iPadはパソコンのように使えますか?という質問をよく耳にします。2010年に登場したiPadは年々アップデートを重ね、最近ではマウスやキーボードを接続できたり、WindowsやMacのようにファイル管理を行えたりすることが徐々に認知されてきたからかもしれません。この連載では、冒頭のような質問に答えるべく、「iPadはパソコン代わりになるのか?」をさまざまな観点から検証していくものですが、最初に1つだけ言わせてください。「iPadはそもそも立派なパソコンです!」。だから、それをパソコンのように使えるかという質問自体がおかしいですし、「iPadパソコン化講座」というこの連載タイトルも見方によっては変です。
もちろん、これだけの説明では何を言っているのか理解できない人が多いでしょうし、「いや、iPadはタブレットでしょ」!と否定する人もいるはず。ですから、連載1回目の今回は、iPadとはいったい何なのか? なぜパソコンではないと思われるのか? そもそもパソコンってなんだっけ?ということに関して触れたいと思います。なぜなら、それをちょっとでも考えることが、生みの親であるAppleの描くコンピューティングの世界や、iPadというデバイスの本来の価値や使い方、そして本連載の趣旨について理解いただけると思うからです。
「PC」っていったい何?
では、まずパソコンとは何なのか。それが言うまでもなく、"Personal Computer(パーソナルコンピュータ)"の略であり、日本人が作った造語であることは広く知られています。つまり、"個人のコンピュータ”という意味です。遥か昔のコンピュータは扱うために専門的な知識や技術が必要で、個人=つまり一般の人が(価格的にも)使えるものではありませんでしたが、1981年にIBM社が発表した個人向けのコンピュータ「IBM PC」が普及し、Personal Computerという言葉や概念が広く知られるようになりました。
では今、パソコン(Personal Computerではなく、日本人的にそう呼ぶことにします)と聞いて何を思い浮かべるでしょうか。多くの人はキーボードやディスプレイが一体になった、いわゆる「ノートブック」と呼ばれるものを想像するかもしれません。搭載されているOSはWindowsでしょうか。ただ、中には「デスクトップ」を思い浮かべた人、リンゴマークのついたMacの姿が出てきた人もいるでしょう。時代が違えば、IBM PCを描く人も多かったはずです。
つまり、何が言いたいかというと、パソコンとは特定の何かを指しているということではなく、時代によって姿や形が異なるということです。歴史的に見れば、まず「IBM PC」がデファクトスタンダードとなり、継機モデルの「IBM PC/AT」に準拠したPC/AT互換機が生まれ、互換機にはその後CPUにIntel、OSにWindowsを搭載していったことから、いつの間にかWindows 「PC」がパソコンの代名詞のようになりました。パソコンと聞いて、Windowsノートを想像する人が多いのは、そうしたイメージが今でも続き、社会で広く共有されているからに過ぎません。本来、Personal Computer(パソコン)という言葉は、イコール「PC」ではないのです。
話は逸れますが、ですから昔を知るMacユーザやAppleは、MacをPCとされると釈然としません。なぜならパーソナルコンピュータではあるもののMacはMac、「PC」とは異なる存在であり、決して一緒にされたくないからです(パーソナルコンピュータと言えば、Appleは、IBM PCよりも前の1977年に「Apple II」を発売していますし)。
だからiPadもパソコン
ここまで読んでいただければ、iPadがパソコンであるということの意味が少し理解いただけたはずです。ノートブックPCとは異なる部分はあるにせよ、複雑な計算を自動で行うことが可能な立派なコンピュータです(コンピュータとは何かという定義はここでは割愛します)。同様の意味においては、iPhoneだって、Apple Watchだってコンピュータと言ってもおかしくありません。
iPadがパソコンだと思われないのは、それがこれまでのパソコンの常識とは違うからでしょう。板のようなフォルム、小型・軽量なモバイル性、タッチ操作を前提としたインターフェイス、ワイヤレスを前提とした利用…等々、従来のパソコン=PCと比べると異なる点が多々あります。しかし、これはAppleが従来のパソコンを否定し、私たちにより新しいコンピューティングの形を提供してくれているから。言い換えれば、Appleにとっては、iPadこそが新しい形のパソコンなのです。そして、iPadを愛用しているApple贔屓の身からすれば、PCと比べても多くのシーンで毎日の活用に申し分なく、新たな価値を提供してくれることから、それが間違っているとは思いません。
Appleという会社はいつの時代でも理想のコンピュータ像を追い求め続けてきました。初代MacintoshはIBM PC群の否定でしたし、Macは誕生したときからWindows PCとは一線を画するものでした。そしてiPhoneやiPadは、自らのMacを否定する可能性もあった従来のコンピュータからの脱却です。その背景にある思想や哲学はいつでも同じ。人がコンピュータに合わせるのではなく、まるで体の一部のように誰もが使え、人の可能性を自然に高めてくれるもの。そのためには「コンピュータを感じさせない、見えなくすること」がAppleは大事だと考えるのです。
とはいえ、「パソコン化」
ですから、iPadを使うのなら、そうしたAppleの思想や哲学を知り、新しいパソコンとして向き合うのが正しい姿勢だと思います。「iPadはどこまでパソコンに近づいたか」「iPadをパソコンのように使う技」といったネット記事を見て、従来のパソコンのように使おうとするのは本質的には実にもったいないことなのです。
とはいえ、実際にiPadを手にすると、その新しさに慣れず、従来のパソコンの延長線上から物事を考えて使わざるを得ないという現実が多くの人にあるのも確かです。また、利用用途やシチュエーションによっては、従来のパソコンのように使ったほうが効率的だったり、生産性がアップすることもあり得ます。それがいくら新しい形のパソコンで画期的だからといって、使いこなせなければ意味がありません。
そこで、次回から本格的にスタートするこの「iPadパソコン化講座」のスタンスは、従来のパソコンのようにiPadが使えるかを検証しつつも、それだけに始終せず、時にはiPadが提示する新しい使い方も解説していくことにしています。新旧の違いをしっかりと理解することで個人個人で何が自分にふさわしいかを考え、毎日の生活で実践いただく参考材料になればと思っています。そういった意味では、「iPadを新たなパソコンにする」という意味での「iPadパソコン化」も楽しんでいただけたらと思います。