「機械が人間の仕事を奪う」――AR、IoT、AIなどのキーワードに代表されるようなデジタル技術の進歩に対し、こうした懸念が持たれている。膨大な量のデータを扱い、長時間にわたり稼働し続けることのできる機械と比較して、人間は単に脆弱であるというだけなのだろうか。

DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー・フォーラム「テクノロジーは戦略をどう変えるか」(4月5日開催)の基調講演に、経済学者のマイケル・E・ポーター(Michael E. Porter)氏、そしてPTCのCEOであるジェームズ・E・ヘプルマン(James E. Heppelmann)氏が登壇。「フィジカルとデジタルの融合」をテーマにした講演の中で、ポーター氏が前述の懸念についての見解を示した。

  • 経済学者のマイケル・E・ポーター(Michael E. Porter)氏

    経済学者のマイケル・E・ポーター(Michael E. Porter)氏

  • PTCのジェームズ・E・ヘプルマン(James E. Heppelmann) CEO

    PTCのジェームズ・E・ヘプルマン(James E. Heppelmann) CEO

マイケル・E・ポーター(Michael E. Porter)氏とジェームズ・E・ヘプルマンCEOは、ハーバード・ビジネス・レビュー誌に、IoT産業に関する共同論文を2014年から継続的に寄稿している。今回の講演は、ポーター氏が主導するかたちで進行し、実例についてのプレゼンテーションでへプルマンCEOにバトンタッチする形式で行われた。

デジタル革命は人の仕事を奪う?

ポーター氏は冒頭、昨今急速に進む技術的進化、デジタルトランスフォーメーションに対する、「デジタル化が人の仕事を奪うのではないか」という懸念に言及。同氏はこうした考え方について、「あまりに短絡的」と否定した上で、これまで活用できていなかった、人間のユニークな強みを活かす機会であり、ARが数ある技術の中で重要な立ち位置を示すと明言した。

そして、こうした技術による社会変革は今に始まったことではないと、過去の例を解説。1800年代に起こった、機械製品による手作業の代替をゼロとして、1960年代、コンピューターの登場により、バリューチェーン(価値連鎖)における活動プロセスをITが自動化したことが第1の波であるとした。CADによる設計作業をデジタル化も、この時期から始まっている。第2の波は、インターネットの登場により、国をまたいだバリューチェーン全体で顧客・パートナーとの連携が実現したこと。そして、今この時代に起こっている変革が第3の波にあたる。

  • これまで技術革新によって起こってきた時代の変化をまとめた「デジタル変革」の定義

    これまで技術革新によって起こってきた時代の変化をまとめた「デジタル変革」の定義

この第3の波で、ビジネスの境界線が変化していると語るポーター氏。それを示す例として、農業を挙げた。かつて、トラクターを作る企業は製品単体の開発を行っていたが、今はIoTという言葉で示される通り、それ単体での稼働を軸としない利用実態がある。

トラクターの稼働状況のモニタリングにより保守・最適化のタイミングを定めたり、GPSでリアルタイムに位置を正確にトラッキングしたりすることが可能になり、それらの解析のために膨大なデータが蓄積されていく。単体ではなく種まき機や収穫するための機械などと接続することで、一平方メートルの収穫量などを測定可能となり、最適化が進められるようになる。

「データ活用により自動化が進む世界のなかで、人間は立ち位置が見つけられないでいる。どのようにデータを活かすか、という課題は機械によるデジタルな世界の中で起こっており、テクノロジーが人を支配しているように感じられているかもしれない」(ポーター氏)

機械による人間の失業、という冒頭の懸念につながる不安感について語る同氏だが、人間は自分で考えて判断する力があり、それはプログラミング通りに動く機械にはない強みだと強調。人と機械が連携している状況にもかかわらず、機械の提示する情報が人間に最適化されていないインタフェースとなっていることに対して問題提起した。

  • カーナビの情報をARを用いて進行方向に重ねて見せることで、情報と人との距離を近づけることができる。

    カーナビの情報をARを用いて進行方向に重ねて見せることで、情報と人との距離を近づけることができる。

その中でも、画面と現実の情報のリンクが行われていないことを指摘し、その一例としてカーナビゲーションシステムを挙げた。「情報を使うコンテキストと距離があり、(ユーザーが情報の)変換を迫られている」こと、つまりカーナビの情報と実際の路面状況を別々に見て、情報を脳内で統合しなくてはならないことが問題であり、ARによって実際の視界にルート情報を投影することで、この「距離」を克服できると語った。

ARの現在の活用例と今後の展望

ここで、PTCのジェームズ・E・ヘプルマンCEOが、農業の例で出されたトラクターの模型とホロレンズを使ったデモンストレーションを実施。クラウドからDLした情報をトラクターの上に重ね合わせる様子を見せた。

  • ヤンマーのトラクターの模型の上に、製品のカタログ情報をオーバーレイさせるデモ

    ヤンマーのトラクターの模型の上に、製品のカタログ情報をオーバーレイさせるデモ

  • 静脈をARで投影するAccuVein

    静脈をARで投影するAccuVein

  • AR活用の可能性は、バリューチェーン全体に存在している。

    AR活用の可能性は、バリューチェーン全体に存在している。

そして、ARが企業にもたらすものとして、製品の差別化による「競争優位性」、効率的にビジネスを遂行するための「バリューチェーンの合理性」というふたつのものがあるとして、具体例を提示。患者の静脈の位置をARによって可視化し、採血の成功率を3倍にしたソリューションを提供しているAccuVein、実際の自動車とARを併用しデザインレビューに活用したフォード、倉庫内で荷物をピックアップするルートをARで示すDHLなどが挙げられた。

そして、ARの導入・展開について、ARを実現するための手段ごとに難易度を示したグラフを提示した。要素のひとつであるARを体験するための「ハードウェア」は、普及したスマートフォン・タブレットが最も手軽だ。一方、より高度な体験を実現するには両手を塞がず現実とシームレスにつながるヘッドマウントディスプレイが必要となるが、導入のハードルはスマートフォンなどに比べて高い。これらの要素を、解決したい事象に適した組み合わせで用いることが重要だとした。

  • ARの導入・展開に関して、各要素における簡易な手法~高度な手法をプロットしたグラフ

    ARの導入・展開に関して、各要素における簡易な手法~高度な手法をプロットしたグラフ

最後にポーター氏がふたたび登壇し、「AR活用で直面する新たな5つの問い」を提示。ARを用いるにあたって、企業にもたらす「機会」、製品の「差別化」、「コスト効果」、「社内かアウトソーシングか」、「コミュニケーション」の変化重要性を理解し、いち早く着手することで、各分野のイノベーターになれるのだと聴衆を鼓舞し、人間の創造性などの能力は機械にはないものと再び言及した。そして、機械の進化のみならず、人間の進化と双方の融合についても考える必要があり、相互の橋渡し役としてARは大きな可能性を持っていると強調し、締めくくりの言葉とした。

  • 「AR活用で直面する新たな5つの問い」

    「AR活用で直面する新たな5つの問い」