で、水や有機物に富むC型小惑星と位置づけられている。採取したサンプルには、地球圏外の気体が含まれていたという。これにより、太陽系の成り立ちと同時に、地球の生命の起源にふれるような発見につながると期待されている。
「はやぶさ2」では、4台の移動探査ロボットを小惑星表面に展開し、科学的観測をしたほか、2地点へのタッチダウンに成功。小惑星に人工クレーターをつくり、その作業の前後を含めた全過程を観測することにも成功した。
また、タッチダウンでは、ターゲットマーカーを利用して、タッチダウンの位置を計測する方法を採用。探査機のフラッシュを反射して光るターゲットマーカーを目標に降下させた。3億km離れた天体において、1回目が目標に対して1m、2回目は60cmという誤差で成功させるという離れ業を成し遂げてみせた。
だが、簡単に採取作業が進んだわけではなかった。リュウグウ表面には大小あわせて多くの岩があり、タッチダウンできる広さを持った場所が見つからず、撮影データに定規をあてて着陸地点を探すというアナログな作業も行われた。ようやく着陸地点を見つけたものの、炭素を含むリュウグウの表面は予想以上に黒かったため、レーザー高度計が距離を計測できず、高度600m付近に達したところで緊急上昇してしまい、タッチダウンのスケジュールを大幅に見直すことになったという。
とはいえ、NECは、初号機開発で得た知見により様々な改良を施し、確実なものづくりに徹した探査機を作り上げたのは確かだった。プロジェクトの期間中、はやぶさ2は、大きなトラブルがなく、地球に帰還することができたという。
現在、「はやぶさ2」は、未知の小惑星を目指す拡張ミッションに向け再出発している。目的地の小惑星「1998KY26」への到着は2031年を予定しているという。
いまや小惑星におけるサンプルリターンは、日本の「お家芸」であり、日本の深宇宙探査技術への信頼は世界的に高まっている。そして、NECは、地球と小惑星間のサンプルリターンを実現させた世界で唯一のシステムメーカーといえる。
古い小部屋ではじまった光海底ケーブル事業、日米を結ぶ初の光海底ケーブルへ
一方、NECの技術が支える通信インフラがある。それが光海底ケーブルだ。
1964年に、米AT&Tが日本と米国を結ぶ初の光海底ケーブルとして、第1太平洋横断海底ケーブル(TPC-1)を敷設した際、NECが陸側の端局装置を納入したのが事業参入のきっかけだ。1985年からは光ファイバーを活用した光海底ケーブル敷設工事を開始し、これまでに地球10周分となる累計40万kmの光ケーブルを敷設している。
海底ケーブルは、当初、同軸ケーブルで結ばれていたが、高速大容量伝送が可能な光ケーブルへと変わり、それにあわせて、NECは中継装置や端局装置を開発。さらには2008年に光ケーブルを生産するOCCを子会社化し、グループ全体で生産から敷設、保守までのトータル提案ができる事業体制を整えている。
<動画>中継装置を敷設船に運び込む様子。福岡県北九州のOCCにて
当初は、玉川事業所の古い三角屋根の建物の狭い部屋で、少人数でスタートした光海底ケーブル事業だが、国際通信の99%に光海底ケーブルが使用されており、世界トップ3の一角を占める事業へと成長。世界を結ぶインターネットの膨大なデータ量の高速通信を、NECの技術が支えている。
そもそも光海底ケーブルは、水深8000メートルの高い水圧のなかで、25年に渡って性能を維持することが求められ、海中に敷設する装置にも強度や耐水圧性が求められている。深海では、小指の先に軽自動車1台が載っているほどの水圧に耐えなければならないという。また、海底の険しい隆起や火山などが存在する複雑な環境を測定し、それを避けるように選定されたルート上にいかに正確に敷設するかといった技術も求められる。たとえば、水深4000メートルの海であれば、富士山の頂上から、地上の特定のポイントに向けてボールを落とすような精度が求められるというほどだ。こうした高い技術力が世界から、NECが選ばれる理由となっている。
光海底ケーブル事業は、2000年前後のネットバブルにあわせて大規模プロジェクトが推進され、NECもこれらのプロジェクトに参画。一時は200人以上の陣容を誇ったが、需要が一巡すると市場規模は100分の1にまで激減。NECの事業体制も20人規模にまで縮小し、エンジニアは3人だけが残ることになった。だが、先進技術への取り組みの歩みは止めなかった。1波長あたり最大100Gbpsを実現するデジタルコヒーレント光伝送技術を用いた装置の製品化に成功。これがその後のNECの光海底ケーブル事業の成長につながっている。
昨今では、1本のファイバケーブルに複数の光伝送路を設けたマルチコアファイバーで先行。0.125mmの直径サイズを維持したまま伝送容量を大幅に拡大することができた。NECとNTTは、12コア結合型マルチコアファイバーを用い、大洋横断級となる7,280kmの伝送実験に成功し、これが今後、実用化されることになる。
衛星と光海底ケーブルは、デジテルインフラの神経網
光海底ケーブルは、従来は、主要通信キャリアによる敷設が中心であったが、いまではGoogleやMeta、Amazonなどが主要顧客となり、約10年前には10%以下だったコンテンツプロバイダーによるデータ流通構成比は70%近くにまで拡大している。
さらに、NECの光海底ケーブル事業は、アジア太平洋を中心にしていたが、米州や大西洋での案件獲得にも乗り出しているところだ。
なお、光海底ケーブルは、地震津波観測システムとしても利用できる技術で、日本や台湾で導入されている。
このように、NECの通信インフラ事業は、「海底から宇宙まで」をカバーする。その点ても、NECはユニークな企業である。
そして、NECの森田隆之社長兼CEOは、「衛星と光海底ケーブルは、デジテルインフラの神経網である」と位置づけるが、まさにその神経網を支えているのがNECの技術なのである。