関西医科大学 公衆衛生学講座 再生医学難病治療センター神田靖士准教授

実験や研究の際、機具の使い勝手が悪いと研究員に余分な負担がかかり、結果、実験精度が下がってしまうこといったことがある。今回取り上げる「ピペット」とは、少量の液体を吸い取り、計量や移動をさせるために用いる科学実験機具のことである。実験や研究で頻繁に登場し、微妙な作業を要するのが特徴だ。 計測や医療機器の分野で多くの製品を提供している電子機器メーカーが「研究員を疲弊から解放する」をコンセプトに、電動式のマイクロピペットを発売してから1年余りが経った。昨年末以来、この電動マイクロピペットを導入し、実験の精度を高めている研究者がいる。再生医療を研究テーマとする関西医科大学公衆衛生学講座の神田准教授に、その使い勝手など導入事例について話を伺った。

実験器具の使い勝手が、実験の精度を左右する

神田准教授は、再生医療と分子細胞生物学を専門領域とする。例えばマウスのES細胞やiPS細胞を使って脳下垂体系の細胞へと分化させるなど、将来の臨床応用を視野に入れた研究だ。研究を進める上では、細胞培養を伴う実験が欠かせない。細胞からDNAやRNAを抽出して、PCR(Polymerase Chain Reaction=DNAの一部分だけを選択的に増幅させる)用のサンプルを調製し、試薬と組み合わせてその発現状況を解析するのだ。

「こうした実験では、少量の液体の体積を正確に計量して分注(試料となる液体を一定の容量ずつ吐出)するためにマイクロピペットを使います。例えば、細胞培養する場合は、細胞の懸濁液(細胞が均質に浮遊している液体)を100μLずつ96のプレートに分注するのです。ごく微量の液体を扱いながらも厳密な正確性を要求される作業であり、しかも、時間が経てば細胞がどんどん沈んでいくので作業を手早く進めなければなりません。96のプレートに分注することは、つまりマイクロピペットを96回指で押すことになるわけです」

神田准教授の指導による分注作業の様子

ピペットを一回押すだけなら、負荷などほとんどないといっていい。けれども、短時間に96回繰り返すとなると話は別だ。しかも細心の注意を払いながらとなると、さらに疲労度は増すだろう。研究スタッフは毎日何百回もピペットを操作するため、ときに腱鞘炎になることもある。

「ただ、急ぐからといって作業が雑になると実験の精度を保てなくなります。実験室での作業は、研究室に所属する学部生や大学院生に任せていて、彼らにはきちんと指導していますし、信頼もしています。とはいえ手先の器用さなどに個人差が出ることはやむを得ません。加えて、96回の分注を繰り返していれば、指も相当疲れてくるでしょう。研究室のスタッフは半分が女性なので、彼女たちにはかなり負担をかけているのではと気になっていました」

疲れてくると、指が震えることがある。そうなるとピペットの押し方に微妙な狂いが生じるおそれがある。一生懸命に作業しているのにもかかわらず、疲れのせいで精度にバラツキが出ては元も子もない。こうした状況を何とか改善したいと神田准教授は考えていた。

10年を経て、電動ピペットに2度目のチャレンジ

分注量の正確性を担保する手段としては、誰が使っても同じ容量を確実に分注できる電動式ピペットがある。実は神田准教授、初めて電動式ピペットが発表された10年ほど前に、いち早く導入してその使い勝手を確かめていた。

「これが全然ダメでした。一つ10万円ほどもする機械を2つ購入しましたが、今では実験室の片隅で眠っています」

電動式ピペットを使えば、確かに精度は高まる。けれども、使い勝手が悪すぎたのだ。

初めて電動式ピペットが発表された当時について語る神田准教授

「まずデカくて重い。だから非常に扱いづらい。しかも設定が面倒など、操作性が悪いのです。おまけにバッテリーが持たないから、すぐに電池切れになる。その上高い。これでは使いものにならないというのが、正直な感想でした。当時の印象が悪すぎたために、新たに電動マイクロピペットが発売されたことを聞いても、ほとんど興味は湧かなかったのです」

