これを書いている現在4月3日だが、未だに世間は「令和」の話で持ち切りであり、私のツイッタータイムラインでも令和大喜利や、令和クソコラが8割といった感じだ。

もはや、みんな「令和」が発表される前、何を話題にしていたのかすら忘れてしまったのではないか。何らかの粉で電気がグルーヴしてシャングリラになったことさえ、昭和の出来事に感じる。

逆に言えば、同時期に起こった大体のことが「令和」に隠れて気にもされてないということである。むしろ、発表しづらいことは全部「令和」にかぶせるべきだったぐらいだ。

そんな令和の陰に隠れて、視聴率0.002%となった4月1日の他の出来事には何があったのか。

ひっそりと始まった「働き方改革」法

まず「働き方改革関連法」が施行された。ただでさえイマイチ注目度が低かった「働き方改革」が、宇宙一注目されない日にひっそりと始まったのである。

働き方改革については今まで何度か取り上げたが、今回施行されたのは主に「残業の上限規制」「有給休暇の取得義務」そして「高プロ(高度プロフェッショナル制度)」だ。

4月から残業は年720時間以内、単月では100時間未満に制限される。今までも残業規制はあったが、労働者を窓のない部屋に入れて同意さえ取れば、事実上残業させ放題であった。

それを厳格化し、違反した事業主には罰金などが科せられる。これにより「過労死」を防ぐ目論見だ。「まず死なないようにする」という、フロムソフト社製ゲームのような話だが、そのぐらい日本の労働環境がダークソウルになっていた、ということだろう。

次に「有給休暇の取得義務」だが、10日以上の有給休暇が付与される労働者に対して、使用者側に5日の時季指定が義務づけられる。つまり、年間10日以上の有給が付与される従業員には、会社の方が1年以内に5日は有給を使わせないといけない、ということだ。もし、使わせなかった場合、雇う側に刑事罰が科せられる。

日本の有給休暇と、素養のない家に何故かあるピアノほど、使われずに朽ちていくものはない。会社は使いづらい雰囲気を作るし、使う側も、有給とはどうしても使わなければいけない時に使う切り札だと思っているため、ラストエリクサーのように永遠に使われないまま、人生という名のファイナルファンタジーを過労でゲームオーバーしてしまったりするのだ。

どれだけ言っても有給が適切に使われることがないので、今回ついに「命を大切にしない奴は殺す」ぐらいの勢いで、強制的に有給を取らせる法が施行された。

しかし、労働者側にも、「それでも、俺はラストエリクサーを取っておきたいんだ」という人間はいる。そもそも、従業員が休みたい時に休んでいいのが「有給」である。それを「会社都合」で使わされるのは、逆に有給の趣旨に反している気もする。

また、祝日や盆、正月を有給にすり替えようとする企業も出てくるのでは、と言われている。本来休日だった盆や正月の休みを「出勤日」として、そこに有給を使わせ、これまで通りの働かせ方を貫きつつ罰則を逃れるというやり方である。

ただ、今まで休みだった日を出勤日にするのは労働者にとっては不利益なため、正当な理由がなければ認められず、発覚すれば罰則を受ける可能性が高いという。何より「セコ過ぎ」という企業としてのイメージダウンがでかすぎるだろう。

「実質プラス」かはこれから決まる

最後は「高プロ」だが、これは今回「年収1075万円以上」が対象だ。この時点で読者の大半が飛ばして読むだろうし、私も書きたくないぐらいだが、今後この年収額がジリジリ下げられて「高プロ」認定される人間が増えるとも言われているので、そうなると全く他人事ではない。

「高プロ」とは、労働時間の定めなし、残業上限もなしという、一見、高収入の奴を合法的に殺すよう国が動いたように見える。だが、逆に言えば、やることさえやれば、そこで帰ってもいいため、労働効率が良くなる、と言われている。

ただ、定額使い放題では、という意見もあり、施行後にどうなるかは未知数である。

このように大体が労働者にとってプラスな「働き方改革」だが、「実質プラス」になるかは不明だ。ソシャゲのガチャでどれだけ金を使おうが推しさえ出れば「実質タダ、むしろプラス」なのと同じように、働き方改革でどれだけ数字の上で残業時間が減り、有給取得率が上がろうが、働く側が「楽になった」と感じられなければ無意味である。

「残業するな」と強制的に帰されたところで、置いて帰った仕事をやってくれる人間はいない。だからと言って、従業員が仕事を家に持ち帰ったことがバレると会社が怒られるため「仕事の持ち帰り」も禁止される。

結局、残業時間を減らしても、仕事が減らなければ、仕事がどんどん溜まって行くだけなのだ。そして、最終的に「なぜやっていないんだ」と労働者が責められることになる。

これでは労働時間を強制的に減らし、仮に肉体的に楽になったとしても、逆に精神的に追い詰められるケースが増える気がする。

一人当たりの仕事の量さえ減れば、労働時間は自ずと減るはずだ。先に時間だけを減らしても、根本的な解決は難しいのではないだろうか。