ソフトバンクグループは21日、都内で「SoftBank World 2016」を開催。基調講演に立った孫正義社長は、英国の半導体開発メーカーARM(アーム)社を買収した狙いについて語った。
ARM買収のいきさつ
「2週間前にトルコの港町でARMの会長らに会い、ランチをしてきた。それはテロの直後で、クーデターの起こる直前だった。トルコの大統領の別荘もある、小さな街。ARM社の買収について、初めてプロポーズさせていただいた」――。こんな刺激的な切り出し方で、孫社長のプレゼンは始まった。
日本経済史でも最大規模の買収が発表されてから、まだ日が浅い。来場者の興味・関心は「なぜARMを買収したのか」にあり、また孫社長もそのことを話したくてたまらない様子だった。「シンギュラリティについて1年間、私なりに考え続けた答えがARMだった」と同社長。シンギュラリティとは、人工知能が人類の知能を追い越す転換点のこと。技術的特異点とも訳される。
ここで話は、40年前にさかのぼる。孫社長は当時19歳で、カルフォルニア大学バークレー校の学生だった。たまたま読んだサイエンス雑誌の中に、摩訶不思議な写真を見つけたという。
「生まれて初めて見るものだった。未来都市の設計図のようにも見えた。その正体は、指先に乗っかるほど小さなマイクロコンピュータのチップの拡大写真だった。両手両足がジーンとしびれて感動した」
ついに人類は、自らの知性を超えるモノを作り出した。恐ろしくもあり、またワクワクもさせられる。一瞬の間に様々な考えが頭のなかを駆け巡って、涙が止まらなくなった――と当時を述懐する。「僕はその写真を切り取って、ケースに入れてリュックサックで持ち歩いた。下敷きにして時おり眺めたり、枕の下に敷いて抱いて寝たり。僕にとって、アイドルスターの写真と同じだった」という言葉からも、相当な熱意が伝わってくる。
この感動と興奮を40年間、脳の潜在意識に封印していたという。「ソフトバンクが、なぜ半導体? 多くの人はピンときていないかも知れないが、ボクはアイドルにやっと会えて、この手で抱きしめられる、という想いでいる。その興奮で冷めやらない」との熱い思いを語っていた。
なぜARMが必要なの?
孫社長は、「ARMの買収が、シンギュラリティにおける最も重要な布石になる」と語る。その理由について、以下のように説明した。人類の知能を追い越した人工知能は、”ディープラーニング”が行えるようになる。人工知能がディープラーニングするには、大量のデータが必要。そのビッグデータは、IoTデバイスにより集められる。したがって、IoTデバイスに搭載するチップを開発できるARMの買収が、シンギュラリティにおける最も重要な布石になるということだ。
孫社長は「今後20年で、ARMは約1兆個のチップをこの地球上ばら撒くだろう」と話す。ソフトバンクでは地球上の森羅万象のデータを集めることで、自然災害の予知や、病の治療などに活かしていきたい考えだ。具体的には、スマートロボットという形に落とし込むことで、人類のコンパニオンとして人々の生活を豊かにしていくイメージを抱いている。
孫社長はARMの紹介にもプレゼンの時間を割いた。同社はチップセットの設計を行う英国の企業。スマートフォンで95%、タブレット端末で85%、ウェアラブル端末で90%、車載情報機器で95%というように、各分野で高いマーケットシェアを誇っている。ARMのチップは、特に低消費電力とセキュリティに優れているという。
つい先日、ARMの創業者と電話をしたという孫社長。創業当時のことを聞くと「資金がなかったのでエンジニア2人で始めた。試作機は電力回路の設計が間違っており、ピンが電気に繋がっていなかった。しかし動いた。不思議に思ってよく調べてみたら、僅かに漏れていた電力で動いていた」というエピソードを紹介。ARMのチップは最初の1個目から大変な省電力を実現していた、と話して会場の笑いを誘った。
ARMがソフトバンクの中核になる
ARMが英国から離れるのが寂しい、とつぶやいた彼に対して「寂しがらないで欲しい。あんたの志は、俺ががっしり受け止めるから」と話したという孫社長。7月18日にはARMケンブリッジ本社で居並ぶ幹部たちを前に挨拶した。なぜARMに恋い焦がれてきたのか、どうやってプロポーズしたかを熱く語ると、一緒にやろうと歓迎ムードになったとのこと。「人生で最良の日だった」と穏やかな笑顔を見せた。
ARMは今後、ソフトバンクの中核を担う会社になる見込み。これにより、ソフトバンクの主要事業も変化するという。孫社長は「ソフトバンクは10年に1度、出世魚のように本業が変わってきた。PCソフトの卸問屋が、インターネットのYahoo! JAPANを始め、携帯電話の通信会社になった。何屋さんだと言われたら、情報革命屋さんと答える。情報革命で人々を幸せにすることが、私が生まれた使命だと思っている。このために命を捧げ、情熱を捧げ、生涯を捧げる」と、最後まで熱く語っていた。