創造性の主体は誰にある?

今回、「きまぐれ人工知能プロジェクト」から2点、「人狼知能プロジェクト」から2点、合計4点のAIを使った作品が星新一賞に応募された。このうち、きまぐれ人工知能プロジェクトの2点は前述した佐藤教授のチームが開発したシステムを使って生成されたテキストで、そして人狼知能プロジェクトのほうは、1万回のゲームを行い、その中から展開が面白い(逆転などの要素がある)ログを人間が選び、鳥海准教授が実際のテキストを執筆して、それぞれ応募されている。

つまり、きまぐれ人工知能プロジェクトの作品は小説のストーリー構造を人間が手がけ、テキスト生成をコンピュータが担当しており、人狼知能プロジェクトの作品はストーリーをコンピュータが生成し、人間がテキスト化した、ということになる。「このような小説にしよう」という大元は人間が考え出して、その筋書きを作るか、筋書きに沿ったテキストを作るのがコンピュータ、という役割分担だ。

はたしてこれを「人工知能が小説を書いた」と言えるのか、と疑問に思う人も多いだろう。確かに、純粋にコンピュータが自身の創造性をもって小説を書き始めたわけではなく、「そのようになるシステムに命令を出しただけ」と見ることもできるだろう。特に佐藤教授のチームが開発したテキスト生成システムは、自由度の高い書類のテンプレートだ、と意地の悪い見方ができなくもない。

ただし、人工知能は決して魔法の箱ではなく、設計されたとおりに動くツールでなくてはならない。猿がタイプライターのキーを叩いてシェイクスピアの戯曲を書くような偶然に頼るのではなく、100回同じ操作をしたら100回同じ結果が出るシステムでなくてはならない。つまり人工知能「が」書いたのではなく、創造性の主体が人間であっても、人工知能「を」使って書いたと解釈すれば、どちらの手法も立派に人工知能の産物だと言えるだろう(もっとも人狼知能プロジェクトに関しては、表現等が書いた人間の能力に大きく左右されすぎだが)。

きまぐれ人工知能プロジェクトでは、4つあるチームがそれぞれ個別に研究を進めているが、まだ横のつながりが希薄であり、結果として人力での作業が占める割合が大きくなっていると感じられた。たとえばAIを使って作ったシナリオが面白いかどうかを判定し、大まかなストーリーの構造を作り出し、その構造に合わせたテキストを出力し、最終的な出力結果が面白いかどうかを自分自身で判断できる、そのようなシステムが完成したとすれば、その時こそが100%人工知能による小説の完成だと言えるだろう。非常に難しい目標のように思えるが、人工知能をめぐる開発が急ピッチで進んでいる状況を考えると、思ったよりも早い時期に実現するかもしれない。

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