給料の振込先としてPayPayを設定できる「デジタル給与払い」が8月にスタートしました。PayPay以外の決済サービス事業者3社も申請をしており、厚生労働省の審査が行なわれています。

この制度の第1号となったPayPayのデジタル給与払いを紐解きつつ、デジタル給与払いのメリットについて考えてみたいと思います。

PayPayデジタル給与受取の仕組み

デジタル給与払いに関しては、この連載の第13回でも取り上げています。前提の知識となるため、一読していただけると、今回のPayPayの取り組みが理解しやすくなるでしょう。

デジタル給与払いは「利用可能な賃金支払先として、資金移動業者の口座を追加する」という制度。端的に言うと、PayPayなどの決済サービスの口座に給与を振り込めるようになり、PayPay残高として給料が受け取れるというものです。

今回のデジタル給与払いのスタートに向けて、厚生労働省はかなり慎重にガイドラインを設定し、審査もかなり綿密に行っていたようです。もともと議論の開始時点では、日本で銀行口座を持てない外国人労働者もターゲットに入っていたり、米国のプリペイド型給与受取手段であるペイロールカードも検討されていたりしたのですが、最終的に給与の安全性を踏まえて日本の銀行口座が必要になり、給与が失われたり従業員の手元に届かなかったりといったことがないように設計されています。

その分、参加する事業者は限られました。業界最大手のPayPayに加え、楽天の楽天ペイ、リクルートのCOIN+、KDDIのau PAYという4社4サービスが参加を申請。第1号としてPayPayが審査を通過しました。

PayPayのデジタル給与払いは、「PayPayデジタル給与受取」という名称で、8月14日からソフトバンクグループ10社の従業員に提供を開始。2024年中にはすべてのPayPay利用者に対して提供を行う予定。

  • PayPayデジタル給与受取

    デジタル給与払い第1号となった「PayPayデジタル給与受取」

  • 「PayPay給与受取」の提供開始予定

    まずはソフトバンクグループ10社の従業員向けに提供開始。2024年中には全ユーザーが利用可能になる見込みです。PayPayアプリに「給与受取」のアイコンが表示されたら利用可能です

利用手順としては、PayPayアプリに表示された「給与受取」アイコンから登録を行います。登録に必要なのは、通常の銀行口座情報。これは、給与の払い出しのために設定が必要になります。日本国内の銀行に限られます。

  • 利用開始手順1

    PayPayデジタル給与受取の利用開始手順。勤め先の社名は任意。ポイントは「勤め先がPayPayデジタル給与受取に対応しているかどうか」。デジタル給与払いには労使協定などが必要なため、従業員側が「知らない」と言うことはないはずなので、そうした点を踏まえて申し込みをしましょう

  • 利用開始手順2

    デジタル給与払いの制度として銀行口座の登録が必要なので登録。そうすればPayPay銀行スペード支店の口座情報が発行されるので、これを勤め先に提出します

もともとPayPay上で本人確認が行われている前提なので、入力項目はわずかです。「1分もかからずに登録ができることを目指した」と、同社執行役員 金融事業統括本部金融戦略本部本部長の柳瀬将良氏はアピールします。

最終的に、「PayPay銀行スペード支店」の口座情報が表示されます。これが、PayPayデジタル給与受取の肝となる部分です。この口座はバーチャル口座で、実際にユーザーが口座を開設しているわけではなく、この口座に振り込まれた給与がそのままPayPayにチャージされるという流れになります。

通常、従業員は勤め先に自分の銀行口座の情報を提出します。企業側は、その口座情報を登録して毎月の給与支払日に振り込みを行っています。この銀行口座として、先ほどのPayPay銀行の口座情報を提出するというわけです。

企業にとっては通常の銀行口座と同様、提出された口座を振込先として登録するだけなので、特別な作業をする必要はありません。三菱UFJ銀行やゆうちょ銀行に振り込むように、PayPay銀行に振り込みを行うよう自社システムに登録するだけです。

  • 口座番号の勤務先への申請

    通常の銀行口座と同じ扱いですが、あくまでデジタル給与払いの仕組みなので、別途労使協定が必要です。労使協定を結ぶことなく従業員が勝手に口座情報を提出してはいけない、というのが制度上の制約です

給与の振り込みがそのままPayPayのチャージになるので、ユーザー側にも特別な作業はありません。チャージされた残高は「PayPayマネー(給与)」として残高に追加されます。これは銀行口座から手動でチャージしたPayPayマネーと変わらず、銀行口座への払い出しが可能です。

