先日、いかにもツイッターでバズりそうなコンビニ弁当が話題になった。

ちなみに「ツイッターでバズりそう」というのは「ゴリラにモテそう」と言っているようなもので、必ずしも褒め言葉ではなく、「ツイッターではバズりそうだけど、インスタではシカトされそう」というのはもはや悪口と言っても良い。

その名も「ウインナー弁当」である。

名前だけ聞くと意外性を感じないが、勘の良いガキは既に違和感に気づいてしまい、命の危機に瀕していることだろう。やはり人間は少しバカな方が長生きできるのだ。

「主演:ウインナー」実現した画期的な方法

弁当にウインナーが入っていることは珍しくない。しかしウインナーというのはサイドメニュー、もしくは可も不可もない合コンみたいな幕ノ内弁当のおかずの一つみたいなポジションである。

つまり弁当への出演率は極めて高いが、「主演:ウインナー」の弁当はあまり見たことがなく、サスペンスドラマなら常に二番目に殺されそうな場所にいるのがウインナーなのである。

そんな一見すると主役感がないものを主役にするにはどうしたらよいだろうか。合コンであれば「主役にふさわしい容姿とコミュ力」を身に着けて参加するのが一番手っ取り早い。

ウインナー界にもシャウエッセンのように仏壇に供えてから食べるタイプのものもある。そのようなごちそうウインナーであれば主役になってもおかしくないかもしれない。

しかし、香薫がそう簡単にシャウエッセンになれるわけはない。

よって「自分よりランクが下の人間を連れていく」という方法もある。この方法は「ただのハズレ合コンとして一次会で処理される」という諸刃の剣でもあるが、うまく行けば消去法でモテる。

だが、人の好みはそれぞれであり、引き立て役のつもりで白飯を連れて行ったのに、相手が全員「三度の飯より白飯が好き」で自分が引き立て役になるという事故もある。

もっと確実に自分が主役になるにはどうしたらよいか。

答えは「自分以外誰も連れて行かない」である。ウインナー弁当はそういう弁当なのだ。

ウインナー弁当を見て世を憂う人々

  • 弁当の常識にとらわれず、好きなおかずを好きなだけ食べられるのはまさに「夢」かも

    弁当の常識にとらわれず、好きなおかずを好きなだけ食べられるのはまさに「夢」かも

ウインナー弁当はローソン100が販売している弁当で、その名の通り、ウインナー5本以外おかずが入っていない弁当のことである。

正確にはウインナーの下に申し訳程度にスパゲティが敷かれているのだが、それは居酒屋の椅子みたいなものである。

その潔すぎるビジュアルから発売後すぐに話題になり、好評を博したことから、第2弾としておかずがミートボールのみの「ミートボール弁当」の発売も決定したそうだ。

だがこの弁当に対しては否定的な意見も出ている。まず「健康に悪い」という意見だ。

確かにウインナー弁当は炭水化物肉炭水化物で構成されており、野菜は一切入っていない。

しかし今年流行ったマリトッツォだって、炭水化物にクリームというある意味ウインナー弁当より攻めた構成だったにもかかわらず、誰も「健康に悪い」とは言っていなかった。

トッツォはデザートだから良いのかもしれないが、栄養のバランスが取れた食事をした後に、デザートとして炭水化物とクリームの塊をおかわりするのが健康に良いかというとまた別の問題が浮上してくる気がする。

もちろん、それ一つで栄養のバランスがとれるものを「弁当」と定義するなら、ウインナー弁当は間違いしかない間違い探しのようなものだ。

だがウインナー弁当は「200円」と、弁当にしては非常に安価なため、サラダをつけて栄養のバランスを取ったり、逆にトッツォをつけてさらに崩壊させたりすることもできる。しかし、サラダなどをつけたら結局普通の弁当と大して変わらない金額になってしまう。

だが、そもそも「ウインナー弁当」はお金がない人に向けた商品なのだろうか。

実は「貧乏くさい」というのも、ウインナー弁当に対する批判の一つなのである。

確かに白飯にウインナーのみという構成はシンプルで美しくもあるが華がなく、寂寥(せきりょう)感すらただよっている。

よってこのウインナー弁当が人気というニュースを見て「日本は本当に貧しくなった」と嘆く人もいるようだ。

ではウインナー弁当が貧しくなった日本人たちの要望により生まれたかというと、ローソンストア100 運営本部統括部長の10年がかりの熱意でついに発売した商品なのだそうだ。

どうやら「日本人たちの要望」などという複数形ですらなかったようである。

運営本部統括部長ということは、おそらくお金がない人ではないと思われる。もしこの地位で「昼飯には200円以上ビタイチ出せない」というなら、日本は本当に貧しくなったと言ってもいいかもしれない。

つまり値段云々ではなく「俺はひたすらウインナーだけを食いたいんだよ」という動機で作られた可能性が高い。

私も1年の内300日はレトルトのパスタしか食わないのだが、それは金銭的理由や、食にこだわりがなく、考えたり作るのが面倒だからではなく、パスタが好きでひたすらパスタだけ食いたいからそうしているのだ。

むしろ、栄養を補うため完全栄養食の粉を購入し、家人の食事を別で作るため、コストや時間が余計かかってしまっている可能性がある。

このような「他の物に邪魔されずひたすら同じものを食いたい」というタイプは一定数存在する。

しかし世間は、ウインナーだけでは飽きるでしょうと、他のオカズを入れてきたり、健康も考えた方がいいよね、とサラダを入れてきたりするのである。

そういった「良かれ」に邪魔をされ続けてきた者にとって、このウインナー弁当は「夢」であり、ある意味「貧乏」とは対極の存在と言える。

とはいえ、開発動機はどうあれ、このウインナー弁当に「貧しさ」を感じるのだとしたら、貧乏飯と聞いてイメージするのがこれ、ということだ。

だが実際に貧困層がこのウインナー弁当を選んで食べているかどうかは不明であり、「コンビニで買い物をしている時点で貧乏ではない」という可能性もある。

今日本に貧困があるということは知っているのだが、そういう人たちが毎日どんなものを食べて生活しているのか、知っているかと言われると正直答えられない。

「議員は庶民の生活を理解していない」と批判されることは多いが、庶民も貧困層の生活を理解しておらず、イメージで語ってしまっているのかもしれない。