短時間で生命の危機にさらされる酸素欠乏症

想像して下さい。窓もドアもない部屋の中に、突然あなたが閉じ込められたとします。壁には穴ひとつ開いておらず、外からのすきま風は一切吹いてきません。この部屋の中で、あなたどのくらいの間、安全でいられるでしょうか?

密閉された部屋の中で憂慮すべき、緊急かつ最大の危険は、酸素欠乏症に陥る危険です。人間は周囲の酸素が薄くなると、意外なほど早く、頭痛やめまいを感じ始めます。そのため、外から酸素がまったく供給されない部屋の中では、短時間で生命の危険に晒されるのです。

それでは問題です。昔話に登場する「かぐや姫」は、いったいどれだけの時間を、竹筒の中で生き延びていたのでしょうか?

「かぐや姫」が竹筒の中で生きられる時間は10分未満

熊本県立大学の井上昭夫 教授と、山梨大学の島弘幸 准教授(この記事の筆者)は、竹筒の形状[1,2]と人体のエネルギー代謝に関する科学的データ[3]をもとに、かぐや姫が竹筒の中で安全に過ごせた生存可能時間を算出してみました。かぐや姫の生理機能を現実の人間の生理機能と同等だと仮定したうえで、竹筒内部の酸素が消費されるスピードを計算した結果、かぐや姫が竹の中で生き延びられる時間はわずか「10分未満」だとわかりました。

この結論が正しいとすれば、かぐや姫は非常に幸運な主人公だったと言えます。なぜなら、かぐや姫を竹筒の中から救い出したお爺さんは、たまたまその竹の近くを偶然通りがかったにすぎないからです。もしお爺さんが、その時とは少しだけ違う道を通っていたら。もしその竹の近くを通り過ぎた時刻が、ほんの少しでも遅かったら。そうしたらかぐや姫は物語に登場する前に、この世を去っていたかもしれません。実は竹の中のかぐや姫は、生死を分かつ緊急事態にいたのです。

酸欠はどうやって起こるのか?

こうした酸欠に陥る危険は、換気の悪い建物や外気と遮断された空間など、現実の世界でも起こり得る事態です。密閉空間に閉じ込められた時の危険の度合いは、その空間にある酸素の量と、1人の人間が消費する酸素の量からおおよそ割り出すことができます。

空気中にはおよそ21%の酸素が含まれています。そして、人間が吐き出す呼気の中に含まれる酸素濃度はおよそ16%です。したがって、密閉空間に閉じ込められた人が、その空間を占める空気の半分を呼吸し終えた時点で、空間内の空気中の酸素濃度は18.5%程度となるでしょう。この値は、酸素欠乏症が現れ始める酸素濃度とおよそ一致します。つまり閉じ込められた人間にとっては、空間内の酸素をすべて消費するよりもかなり以前に、生命の危険を迎えてしまうのです。

たとえば、体重50kgの人間が呼吸する空気の量は、呼吸一回あたりおよそ0.5リットルです。仮に1分間で20回呼吸するとすれば、1m3=1000リットルの空気の半分を呼吸するのに50分かかります。同様に、6畳の部屋の体積が約24m3だとすると、20時間を超えた時点で部屋の酸素濃度は危険な値に近づきます。(※ もちろん、部屋の換気状態や肺活量の違いによって、正確な時間は変わります)

ちなみに、酸素が生命の維持に極めて重要であることを初めて指摘したのは、18世紀の科学者です。1770年代、イギリスの自然哲学者であるジョゼフ・プリーストリー(Joseph Priestly)は、酸化第二水銀を太陽光で熱することで得られた気体が、何か特別な性質をもつことに気づきました[4]。この気体の中では、モノが普通よりも燃焼しやすく、かつ気体の中に閉じ込めたネズミがとても長生きしたのです。最後には自分でもその気体を吸い込んで、「大気中に含まれるどんな気体よりも良い」と記しています。これが酸素(O2)の発見された瞬間です。

酸素がない状態でも18分間生きられる「ハダカデバネズミ」

最後にひとつ。数ある哺乳類の中には、酸素が薄い状況でも長く耐えられる動物がいます。それは、土の中で生活するネズミの仲間「ハダカデバネズミ」です。この種のネズミは、酸素がまったくない環境で18分間も耐えられることが、近年の実験で明らかとなりました[5]。ハダカデバネズミは無酸素状態にさらされると、通常時のエネルギー源であるブドウ糖の代わりに果糖を使って、脳や心臓にエネルギーを供給していると考えられています。このように、通常の酸素呼吸とは別の仕組みでエネルギーを生み出す仕組みは、ヒトが心臓病などで無酸素状態になった際に起こる損傷を防ぐ治療につながる可能性があります。

酸素がない状況でも、しぶとく生き残れるハダカデバネズミ。ひょっとしたら、酸素の薄い竹筒の中でお爺さんを待っていたかぐや姫は、このネズミが人間(?)に変身した姿だったのかもしれません。

  • ハダカデバネズミ

    ハダカデバネズミ。酸素がまったくない環境で18分間も耐えられることが、近年の実験でわかってきました

原著論文

"Survival time of Princess Kaguya in an air-tight bamboo chamber"
by Akio Inoue & Hiroyuki Shima
FORMA, Vol.33 (2018) pp.1-5.
(プレプリント原稿)
論文概要(Abstractの和訳): かぐや姫は、日本人なら誰もが知っている、昔話「竹取物語」のヒロインである。彼女は円筒形の竹筒の中で、お爺さん(竹取の翁)が偶然そこを通りかかるのを待っていたとされている。ところで彼女は、外から酸素が供給されない密閉された竹筒の空間内で、どれくらいの期間生き延びることができたのだろうか? 本論文では、彼女の生存時間が、3つの幾何学的な量 (竹筒内の容積・彼女の体の体積・体内の酸素消費速度)で決定されることを示す。さらに本論文では、この幾何学的問題が、生物学的量の間に成立する興味深いスケーリング関係と深いつながりがあることを解説する。

参考文献

[1] H. Shima et al., Phys. Rev. E 93, 022406 (2016).
[2] A. Inoue et al., Trees 31, 1271-1278 (2017).
[3] P. Davidovits, Physics in Biology and Medicine (Academic Press, 2012).
[4] J. Priestley, Phil. Trans. 65, 384-394 (1775).
[5] T.J. Park et al., Science 356, 307-311 (2017).

著者プロフィール

青木俊介
島弘幸
山梨大学 生命環境学部 環境科学科 准教授

1999年3月に北海道大学大学院工学研究科の修士課程を修了。
その後、日本学術振興会 特別研究員(DC1)、同大学 同研究科 助手、カタルーニャ工科大学 客員教員を経て、2012年4月より現職。
2014年5月からはサイバー大学 客員准教授を兼任。

専門分野は、物性理論・数理科学・学際物理学など多岐にわたる。
主な著書として "Functional Analysis for Physics and Engineering: An Introduction" (CRC Press, 2016)など。