  • 給与のPayPayアカウントへのチャージ

    振り込まれた給与はそのままPayPayアカウントにチャージされます。会社側も、労使協定がない状態で「PayPay銀行スペード支店」が提出されたら、別の口座の再提出を求める必要があります

このPayPayマネー(給与)は上限20万円まで保持されます。PayPay自体が100万円までしか保持できないので、PayPayマネー(給与)を上限20万円までチャージすると、通常のPayPayマネーのチャージ上限は80万円になります。PayPayマネー(給与)の残高が20万円以上になったら、自動的に設定した銀行口座に払い出されます。自動払い出しの際の手数料は回数制限なく無料です。

  • PayPayマネー(給与)の上限

    PayPayマネー(給与)は上限20万円までは蓄積され、上限を超えたら自動的に登録口座に送金されます。例えばPayPayマネー(給与)に15万円の残高がある状態で10万円が振り込まれたら、5万円がPayPayマネー(給与)に、残りの5万円は銀行口座に振り込まれます

手動での銀行口座への払い出しも、厚労省のガイドラインに従って月1回までは手数料無料で実行可能です。2回目からは所定の手数料(100円)がかかりますが、PayPay銀行に対しては2回目以降も無料です。

チャージされた残高に対しては、「おまかせ振分」機能を提供します。これは、PayPayアカウント5つ、本人名義の銀行口座3つまで、毎月1回自動で送金できる機能です。離れた両親への仕送り、子供へのおこづかいなどの用途でPayPayアカウントに送金したり、光熱費や家賃引き落とし口座へ送金したりといった使い方が想定されています。

  • 「おまかせ振分」機能

    自動で送金する「おまかせ振分」機能で、ユーザーの利便性を向上させます。定期的な入金を前提としたサービスです

他にも、PayPayアプリ内のサービスである「PayPay資産運用」の自動積立に設定する、「PayPayほけん」の毎月払いに設定する、といった使い方もできます。手動で積立や支払いの設定をしなくても、毎月自動で実施してくれます。

デジタル給与払いの安全性を保証するために、ガイドラインに従って保証機関として三井住友海上火災保険と協業。PayPayが仮に破綻しても、6営業日以内に全額が払い出される設計になっています。

  • 保証について

    制度上必須なのが破綻時の保証で、PayPayデジタル給与受取では三井住友海上火災保険が保証機関となっています

PayPayデジタル給与受取のメリットは?

前述の通り、PayPay銀行のバーチャル口座を使うところがPayPayデジタル給与受取のポイントです。これによって、デジタル給与払い対応において特別な開発が不要で導入できるようになります。PayPayの審査が一番手に通ったのもこれが理由かもしれません。

  • システム開発が不要

    特に会社側にとってメリットの大きいPayPay銀行バーチャル口座。特別な開発は不要で、気軽に会社側もデジタル給与払いに対応できます

企業側にとっては、システム開発が不要なので導入コストがかからないうえに、PayPayとなんらかの契約をする必要もありません。柳瀬氏によれば、PayPayデジタル給与受取に対して「3ケタ」の企業から問い合わせがあったそうですが、PayPay側もサービスの説明をするだけで、何か特別な契約を結ぶわけではありません。

従業員側にとっても、単に表示されるPayPay銀行の口座を提出するだけ。もちろん、最終的にPayPayに振り込まれることから労使協定は必要で、企業は従業員に説明をしなければなりません。

特別な作業がいらないので、企業も従業員も手間は増えないのですが、逆にデメリットもありえます。

デジタル給与払いで決済サービスへの給与振り込みをする場合、通常の振込手数料が削減できる可能性がありました。しかし、PayPayデジタル給与受取の場合は、企業の法人口座から従業員の個人口座(バーチャル口座)への振り込みとなるため、全銀システムを使った振込手数料が発生します。もともと給与振り込みは、いわゆる銀行間手数料(内国為替制度運営費)が不要となるため、手数料自体は通常よりも抑えられますが、それでも一定金額は発生します。

PayPayデジタル給与受取は、特別なシステム開発が不要な代わりにこの手数料が発生するというトレードオフがあります。結果として、給与の即日払い/週払いといった複数回の振り込みの手数料が問題になる可能性はあります。この点、現在申請中の残る3社は、手数料が安価なサービスを計画しているかもしれません。

PayPay側もこれは認識していて、「PayPay銀行の法人口座からPayPay銀行バーチャル銀行への振込手数料を実質無料」にするプログラムを設定しています。手数料分が毎月キャッシュバックされる形なので、あくまで「実質」ですが、ポイントなどではなく法人口座に残高として還元される形です。

