Dynabookは、自社開発のノートPCからビジネスソリューションを訴求するイベント「dynabook Days 2024」の第1弾を、東京会場となる東京ビッグサイトで開催した。前編では国内メーカー初となるCore Ultra搭載ノートPC「dynabook R9」や開発中のXRグラスなどを紹介している。

イベント会場には、2024年で登場から35年目となるdynabook(登場当初はDynaBook)シリーズの歴代モデルも“勢ぞろい”していた。

後編となる本稿ではこれらの展示モデルの中から“初期モデル”にフォーカスを当てて、筆者のノスタルジックな思い出とともに紹介してみたいと思う。

  • dynabookの歴代モデルが勢ぞろいした

「D」yna「B」ookがワシの心を熱くする

J-3100は、日本で、いや、世界的に見ても最も早く実用化されたラップトップPCの1つとして語り継がれている。個人用のPC事業で苦戦していた当時の東芝(Dynabookの前身)にとって、このJ-3100(というよりは米国におけるT-3100)の成功は、転換点となる画期的な出来事であった。そのせいかどうかは諸説あるが、当時の東芝 浜松町本社ビルの31階をJ-3100担当部署フロアとしていた。

展示されていたのは J3100シリーズの中の“GT” で、そのスペックはCPUがインテルの80286で、動作クロックは8MHz(後に登場した同名モデルは12MHz)、システムメモリ容量は2MB、ディスプレイの解像度は640×400ドット。HDD容量は20MB(後に登場した同名モデルでは40MB)。

  • J-3100 GT

J-3100の特徴の1つとして、ドットがオレンジ色に輝くプラズマディスプレイの採用があったが、それと共に、PCとしては驚くほど高価なことも話題となっていた。

超個人的な話になるが、筆者は過去にJ-3100シリーズの最高峰「J-3100 SGT 101」を仕事で使っていたことがある。こちらはCPUが80386/20MHzでHDD容量が100MB。ディスプレイはEGAで同じプラズマながら4階調を表示できた。

価格は約120万円! ニッポンの高額すぎるPCということで、当時Appleのマッキントッシュが「パソコンのフェラーリ」と呼ばれていたのになぞらえて「パソコンのソアラ」と称されていた(ような記述が当時のPC購入ガイド本に書いてあったような記憶があるのだが検索しても全然出てこない……)。ちなみに筆者は勤務していた組織ではJ-3100 SGT 101を職員一人一人にあてがっていたのであった。嗚呼バブル日本。

Harpoonを遊ぶためにJ-3100 SSを買った

その隣に展示されていたのが、「全てはここから始まった」ともいえるDynabookの“初号モデル”「DynaBook J-3100 SS 001」だ。正式型番としては、まだJ-3100の派生モデルという立ち位置だった(DynaBookは愛称という扱いに近い)。

  • DynaBook J-3100 SS 001

こちらも超個人的な話としては、自分で初めて購入したPCだったりする。しかもその目的は、当時登場したばかりのPCゲーム「Harpoon」をやるためという(そのためにHDD内蔵の“02E”を購入したのであった)。

Dynabookのおかげで通勤の電車往復のみならず、海外旅行の飛行機や現地での列車旅(欧州の長距離客車にはもれなくテーブルが備えてあったりする)でもHarpoonのプレイやニフティ会議室でのリプレイ投稿が捗ったのであった(嗚呼青春の甘酸っぱい思い出)。

ちなみに、Dynabookという言葉は米国の科学者であるアラン・ケイが提唱していた「理想のパーソナルコンピューター」を表現する言葉で、その言葉をそのまま使ったDynaBookはPCの先人たちから何かと色々言われていたが、当のアラン・ケイはDynaBookの天板にサインを残していたりする。

今回の展示では、そのアラン・ケイがサインした記念モデルが“さりげなく”展示されていた。しかも、その記念モデルはディスプレイが開いた状態で展示されていたので、サインを目にした人はほとんどいなかったのではないだろうか。

  • アラン・ケイのサインが!

J-3100も初期のDynaBookも、携帯性と共に実はキーボードのタイプフィーリングも高く評価されていたことを覚えているだろうか。

この「小さいのにタイプがしやすい」こともDynabookが、いや、ノートPCというジャンルそのものが広く世の中に受け入れられる理由の1つであったと思う(もちろん、Dynabookの“赤字覚悟で設定した低価格”が最大の要因であったが)。

そのことを思うと、先日登場したdynabook X8 CHANGERでキーボードストロークを2mm確保しただけでなく、キーボードのタイプフィーリングまで重視してチューニングを重ねたことに、[DynaBook|dynabook]の揺るぎない開発マインドを想起して勝手に感動していたりする。

  • キーボードが打ちやすかった理由の1つがシリンドリカル・ステップ・スカルプチャを設けていることだった

とっても些細なことなのだが、J-3100世代のPC(それは型番にJ-3100を掲げていた初期のDynaBookを含む)において、キーボードのレイアウトが当時のDOS/Vマシンの標準規格であったJIS配列ではなくASCII配列(正確に言うと東芝独自のアスキー配列)だったりする。

英語キーボードに近い配列で、それがゆえに、J-3100とDynaBook J-3100 SSでPC人生を始めた筆者は未だに英字キーボードの方が使いやすかったりする(=JIS配列キーボードだと仕事が遅くて遅くて)。

隠れた名機が続々、懐かしい記憶がよみがえる

そして、なにげに隠れた名機だったDynaBook Portage 620も展示されていた。いや、隠れた“知られざる”名機だったのは、その先代といえる1994年登場の“米国向けモデル”のPortage T3400 CTだ。Portageシリーズの“サブノートPC”初期モデルだ。

  • 展示機材は620CTだが、本体サイズと重さはT3400CTと共通だ(ディスプレイサイズと搭載CPUが異なる)。緑のスティックトップと“への字”のクリックボタンが印象的

Portage T3400 CTは、当時としては珍しいTFTカラー液晶ディスプレイとリチウムイオンバッテリー、そして、ThinkPadのようなスティックタイプのポインティングデバイス「アキュポイント」を採用していたことで高い評価を得ていた。

しかも……、理由は分からないが米国モデルが日本で“安価に”流通していて、かつ、HDDをユーザーが簡単に換装できる構造+ベアドライブが個人でも購入できるショップがあったことから、“分かる人にはわかる”マシンとして人気を博していた。

そんな、dynabookに関する知識とノウハウと歴史と未来を“完パケ”にしたdynabook Days 2024はこれから名古屋(2月20日:名古屋コンベンションホール)と大阪(2月28日:梅田スカイビル タワーウエスト)で開催される予定だ。