あの頃も今も、コンピュータは楽しい機械です。仕事でも趣味でも、コンピュータとともに過ごしてきた読者諸氏は多いことでしょう。コンピュータ史に名を刻んできたマシンたちを、「あの日あの時」と一緒に振り返っていきませんか?

連綿と受け継がれる「MSX」

PV-7

1984年(昭和59年)10月、カシオ計算機は、同社初となるMSX規格のホームパソコン「PV-7」を29,800円で発売しました。圧倒的な低価格を武器に、ユーザー層を広げたMSXパソコンの誕生です。

当時、他の8ビットパソコンが軒並み5万円~10万円くらいでしたので、その価格設定はまさに衝撃的でした。ちなみに、1983年発売の任天堂「ファミリーコンピュータ(HVC-001)」が14,800円です。

A4判サイズのコンパクトボディに、CPUは「Z-80A」(クロックは3.58MHz)、RAM(メモリ)は8KBを搭載しています。マーケティングメッセージは「MSXパソコンがそのまま29,800円。ゆうゆうソフトが選べます。システムが組めます。」でした。

PV-7のカタログ(クリックで拡大)
資料提供 : カシオ計算機

キャラクターには佐倉しおりさんを起用し、やはり価格をアピールします。8KBのメモリはMSX仕様で定められた最小容量ですが、別売の拡張ボックス(KB-7、14,800円)によって、64KBまで増やせました。画面の表示は、最大40字×24行、グラフィック(解像度)は256×192ドットです。

PV-7のプレスリリース(クリックで拡大)
資料提供 : カシオ計算機

1884年の年末時点では、カシオのオリジナルゲームタイトルは5本「大障害競馬」「熱血甲子園」「スキーコマンド」「パチンコU.F.O」「サーカスチャーリー」で各4,800円。そのほか、ゲーム製作ソフト「ゲームランド」(7,800円)や、プログラミングの「BASIC入門」(5,800円)も、カシオが用意していました。MSX規格としては当時、約300本のソフトウェアがラインナップされていました。

MSXのキーは全72キー構成(テンキー、ジョイパッドは除く)。英数字キーはJIS標準配列、ひらがな・カタカタ入力は、なんと「アイウエオ」という50音配列です。キーボード左下には「TR1」「TR2」ボタンを配置。これらはゲーム専用の「トリガーボタン」でジョイスティック用のSTRIG関数に対応します。キーボード右下には「JOY PAD1」(ジョイパッド)があります。ジョイスティック用のSTICK関数に対応

左上のカセットスロット

右上のロゴ

話が少しそれますが、MSXについて簡単に振り返ってみましょう。

MSXは、パソコンの統一規格です。1983年にアスキーとマイクロソフトが主導し、初代MSX規格が生まれました。実際にMSX規格のパソコンを製造したのは、カシオのほか、キヤノン、サンヨー、ソニー、東芝、パイオニア、日立製作所、日本ビクター、富士通、松下電器産業(現・パナソニック)といった、名だたるメーカーでした。

CPU、ROM、映像出力、ジョイスティック、カセットインタフェースといったハードウェア仕様、およびソフトウェア仕様が決められ、MSX-BASICやMSX-DOS(オプション)をサポートします。各社からは、様々なデザイン、音楽やゲームに強いなど、個性あるマシンが続々と発売されます。

初代MSXパソコンは、8ビットパソコンとこの時代において、後の「PC/AT互換機」のようなもの。規格を統一して高い互換性と低コスト化を目指したのは、今でいうWindowsパソコンの元祖ともいえるかもしれません。MSX規格はその後、MSX2、MSX2+、MSXturboRと3度のバージョンアップを行い、最終的には10年ほどの間で500万台近くの対応パソコンが出荷されたといわれています。

本体左右のインタフェース類。写真左の左側面はジョイスティック端子が2つです。写真右の右側面は、右側からRF出力、オーディオ出力、ビデオ出力、カセットI/Fスロットが並びます。画面は基本的にテレビへの映像出力です。オプションの増設RAMカートリッジは、カセットI/Fスロットに接続します

背面には電源コネクタ(ACアダプタ)と電源スイッチ

底面の拡張コネクタは、拡張ボックス「KB-7」の接続用です

さて、PV-7が発売された当時の時代背景を整理してみると、カシオは前年の1983年に耐衝撃ウオッチ「G-SHOCK」の1号機(DW-5000C)、電子手帳の1号機(PF-3000)、ポケット型液晶テレビ(TV-10)、クレジットカードサイズの電卓「フィルムカード」(SL-800)など、ヒット商品を連発しました。MSXパソコンでは後発のカシオですが、電卓やデジタル時計で培ったLSI技術を投入することによって、PV-7は、小型化や低価格化に挑んだ意欲的なマシンだったことがうかがえます。

拡張ボックス「KB-7」です。プリンタポートと、カセットI/Fスロット×2基を備えています

PV-7本体と拡張ボックスのKB-7を合体。カセットスロット×3基、16KB RAM、プリンタインタフェース内蔵のマシンへとグレードアップします。ワンタッチで接続でき、色も共通なので接続後の違和感もありません

1984年10月、あの日あの時

PV-7が発売された1984年(昭和59年)は、ロサンゼルスオリンピックが開催されました。開会式で、ロケットベルトを装着した俗にいう「ロケットマン」が大空を飛んだシーンは、印象に残っている方も多いではないでしょうか。

陸上競技では、米国のカール・ルイスさんが4種目で金メダルを獲得。100m走で9秒99を叩き出します。女子マラソンは、この大会から初めて公式競技となりました。柔道では山下泰裕さんが金メダルを獲得し、特に右足を痛めた山下さんとモハメド・ラシュワンさん(エジプト)の決勝戦は伝説となっています。

ゲームの世界でも、コナミ(現・コナミデジタルエンタテインメント)が、オリンピックをテーマにした「ハイパーオリンピック」をリリース、大ヒットを飛ばします。アーケードゲームのほか、MSX版なども発売されました。RUNボタンを連打するために、パソコン環境ではコナミの専用コントローラー「ハイパーショット」が人気でした。今では信じられませんが、ゲームセンターのきょう体(RUNボタン)に鉄製の定規を乗せ、上下に弾いてしならせて、RUNボタンの連打速度を上げるといった荒業も流行ったものです。

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