プロシージャル技術の展望
前回で紹介したプロシージャル・ベースの都市生成において、ポンペイの街並みの再現には190の都市計画、建物構造ルールを設定したという。このルールを作ることは大変だが、逆に言えばこのルールさえ作ってしまえば、どんな街でも生成が出来るということだ。解像度が上がっても、別のシーンを作ることになっても、パラメータを設定して再実行するだけでいいのだ。ここにプロシージャル技術の利点がある。
人間の手作業では難しい大規模なコンテンツの再設計も、プロシージャル技術ならば、高効率に行えるというわけだ。ただ、難しいのは、この例でいうところの「190のルール設計」だ。
光学現象を元にシェーダを設計する際も、物理現象を元に物理シミュレーションを開発するときも、その光学現象や物理現象のエッセンスをプログラム向けにモデル化するところが一番難しい。
結局、大局的なコンテンツ制作において、手作業で作る「茨の道」を歩むのがいいのか、それともプロシージャル技術で実装するための苦労をするのがいいのか、……の究極の選択になるということなのだろう。
キャンバスに筆で画を描くという行為は直観的な作業であり、体が覚えている知識、すなわち身体"知"によって行われる作業だといえる。一方で、コンピュータでCGモデルを設計するような作業は、PCを操作して実体には触れず間接的に描くことになるので、論理的な知識、すなわち形式"知"によって行われる作業だといえる。プロシージャル技術はさらにもう一段階、間接的な技術といえる。
思えばドット画主体の2Dゲームが主流だったころから3Dゲームへ主流が移った転換期、1990年代半ば。どのゲームも同レベルの「ポリゴン+テクスチャ」で見た目的にみんなよく似ていた。この時、2D→3Dという次元増加はなされたが「表現のダイナミックレンジ」は低下したとも言われた。しかし、ソフトウェアの進化、ハードウェアの高性能化により、今はそんな悲観的なことをいう開発者はいない。現在の3Dベースでの表現力は決して狭くはない。リアル系だけでなく、非リアル系の様々なアーティスティックな表現が多数生まれている。
おそらく、プロシージャル技術にいても同じことがいえるのではないか。
どことなくまだ人工的な、あるいは画一的な味わいが残る現状のプロシージャル技術によるコンテンツも、これからのソフトとハードの両方の発展でそうした課題は克服されることだろう。
(トライゼット西川善司)