写研のイメージの変化

写研は1970年代、タイポスやナール、スーボ、スーシャと、画期的なデザイン書体を相次いで発売した。

「これによって写研は、本文書体の印象から、ものすごく多彩でよい書体をつくっている会社というイメージに変わっていったのです。すると今度は、『こういう書体を出してもらえませんか』と書体デザインの持ちこみに来る人が現れました」(橋本和夫さん)

「楷書などの書き文字風の書体を持ちこむ方が多かったのですが、なかには印章屋さん(=はんこ屋さん)もいらっしゃいました。はんこ屋さんも原図を描いて版下をつくります。そして篆書体や隷書体など、いろいろな書体をもっている。そのなかで古印体(こいんたい)という書体を持ちこんだ方がいらしたんです」

写研の古印体といえば「淡古印」。いまや「怖い(場面で用いる)書体」の定番となっている有名書体だ。

  • 井上淡斎氏による「淡古印」(1979年)

「淡古印を持ち込んでいらしたのは、印刻師の井上淡斎さん(*1)でした。古印体は、墨だまりや線の欠けが特徴的な書体ですが、これはもともと、落款の文字なんです」

落款とは、書画を完成させた際に、筆者自身がその姓名や雅号を書いたり、雅号などの印を押すこと。また、その署名や石や木に彫った印自体のこともさす。(*2)

「印章は、何度か捺していくと、線の込んでいるところに朱泥(朱肉のようなもの)がたまり、細く彫った線はさらに細くなって、欠けることもある。印を使っていくうちに表情が変化するんですね。やがて、印章をつくるときに最初からその形で彫るようになっていった。それが古印体です。淡斎さんは、この古印体が得意でした。それで写研に持ちこんでいらした」

印章業界と写植のつながり

そもそも、1967年(昭和42)ごろから、印章の製造工程でも写植が用いられるようになっていた。

〈ゴム印には、鋳造ゴム印と手彫りゴム印があり、最初の写植化は鋳造ゴム印から始められた。鉛活字をならべこれに石膏を流し、出来た石膏板にゴムを流していたものを、活字の代りに写真植字による写凸に代えたものである。第二段階として手彫りゴム印が写植書体の整備とあいまって実用化されていった。又、印章の材質をゴムから光合成樹脂にすることによって中間工程での写真凸版が不用になり、ネガから直接樹脂印ができることによって印章業界への写植導入は大幅に促進された。〉『文字に生きる』1975年(*3)

業界同士のつながりができていたことも、淡古印が生まれるひとつのきっかけになったかもしれない。写研では、印章に用いたいという業界の要望に応じて、1975年秋、岩蔭行書体を発売した。

  • 写研の岩蔭行書(1975年)

つくり手の想定を超えて

井上淡斎氏の淡古印は、1979年(昭和54)に発売された。当初は、アンティークな雰囲気を出したいときなどに用いられていた。しかしいまでは怪奇ものなどに合う「怖い書体」と見られることが多い。(*4)

「書道をたしなむ身からすれば、墨のにじみとかすれが巧く表現されている、こんなに優美な書体に向かって『怖い書体』とは失敬な! と最初は思いました。しかし、古印体特有の墨だまりや線の欠けを“おどろおどろしい”と感じる方が多かったのでしょうね」

つくり手の意図からおおきく離れ、想像以上の広がりを見せた書体の代表的な例といえそうだ。

(つづく)

注)
*1:井上淡斎(いのうえ・たんさい) 本名:井上健吉。印刻師。1915年(大正4)、埼玉県生まれ。上京し印刻の業にたずさわる。1934年(昭和9)、東京印章技術競技会で一等賞受賞。泰東書道展覧に数度入選。1950年(昭和25)、第1回全国競技会で金賞受賞。1953年(昭和28)、日本印章協会の競技会に審査員に推される。1959年(昭和34)、東京印章組合講習会の講師に推される。1970・71年(昭和45・46)技能検定協会の検定委員に委嘱される。
デザインした書体に、写研「淡古印」のほか、NIS FontのJTC 淡斎古印体「歌」、JTC 淡斎古印体行書「舞」、JTC 淡斎行書「彩」、JTC 淡斎草書「濃」、JTC 淡斎篆書「吟」など。著書に『印海』(文明堂、1975年)、『古印体―実用ディスプレイ書体』(マール社、1988年)、『古印体字典』(マール社、2000年)など。
※参考:『古印体―実用ディスプレイ書体』(マール社、1988年)、CiNii 著者検索(https://ci.nii.ac.jp/author/DA0354405X)
*2:『精選版 日本国語大辞典』(小学館、2006年)
*3:「文字に生きる」編纂委員会編集/写研 発行/『文字に生きる〈写研五〇年の歩み〉』1975年11月11日発行/P.133
*4:書体をテーマに執筆活動を行う文筆家の正木香子氏によれば、淡古印が初めてマンガに登場したのは1984年(昭和59)『週刊少年ジャンプ』51号、鳥山明氏の人気マンガ「ドラゴンボール」の連載第1回目。心霊や妖怪をモチーフにしたマンガや、テレビ番組の怪奇特集で淡古印が定番書体となるのは、もうすこし時代が下って1990年代に入ってからだという。(正木香子『本を読む人のための書体入門』星海社新書、2013年 P.26~)

話し手 プロフィール

橋本和夫(はしもと・かずお)
書体設計士。イワタ顧問。1935年2月、大阪生まれ。1954年6月、活字製造販売会社・モトヤに入社。太佐源三氏のもと、ベントン彫刻機用の原字制作にたずさわる。1959年5月、写真植字機の大手メーカー・写研に入社。創業者・石井茂吉氏監修のもと、石井宋朝体の原字を制作。1963年に石井氏が亡くなった後は同社文字部のチーフとして、1990年代まで写研で制作発売されたほとんどすべての書体の監修にあたる。1995年8月、写研を退職。フリーランス期間を経て、1998年頃よりフォントメーカー・イワタにおいてデジタルフォントの書体監修・デザインにたずさわるようになり、同社顧問に。現在に至る。

著者 プロフィール

雪 朱里(ゆき・あかり)
ライター、編集者。1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか多数。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。

■本連載は隔週掲載です。次回は8月13日AM10時に掲載予定です。