ベンチャーウイスキーは2004年9月に創業。ウイスキー製造免許の取得を経て、2008年に秩父蒸溜所の稼働を開始した。日本で唯一のウイスキー専業メーカー。国内で単独の蒸溜所が立ち上がったのも、1973年のサントリー・白州蒸溜所以来のことだったという。

「ウイスキーは、熟成に時間がかかる。つまり先輩がつくったものをいま売るというビジネスなのです。自分もいまウイスキーをつくり、未来の財産として残したい」。肥土さんの熱意が、ウイスキーづくり再開につながった。本場スコットランドのポットスチルを導入し、樽にもこだわる。

本場、スコットランドに発注したポットスチル

さまざまな樽で熟成される

ウイスキーづくりに適した秩父

秩父を選んだのは、「やはり先祖代々酒造りを続けてきた地で、水がよく、酒造りに適した環境だということはわかっていました。もちろん地元ということで協力してくれる人も多かったんです。必然的に秩父で蒸溜所を立ち上げることになりました」。大資本なら日本中探してウイスキーづくりに最適な土地を見つけてくるが、お金もないマイナスからの出発ではそうもいかなかったと肥土さんはいう。しかしこの秩父がウイスキーづくりに向いていたことは、その後の評価が証明することになる。

「イチローズモルト」は、日本はもちろん海外からも強い引き合いがあった。在庫が希少だった当初は3年ほどの短い熟成で出さなければならなかったが、「3年とは思えないほどの熟成感がある」と評判を呼んだ。結果的に、夏は35度を超え、真冬には氷点下10度を下回る、寒暖差が激しい秩父のこの地がウイスキーの熟成に適していたわけだ。

地ウイスキーブームは、今後やってくるのだろうか。肥土さんは言う。

「2000年代に入り、焼酎ブームが起きました。当時のブームは、どちらかというと高級な、プレミアムブランドの焼酎が人気を呼んでいたんです。一方、ウイスキーの市場は右肩下がりで縮小していましたが、売れなくなっていたのは低価格帯の、いわゆるボリュームゾーンの商品。付加価値の高い高級ウイスキーはじわじわと伸びていましたし、実際にバーに行っても、スコッチやバーボンを若い方も女性も楽しそうに飲んでいる。いまも、サントリーさんやニッカさんのプレミアムなウイスキーは品薄状態だといいますよね。この流れは今後も続き、ウイスキーファンは増えていくと思っています」。

クラフトビールに次ぐ、いわばクラフトウイスキー。大手だけでなく、ベンチャーウイスキーのようなマイクロ・ディスティラリーも「これから、たぶん来る」と肥土さんは言う。