一般社団法人のWebDINO Japanは、創立15週年を迎え(Mozilla Japan時代を含む)、その記念として、多くの関係者を集めた記念パーティが開催された。その模様をレポートしたい。

まず会場であるが、東京都渋谷区恵比寿のact*square (アクト スクエア)にて開催された。会場では、360度のスクリーンが設置され、それに合わせた演出も行われた。

  • 図1 会場の様子

最初に登壇したのは、代表の瀧田佐登子氏である。

  • 図2 瀧田佐登子氏

まずは、創立期の2003年を振り返りながら、WebDINO Japanの理事などが紹介された。理事の米マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボ所長・伊藤穰一氏は、ビデオメッセージを寄せた。

  • 図3 伊藤穰一氏

最近、インターネットを取り巻く環境で、倫理的に好ましくないことが多い。インターネットがもともと持っていた分散型やオープンであることも希薄になってきている。WebDINOのメンバーは、そのあたりの意識が高いので、今後も、ソフトウェアだけでなくテクノロジーの分野においても、そのけん引役としてがんばってほしいと述べた。そして、現在の理事・監事らが登壇した。

  • 図4 登壇した現在の理事や監事

簡単に紹介しよう。左から、理事の慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授・砂原秀樹氏、代表の瀧田佐登子氏、理事の国立情報学研究所学術基盤推進部学術基盤課学術認証推進室特任教授の中村素典氏、監事の有限会社テクニカルアーツ管理部部長の鈴木信行氏、理事のサイオステクノロジー株式会社代表取締役社長の喜多伸夫氏である。

喜多伸夫氏からは、当時のMozilla Japanの立ち上げの経緯が紹介された。歴史的には、Netscape社内のMozilla.orgを管轄する部門がAOLから切り離され、それが基で米国Mozilla Foundationが設立されることになったのをきっかけに、日本でもMozilla Foundationのアフィリエイト組織を作る活動が始まった。その流れを受け、Mozilla Japanの設立へと至る。コミュニティのもじら組とFirefoxやThunderbirdの普及で尽力したことを、2003年、2004年当時の思い出として語っていた。

また、初代代表理事の相磯秀夫氏についても思い出が語られた。

  • 図5 初代代表理事の相磯秀夫氏の就任のエピソードを紹介

さらに、2006年の最初のオフィスとなった麹町での一コマなども語られた。

  • 図6 麹町オフィスでのエピソード

設立当時は、資金的にも厳しい状況があり、苦労談なども語られていた。また、2007年に開催されたイベントのMozilla 24には、当時のTシャツを着た砂原秀樹氏が、エピソードを語っていた。

  • 図7 2007年のMozilla 24

国際会議を開きたい、しかし、旅費も手間もかかる。ならば、インターネットを使えばいいのではという提案をしたのが、砂原氏であった。瀧田氏は、24時間、一度もネットワークが落ちなかった点、その実証実験でもあったことを思い出として披露した。と同時に、図1にもあるように、パーティのために関係者より、思い出の写真が集めれた。折々に、それらの写真がスクリーンに表示され、印象的な演出に感動を覚えた。

  • 図8 公開された思い出の写真

乾杯の音頭は、アドバイザーに就任した慶應義塾大学環境情報学部教授/大学院政策・メディア研究科委員長の村井純氏によって行われた。

  • 図9 村井純氏

Webブラウザベースの新OSを作ろう!と発言し、会場をおおいに盛り上げていた。そんな中、歓談へと進んだ。パーティも半ばを過ぎた頃、代表の瀧田氏と、WebDINO Japanの浅井智也氏が司会となり、トークセッションが行われた。

  • 図10 トークセッション:佐登子の部屋

まずは、これまで15年にわたるWebとの関わりや思い入れなどを振り返った後、参加者に登壇してもらい、自由な雰囲気でセッションが行われた。株式会社神戸デジタル・ラボ取締役の村岡正和氏と東京大学大学院情報学環准教授の筧康明氏である。

  • 図11 村岡正和氏と筧康明氏

それぞれの立場で、今後、どういったテクノロジが必要となるのか、Webの未来像など、少し大胆気味にセッションが進められた。次いで、村井純氏は、Webベースの遠隔在宅医療システムについて紹介した。

  • 図12 村井純氏と湘南慶育病院院長の松本純夫氏

この開発には、WebDINO Japanも重要な役割を担っている。また、KDDI株式会社技術開発戦略部の高木悟氏は、若いエンジニアの育成について、意見を交わしていた。

  • 図13 高木悟氏

瀧田氏は、今後のWebDINO Japanの重要な使命は、人と人を繋ぐハブとなると宣言していた。360度スクリーンでは、思い出の写真や参加者の顔写真(当日、撮影)が動きをもって表示された。想い出写真ビューアー(現時点では仮称)というシステムである。最後にWebDINOと一緒にそのシステムを開発したアベヒロキ氏と株式会社ツクロアの秋葉秀樹氏が紹介された。

  • 図14 アベヒロキ氏(左端)と秋葉秀樹氏(左から2人目)

今後、オープンソースで公開される予定とのことである。楽しい時間は、進みが速いというが、あっという間の2時間であった。最後の挨拶で、瀧田氏は「20周年もまた一緒に!」と語っていた。5年後、Webやインターネットがどうなっているのか、浅学な著者には予想もつかない。しかし、WebDINO Japanが真ん中で、きっとおもしろいことをやっていると信じたい。