従業員側も、PayPay銀行口座を払い出し口座に設定しておけば、振り込まれたPayPayマネー(給与)の払い出しが何回でも無料になるため、PayPay銀行の囲い込みにも繋がります。

  • 振込手数料無料プログラム

    PayPay銀行同士にすることで振込手数料を実質無料化(キャッシュバック)するというプログラム。キャンペーンではなくできるだけ長期の提供を想定しているそうです

企業側にとっては、PayPay銀行の法人口座を作っておけば、週払いや即日払いもコストをかけずに対応できるようになります。副業やスポットワークの広がりによって、こうしたニーズは高まっているそうです。柳瀬氏も、週払い/即日払いといった柔軟な支払い方法が、採用の1つの売りになるというメリットを挙げます。

ただ、柳瀬氏も「会社側のメリットは非常に難しい」と認めるとおり、それほど会社にメリットがあるわけではありません。一人の従業員の給与振込先が銀行とPayPayというように複数になると、どちらも振込手数料がかかるため、今まで1回の手数料だったのが2回になるわけで、負担は増加します。

これに対しては、従業員の満足度向上に繋がる点、PayPay銀行法人口座を作成すればコストが下げられる点、PayPayへの週払い/即日払いが可能で採用強化に繋がる(かもしれない)点などがメリットとして考えられます。直接的ではないものの、デジタル給与払いの会社のメリットにはそうしたものがあるでしょう。

そもそも、企業側は「デジタル給与払い」という新しい国の制度に対応する必要があります。PayPayに加えてほかの対応サービスも増えれば、従業員からデジタル給与払いへの対応が求められる可能性もあります。アルバイトの申し込みでデジタル給与払いによる即日払い/週払いニーズが高まるかもしれません。

PayPayの仕組みの場合、企業の対応は特に必要ないのですが、勘違いした従業員などから(労使協定の締結なしに)PayPay銀行スペード支店の口座情報が提出されるかもしれません。もちろん、労使協定を結んでいない状況でデジタル給与払いへの対応はできません。

PayPayの場合は、「PayPay銀行スペード支店」がデジタル給与払い専用なので、単純にこの口座の情報が提出されたら再提出を求めればいいだけです。労使協定を結んで必要な説明をするなど制度対応すれば、改めて同口座情報の提出を受け付けて、PayPayデジタル給与受取に対応できます。

従業員側にとっては、PayPay経済圏にどれほど参画しているかがポイントになるでしょう。すでにPayPay/PayPayカード/PayPay銀行口座を保有して、PayPayアプリ上で資産運用/ほけんといった金融商品を利用し、さらに家族のPayPayアカウントに送金を行っている……という人であればメリットは大きいでしょう。

加えて若者層にはアピールできそう。アルバイトやスポットワークなどで即日の支払いが欲しい、しかもPayPayは毎回セブン銀行で現金チャージしていて手間がかかっていた……というような使い方の人は結構いて、そのままPayPayに振り込まれるデジタル給与受取には一定のニーズがありそうです。

PayPayにとっては、PayPay経済圏の囲い込みがメリットです。銀行/証券/ほけんといった金融サービスの連携をアピールできます。法人側にPayPay銀行をアピールできる点も強みでしょう。

これに対して、すでに申請している他の3社がどのような戦略を描いているのか。API経由でデジタル給与払いに対応した場合、企業にとっては手数料が安価になる可能性もあります。

ただ、その場合は決済サービスがAPIを用意して、企業が接続するための開発が必要になります。PayPayも企業側に聞いたところ、複数の決済サービスのAPIに個別に接続するのは難しい、という声が多かったようです。

API方式とバーチャル口座方式の双方で検討していたPayPayは、結果としてバーチャル口座に舵を切りました。ただ、Payment Technologyの「給与DXエニペイ」など、複数の振込先から従業員が選べる仕組みもあります。こうした仕組みであれば、コストを削減して複数の口座に振り込めるようになるかもしれません。

PayPay側に問い合わせをした「3ケタ」の企業の中には、こうした複数口座への振込サービスの事業者もあったそうです。

デジタル給与払いが今後どうなるか現時点では不明ですが、14日から開始したソフトバンクグループ10社の中ではすでに登録をしている人も出ているそうです。

同社では2018年のPayPayスタート当時、ここまでサービスが拡大するとは想像されていなかった点を強調。デジタル給与払いが10年後に同様の状況になる可能性も否定できない、と指摘します。先んじて取り組むことで主導権を握りたい考えで、すでに申請を出している他の3社を含め、デジタル給与払いでどういった競争が起きるのか、今後も注目したいところです。