「この宇宙で最も多い元素は?」と問われたとき、多くの人は「水兵リーベ……」という歌とともに、「水素」と習ったことを思い出すかもしれない。たしかに水素はこの宇宙に最も多く存在する元素である。
しかし、これを「この宇宙で最も多い”物質”は?」という問いすると、答えが大きく変わってしまう。この宇宙では、私たちの目に見える物質、つまり元素はわずか5%程度に過ぎず、残りは「ダークマター」と「ダークエネルギー」と呼ばれる正体不明のものが占めていると考えられている。
この2つは、この宇宙の構造の形成と、加速膨張の鍵を握っていることは間違いなく、また存在することを示す証拠はあるものの、まだ誰も実際に確かめたことはなく、その正体の解明は、物理学と天文学における大きな挑戦となっている。
この謎だらけのダークマターやダークエネルギーの性質を明らかにするため、2023年7月2日、欧州宇宙機関(ESA)が開発した宇宙望遠鏡「ユークリッド」が打ち上げられた。
ダークマターとダークエネルギー
ダークマターの存在は、いまから約100年前には考えられていた。1930年代、「オールトの雲」でも知られる天文学者ヤン・オールト氏は、恒星の運動を観測した結果、恒星の重力、つまり目に見える物質が集まってできる重力だけではその動きの説明がつかず、なんらかのより大きな重力源があるのではという研究を発表している。
その後、さらに研究が続き、1960年代にはこの宇宙に存在する元素について、水素とヘリウムがその大部分を占めていることがわかったが、そうした元素だけでは、宇宙がビッグバン以降、膨張を続けるなかで、銀河などの天体が集まったり、恒星や惑星系が生まれたりできないこともわかった。
こうしたことから、通常の物質ではない、目には見えない未知の物質--ダークマターが、この宇宙の構造を形作っているのではないかという仮説が生まれた。さらに、銀河の回転速度が星々の存在しない外側でも大きくは減少しないことや、多くの銀河や銀河団で見られる重力レンズ効果(遠くの天体から出た光が、銀河や銀河団などの重力場によって曲げられ、凸レンズのように作用して私たちから見える現象)の測定などの研究が進んだ結果、ダークマターはほぼ確実に存在するものとみられている。
もうひとつのダークエネルギーは、ダークマターと並んで謎の多い存在である。
かつて宇宙は、安定した静的な状態にあると考えられており、かのアルベルト・アインシュタイン氏ですらそう思い込んでいたこともあったほどだった。
1929年に天文学者のエドウィン・ハッブル氏によって宇宙は膨張していることが発見され、その後は「ビッグバンによって爆発的な膨張速度を与えられたあと、宇宙は重力によって“減速しながら”膨張し続けている」ということが定説となった。
ところが1998年、米国を中心とした2つの国際研究グループによって、宇宙が“加速膨張”していることが発見された。彼らは多数の遠方超新星を観測した結果、それらが従来の考え--宇宙には既知の物質しか存在せず、そして減速しながら膨張しているとした場合よりも、ずっと遠くにあるように見えた。つまり、宇宙は減速せず、むしろ加速しながら膨張していることが示されたのである。
2011年には、この「遠方の超新星爆発の観測による宇宙の加速膨張の発見」に対して、3人の科学者にノーベル物理学賞が贈られている。
そこから、宇宙を加速膨張させている、なんらかの未知のエネルギー--ダークエネルギーが存在することが示された。このエネルギーは重力より弱く、私たちのまわりにあっても感知できないほどだが、銀河間スケールでは影響が出て、宇宙の膨張を食い止めようとする重力に対して、弱くも確実に加速させる抵抗力として機能しているとみられている。
現在のところ、この宇宙は、エネルギー密度でいえば約68%がダークエネルギー、約27%がダークマターで占められており、私たちが知っている元素、物質はわずか5%に過ぎないと考えられている。冒頭の水素の話は、この5%の中のことに過ぎないのである。
ダークマターもダークエネルギーも、光のような電磁波を出したり吸収したりはしないため、目には見えない物質と考えられている。“ダーク(暗黒)”というのはそういう意味でつけられたものであり、“黒い色”をしているわけではないという点に注意が必要である。
現在まで、ダークマターについては「ニュートラリーノ」と呼ばれる、未発見の素粒子ではないかという研究や、さまざまな仮説に基づいてダークマターやダークエネルギーを観測しようという研究もあるものの、まだ成功には至っていない。
「正体不明のものが存在することがわかっている」というのはいささか奇妙な話ではあるが、しかしそれらが存在すると考えないと、宇宙の姿かたちや歴史の説明がつかないのである。