マサチューセッツ工科大学(MIT)の研究チームは、チップ上に搭載できる分子クロックを開発したと発表した。特定周波数の電磁波の照射によって生じる分子の回転運動を利用して、チップに正確な時計機能をもたせることができる。将来的には、スマートフォンなどのナビゲーション機能の精度向上に応用できる可能性がある。研究論文は「Nature Electronics」に掲載された。

  • MIT 回路基板上に実装されたクロックトランスミッタチップ

    回路基板上に実装されたクロックトランスミッタチップ(ピンク色)。OSC気体を封入した金属製の気体セル(画像右側)が接続されており、チップで生成された周波数約231GHzの信号によって気体分子が励起され安定した回転運動を行う。これを正確な時計として利用する (出所:MIT)

現在の技術で最も正確な時計である「原子時計」は、特定周波数での原子の共鳴を利用して1秒の長さを正確に測定するものである。原子時計はGPS衛星にも搭載されており、三辺測量による測位に必要な時間信号を発信している。

原子時計はサイズが大型であり、高価であるため、スマートフォンなど小型デバイスに搭載することはできない。小型デバイスに搭載される内部クロックは原子時計と比べると不正確であり、3つのGPS衛星からの信号に基づくナビゲーションにも依然として誤差が生じる可能性がある。利用できる衛星の数を増やすことで誤差の補正が可能だが、ナビゲーションの速さは落ちてしまう。GPS衛星の信号が弱まったり利用できないエリア(信号を反射する建物内やトンネルの中など)では、スマートフォンの内部クロックと加速度計によって現在地の推定とナビゲーションが行われることになる。

  • MIT クロックトランスミッタ

    茶色の四角形部分がクロックトランスミッタ。左上に伸びているのが金属製の気体セル (出所:MIT)

研究チームは今回、原子時計ではなく、分子を利用したチップ上への搭載が可能な内部クロックを開発した。高い周波数の電磁波を当てることで生じる分子の回転運動が利用されている。分子回転には正確な時計機能をもたせるのに十分な一定性がある。

実験によると、分子クロックは、1時間に1ミリ秒のずれが生じる程度の正確さである。これは小型の原子時計並みの正確さであり、スマートフォンに搭載されている水晶振動子による内部クロックと比べると1万倍以上安定しているという。

実験には、気体の硫化カルボニル(OCS)を封入したセルを用いた。高い周波数の電磁波がセルに当たるとOCS分子の回転が始まるので、レシーバで測定した分子の回転エネルギーにもとづいて、クロック信号の出力周波数を合わせる。周波数231.060983GHz(ギガヘルツ)近くなるとエネルギー吸収が最大化して分子回転がピークに達し、シャープな信号応答が形成される。これによって正確な1秒の長さを決めることができる。

民生用デバイスで使われている電子部品で通常作り出せるのは数GHz程度の周波数でしかないため、分子回転を起こすのに必要な約231GHzの周波数を作り出すためのチップ設計が困難な課題であったとしている。特殊な金属構造などを開発し、低周波の入力信号を高周波の電磁波に成形できるようにした。消費電力をできるかぎり抑えるように設計されており、チップ動作時の消費電力は66mWとなっている。これはGPS、Wi-Fi、LED点灯など通常のスマートフォンの機能を使用したときの消費電力が数百mWであることと比べても低い。

分子クロックの動作は完全に電子的なものであり、原子時計のように絶縁や原子励起に必要な大型で消費電力の高いコンポーネントは必要としない。このため他のスマートフォン部品の製造にも利用されている低コストなCMOS型集積回路の作製技術を使うことができるというメリットがある。

研究チームのMIT電気工学・コンピュータサイエンス部門准教授Ruonan Han氏は「将来的には高価な原子時計を使わなくても、少量の気体を封入したセルをスマートフォンで使われているチップの隅に載せるだけで、原子時計並みの正確なクロック機能をもたせることができるようになるだろう」とコメントしている。同技術を水中や戦場などGPS信号が利用できない環境での測位に応用できる可能性もあるとしている。

今回作製されたプロトタイプのデバイスを実用化するには、まだいくつかの調整が必要であるという。研究チームでは、クロックのさらなる小型化、平均消費電力を数mWまで下げること、エラー率を1~2桁削減することなどを計画している。