理化学研究所(理研)、科学技術振興機構(JST)、豪シドニー大学、独ルール大学ボーフム校の4者は5月6日、半導体量子ドット中の電子スピン量子ビットを用いた「確率的テレポーテーション」に成功したと共同で発表した。

同成果は、理研 創発物性科学研究センター 量子機能システム研究グループの小嶋洋平研修生、同・中島峻上級研究員、同・樽茶清悟グループディレクター、シドニー大のシュテフェン・バートレット教授、ルール大のアンドレアス・ウィック教授らの国際共同研究チームによるもの。詳細は、英科学誌「Nature」系の科学雑誌「npj Quantum Information」に掲載された。

既存のコンピュータとは大きく異なる原理で成り立つ量子コンピュータは、初歩的なものはすでに実用化されているが、まだ期待される性能には達していないため、さらなる高性能化を求めて世界中で活発に研究開発が進められている。

量子コンピュータの方式としてはさまざまなものが考案されており、そのうちの1つに半導体上に形成した量子ドット(半導体量子ドット)中の電子スピンを用いる「半導体量子コンピュータ」がある。半導体中に電子を空間的に閉じ込めることで運動を制限し、0次元構造とすることで、電子を1つずつ出し入れすることを可能としたもので、この特性により、情報保持時間が長いという特徴を持つほか、既存の半導体技術を応用して製造することができるという特徴も有している。

これまで、半導体量子コンピュータの主な研究としては、任意の量子計算に必要となる、2つの量子ビットを用いたアルゴリズムの実装と性能評価といった基本的な原理検証が中心となっており、その次の段階としてその実現が望まれていたのが、ある量子ビットの量子状態を遠隔地にある量子ビットに転写するアルゴリズムで、量子力学特有の物理現象である「量子もつれ」という非局所的な性質を用いた「量子テレポーテーション」といった3つの量子ビットを使う実用的なアルゴリズムの実現だという。

量子もつれを用いた量子テレポーテーションを実現できれば、量子情報通信の長距離化や測定に基づく量子計算が可能になると期待されている。そのため、基礎物理的な側面と応用的な側面の両方で重要視されているという。

そこで研究チームは今回、GaAsとAlGaAsを用いた半導体基板上に金属電極を微細加工することで、三重量子ドット配列構造を作製。各量子ドット中に単一電子スピンを閉じ込めることで3量子ビット系として機能する仕組みだという。

  • 量子コンピュータ

    3つの量子ビットを搭載する電子スピン量子ビットデバイス。ゲート電極に電圧をかけることで量子ドット(白丸)が形成され、量子ドット中に単一電子スピンを電気的に閉じ込め、3つの量子ビットが形成される。実験では、上端に用意された入力ビット(矢印つきの赤)の状態を下端に用意された出力ビット(矢印つきの青)の状態に転写が行われた。中央の補助ビット(矢印つきの緑)は、量子テレポーテーションに重要な量子もつれを媒介する役割を持つ。それぞれの量子ビットの状態は、右上に取り付けられた微小磁石が形成する磁場によって制御できる仕組みだ (出所:理研Webサイト)

量子テレポーテーションでは、3つの量子ビットはそれぞれ、転写したい情報を持つ「入力ビット」、情報が転写される「出力ビット」、入力と出力の両ビットの間で量子相関を伝達する「補助ビット」として機能する。今回の研究では、ドット配列上端に位置する入力ビットの状態を下端に位置する出力ビットへ転写することが試みられた。

  • 量子コンピュータ

    量子テレポーテーションの手順。まず、下端の量子ドット(白丸)に補助ビット(矢印つきの緑)と出力ビット(矢印つきの青)が用意される。このとき、2つの量子ビットが1つの量子ドットを占有するため、量子ビット間に量子もつれが生成される。次に、補助ビットを入力ビットの量子ドットへと移動させる。補助ビットが入力ビットの量子ドットへと移動した場合のみ量子もつれ検出成功となり、入力ビットの状態が出力ビットへと転写される (出所:理研Webサイト)

具体的な量子もつれの操作は、2つの電子スピンが1つの量子ドットを同時に占有するか否かで、電子スピン間における量子もつれの存在についてその有無を判定できるという量子ドット系特有の現象である「パウリスピン閉塞」の応用により実現されたとする。ただしこの性質を用いると、補助ビットと入力ビットの間において量子もつれの検出の成功が確率的になるため、出力が入力と一致する確率が1より小さくなる。このような量子テレポーテーションは、毎回必ず成功するわけではないことから「確率的量子テレポーテーション」と呼ばれているという。

さまざまなスピン状態の入力ビットが用意された上で実験が実施され、測定で得られた出力ビットと入力ビットの状態の比較が行われた結果、入力から推定される出力の状態と実際の測定で得られた出力に正の相関があることが確認されたとする。

  • 量子コンピュータ

    入力ビットと出力ビットの比較図(量子テレポーテーションの実験結果)。赤線によって表されているのが理想的な入力と出力の関係だ。ピンクのデータは、別実験によって確認された入力の測定値(縦軸)と、今回の実験で確認された出力の測定値(横軸)の関係が表されている。両者に正の相関があることから、入力が出力に転写されていることが見て取れる。赤線からのオフセット(ズレ)は、今回の実験における操作にエラーが存在し、入力が正しく転送されていないことが表されている。それらの効果が補正されて得られたデータが青 (出所:理研Webサイト)

また、量子もつれの検出が出力に与える影響についても分析が行われた結果、検出に失敗した場合は入力によらず出力が一定となることが判明。これは、補助ビットを介した量子もつれを利用することが、出力ビットへの状態転写に必要不可欠であることを示しているとのことで、これらの結果から、量子もつれを介したテレポーテーションが成功していると考えられると研究チームでは説明している。

さらに、一連の操作をモデル化し、解析的にエラーの要因についての調査が行われた結果、量子ドット間の不均一磁場の影響により、量子もつれを生成する効率が理想値よりも低下していることが大きな要因であることも判明したという。この不均一磁場の効果は、微小磁石の設計変更によりドット間に生じる横磁場の差を低減させることで改善することが可能だと研究チームでは説明しており、今回の成果から、大規模な量子計算の実現に向けたエラー低減の知見が得られたとしている。

なお、今回の研究成果を踏まえることで、測定に基づく特殊な量子計算や大規模な量子計算に向けた研究開発がさらに進展することが期待できると研究チームでは説明しているものの、今回の方式では量子テレポーテーションの成功は確率的であり、失敗した場合はその計算が無駄になるという点を問題としており、その要因となっている量子もつれを検出する方法の改善を進め、常に検出できるようにすることが今後の課題となるとしている。