日本最古のパソコン誕生の地からサポート拠点へ

続いて千葉県千葉市にある「東芝PC総合サポートセンター」へ移動した。東芝PC総合サポートセンターは東芝の100%子会社である、東芝プラットフォームソリューションと同じビルに同居している。ここはその名の通り、電話サポートや修理、パーツ管理から法人向けのキッティング(大量導入のためのカスタマイズ)、バンドルソフトの開発まで、実に幅広い事業を一手に引き受けている。

現在は外装工事中だったのでイメージで。社屋ビル全体でサポート業務にあたっている

東芝プラットフォームソリューションはもともと「ソード株式会社」といい、アップル(1976年)やマイクロソフト(1975年)よりも早い1970年に、コンピュータベンチャーとして創業。表計算ソフトのはしりといえる「PIPS」や、日本で初めて出荷されたオールインワンコンピュータである「M200」(1977年)、ホビー用パソコン「m5」(1982年)などを販売していた、伝統と歴史のある企業なのだ。1985年に東芝が買収したのだが、当時から電話サポート窓口を持っており、その流れで現在までサポートセンターがここに集約されているのだという。

ロビーに展示されていた、日本初のオールインワンデスクトップコンピュータ「M200」。4MHzのZ80と64KBのメモリを搭載し、12インチのグリーンモニターを搭載

こちらはROMカートリッジ式でソフトを切り替えて遊べた「m5」。家庭用ゲームっぽいが、キーボードを内蔵しており、BASICによるプログラミングもできる。ちなみに当時タカラ(現タカラトミー)からゲームパッドを付属したOEM版の「ゲームパソコン」「ゲームパソコンM5」(こちらは大文字)としても発売された

こちらは前面にジョイスティック用ポートが開いているので「m5 Jr.」だろう。左側にはカセットテープのゲームも並ぶ。2万9,800円でm5のソフトが動くという低価格モデル。m5は直後に出たMSXに駆逐されてしまったが、「安価なパソコンを一人でも多くの人に」という理念のコンピュータだった

ここでは、PC修理の様子、「東芝PCあんしんサポート」の電話サポートの現場、そして法人向けのLCM/キッティングセンターを見学できた。これらはすべて同じ建物の中で行われている。

まずPC修理では、ユーザーから到着した本体を検証ソフトにかけ、必要に応じて流れ作業で修理、検証、梱包、発送と処理されていく。以前はハードウェアごとにUSBメモリなどで起動していたそうだが、現在はネットワーク越しにサーバーからブートイメージをダウンロードして処理できるようになっているという。パーツ類も同じ建物内に保管されており、パーツ管理も含めて効率よい修理環境が整えられている。

いわゆるダイアグソフトで内部を点検し、ハードウェアの故障を確認していく

同じフロアでは有料サービスの「東芝PCあんしん点検」の点検スペースもあった。これはPCの分解・清掃やハードウェア診断、OSのアップグレード、ウイルス/セキュリティ対策の設定やインストール、駆除などを代理で行ってくれる有償サービスで、分解・清掃・診断については東芝PC工房でも申し込める。

東芝PC総合サポートセンターとしても力をいれているサービスということで、徐々にユーザーの利用も高まっているという。特にウイルス対策などは、ソフトだけ買ってきても「何をしたらいいかわからない」という人が多いのだが、公式にこうした窓口があるのは好ましいことだろう。

廊下にはサポートで問題が解決したユーザーからの感謝の手紙が張り出されていた。やはりスタッフの励みになるようだ