私の「カレー沢薫」というペンネームは一部本名である。
苗字にカタカナが入っているのは珍しいと言われるが、私の集落ではよくある名前で村民の8割がカレー沢だ。
そんなわけで私の本名は「薫」なのだが「パスタ田ピザ郎」など、本名など完全無視して、己の好きなもののみで固めてきてもいいペンネーム界において、わざわざ本名を入れるぐらい「薫」が気に入っているのかというと、正直子供のころは好きではなかった。
ちなみに名前の由来は父曰く「菊が薫る季節だから」という雅なものなのだが、今思えばオールシーズン何かの花が薫っているのではないか。
別に特別珍しい名前でもなく、親も真面目につけているのだが、世の中には「時代が味方しない名前」というものがある。
木村さんちのタクヤ君とか、名前が被って起こる悲劇もあるよね
私が子供のころ「薫」はキテレツ大百科のブタゴリラや、YAWARAの花園、渋いところでは俺は直角の家老立花など、ゴツい男にカワイイ名前がついているというギャップギャグで使われがちだったのだ。
一説によるとブタゴリラは、薫という名前が嫌なので自らブタゴリラを名乗っているそうだ。
ブタゴリラなんてあだ名としてひど過ぎると思っていたが、ブタゴリラからすると薫はブタゴリラ以下の名前なのだ。
聖闘士星矢全盛期、かに座に生まれたというだけでスクールカーストを二階級特退した子供がいたように、今のキッズは知らないが、昔の子供はこういうくだらないことでからかったりからかわれたりすることがあったのだ。
そして名前で笑われると、子どもはそれをつけた親を恨む。もしかしたらかに座の子供も9月中旬から10月中旬にかけてキャベツ畑でコウノトリした両親を恨んだかもしれない。
しかし、お前があと3日子宮で粘れば、しし座のアイオリアで二階級特進だったのに、この時からこらえ性のなさが表れている、と生まれた日付に関しての責任は親のみに問えないところがある。
それに対し「名前」に関しては、親の意志100%であり、もし名前で不都合があれば子供は親に怒りをぶつけてくるものなのだ。
私は現在「薫」という名前が嫌いではない、大人になれば「花山薫と同じっていいですね」と言ってくる人はいても、それでからかってくるような奴はいないし、気に入るかどうかは別として親が良かれと思ってつけた名前だということもわかっている。
しかし所謂「キラキラネーム」に関しては別のようで、むしろ大人になったことで「子供にこんな名前をつける大人はまともではない」と、自分の親の異常性を再確認し、名前を書くたびに自分が「俺の親はバカです」と喧伝しているバニラの宣伝車より悲しき存在であることが耐えられず、自ら改名に踏み切る者もいる。
名前のつけ方もおにぎりの食べ方も、基本を知るのは良いことかもね
多少難読でも親が何らかの想いを込めた名前を捨てるなんてとんでもないと思うかもしれないが、生涯に渡り、私も苗字が多少難読だったのでわかるが、名前を一発で正しく読んでもらえず毎回訂正をしなければならなかったり、名前と顔を3度見以上されるというのは子どもにとってかなりストレスなのだ。
一生スリップダメージが入って来る名前というのは呪いでしかなく、子どもは少なからず呪いをかけた親を恨むのだ。
最初から呪うつもりでつけたなら仕方がないが、良かれと思ってつけた名前で子供に恨まれ、親子関係が破綻するのはお互いにとって不幸である。
よって通称「キラキラネーム公的ガイドライン」が作られたそうだ。
来年改正される戸籍法で、名前の漢字の読み方に一定の基準が設けられると最近ニュースになったアレである。人様の子供の名前に国が口を出す時点でおかしいし、出さなければいけないレベルで日本人の学力が落ちたかと嘆かれていたが、むしろ自分たちのことを頭がいい方と思い込んでいたことが、現在の惨状を招いたのかもしれない。
放っておいたら何をしでかすかわからない我々に、最初からやってはいけないことを先に教えてくれるのはむしろありがたいと言えるのかもしれない。
ガイドラインによると、漢字と反対の意味を示す読み方、漢字との関連が認められない、差別的なもの、卑わいなもの、などが認められないそうだ。
太郎と書いてキアヌと読ませるような関連性のない名前はダメなのに加え、清美や純子と書いてビチミやズベコと読ませるような反対の意味になる名前もダメのようだ。
国に名前をジャッジされるというのは不本意であるが、「子供の名前ぐらい好きにつけさせろ」というのは親の気持ちであり、好きにつけられた子どものことを考えると、ある程度規制が必要なのかもしれない。
ただ、坊主が憎けりゃ袈裟まで憎く、バス酔いが激しすぎてシートの柄までキモく見えるように、どれだけまともで王道な名前でも、親との関係が悪ければその親につけられた名前すら憎くなるし、逆に仲が良ければ例え瑠璃色玉手箱と名付けられても「親のこういうセンスが好き」と思えるのかもしれない。