ところが、10年の歳月は、驚くほどの技術革新をもたらしていた。しかも、パーツの価格が下がったことによって、価格も以前の約3分の1にまで落ちていた。

「それぐらいの価格なら試してもいいかと思ったのが、今回の導入のキッカケです。手にとってみて、まずコンパクトさが気に入りました。設計では重心の位置に配慮したとのことでしたが、確かに手にとったときに重さを感じません。固体の試料と液体の混合作業も簡単にできるなど、さまざまな機能が盛り込まれています。その機能をいちいちマニュアルを見なくとも、直感的に使える。操作性がとても良いわけです。これだけメリットがありながら、価格は抑えられているので一挙に数台の導入を考えました」

女性でも楽に扱え、経験や器用さに関係なく、誰が使っても同じ精度を確保できる。これは明らかなメリットだ。ただし実際に導入するとなれば、精度に関するエビデンスが求められる。神田准教授は、電動マイクロピペットとこれまで使っていた手動のマイクロピペットの精度比較実験を行った。

電動ピペットを使った実験の様子

データが裏付けた精度の高さ

比較実験では電動マイクロピペットと手動のマイクロピペットを使用して、同じ条件のサンプルを2本ずつ作成し比較した。

「結果は、グラフを見れば一目瞭然です。電動マイクロピペットを使った方は、波形がきれいに等間隔に並んでいます(図1)。これに対して手動式のピペットでは、希釈倍率が上がると間隔が狭まる傾向が出ました(図2)。標準直線の結果を見ても、手動のピペットを使った場合の相関係数が0.98917だったの対して(図3)、電動マイクロピペットの場合は0.99436(図4)。電動マイクロピペットを使ったほうが、精度よく分注できていることがわかります」

図1.電動ピペットを使用した際の結果

図2.手動ピペットを使用した結果

図3.手動ピペットを使用した際の標準直線

図4.電動ピペットを使用した際の標準直線

精度に関しては、経年劣化も問題だ。手動のマイクロピペットでは、使っているうちに落としたり、Oリングが消耗したりすることにより精度低下のおそれがある。とはいえ、ただでさえ日々忙しく作業している中で、ピペットの精度をスタッフが定期的にチェックすることは現実問題として難しい。

「たまにメーカーの方が来られて、チェックしてもらうと狂っていた、なんてことがこれまでにはありました。その点、電動マイクロピペットなら、まず狂うこと自体がほとんどないでしょう。仮にズレが出たとしても、ユーザーCAL(校正)機能がついているので簡単に修正できます。しかも何回分注しても、まったく疲れない。その理由は吸引・排出ボタンを親指で操作するのではなく、人差し指で操作するからだと説明されました。ピペットといえば親指で押すものと思っていたスタッフには最初少し戸惑いもあったようですが、慣れてくると使い勝手の良さはみんなが高く評価しています」

日本のメーカーならではのきめ細かなサポートも評価のポイント

「何かわからないことがあれば、すぐに担当の方に直接相談できる。聞けばその場で回答してもらえるのがありがたい。そもそもマニュアルなどを一切読まなくても、普通に使えるのです。このユーザビリティの高さは、日本メーカーならではでしょう。電動ピペットとしては後発、だからこそ、痒いところに手が届く仕様になっていると感じます」

たかがピペット、されどピペットである。実験器具の使い勝手は、研究成果を左右しかねない。今回、神田准教授の研究室で使用されたのはエー・アンド・デイ社製の電動マイクロピペット MPAシリーズだ。同研究室で電動マイクロピペットに切り替えて半年余り、これまでのところ操作性は上々、実験も順調に進んでいる。

(取材協力:株式会社エー・アンド・デイ)