2011年7月、30年もの長きにわたって人類の宇宙への挑戦を切り拓いてきたスペースシャトルが引退した。翼を持った宇宙船という存在は、批判も多いものの、多くの人々にとって魅力的であることもまた確かだ。

現在米国では、「ドリーム・チェイサー」と名付けられた、小型のスペースシャトルのような宇宙船の開発が進められている。ドリーム・チェイサーはその名前-夢追人-のとおり、これまで50年にわたって、歴史の荒波に揉まれ続けてきた機体でもあった。

リフティング・ボディ

翼のある宇宙船の話をはじめる際、どの時代からはじめるべきかはとても難しい。そもそも、かつて多くの人々は、同じ空を飛ぶ乗り物同士なのだから、翼があるのは当然とさえ考えていた。また、飛行機の飛ぶ範囲をだんだん広げて行き、最終的に宇宙に到達させる、という筋書きは、飛行機やロケットの技術が未熟だったころには至極もっともに見えた。

その後、ナチス・ドイツでA-4(V-2)が開発されると、宇宙へ行くためには翼は必ずしも必要ではないことが常識となった。一方、宇宙からの帰還時に大気圏内を自由に飛行し、滑走路にピンポイントで着陸することを考えると、翼は依然として魅力的であった。

そして生まれたのが、ドイツから離陸し、大気圏上層部すれすれを飛び(軌道には乗らない)、米国本土を爆撃し、同盟国である日本が占領していた太平洋上の島に着陸するという爆撃機「ズィルバーフォーゲル」の構想であった。結局は実現することなくナチス・ドイツは敗戦を迎えるが、そのレポートは米国とソヴィエトがそれぞれ入手した。

その後、ソヴィエト・米国の両国で大陸間弾道ミサイルが開発されたこともあり、ズィルバーフォーゲルが再現されることはなかったものの、米国では少なからず影響を受けたような軍用の宇宙往還機「X-20ダイナソア」の開発計画が持ち上がる。これも後に中止されるが、それでもスペースシャトルの開発時には国防総省から設計に対して注文が付くなど、「翼を持った宇宙船」に強いこだわりを持ち続けている。

ナチス・ドイツで研究されていたズィルバーフォーゲル (C)NASA

米空軍で研究されていたX-20ダイナソア (C)NASA

こうした流れとは別に、米国では1950年代から「リフティング・ボディ」と呼ばれる宇宙船の研究が始まっていた。宇宙船は極超音速で大気圏に突っ込んでくるが、その際に巨大な主翼を熱からどうやって防護するかは難しい問題であった。そこで胴体そのものが揚力を生み出すような形にし、そこに機体を安定させるために小さい翼を持った形状が考えられた。NASAではまずエイムズ研究センターが研究にあたり、その成果を基にドライデン飛行研究センター(現アームストロング飛行研究センター)で1963年にM1-F1と呼ばれる実験機が造られ、飛行試験が実施された。その後もM2-F2、M2-F3が造られ、1972年まで試験が繰り返されている。

一方、NASAではもうひとつ、ラングリー研究センターでもリフティング・ボディの研究が進められていた。ラングリーではHL-10と呼ばれる実験機が造られ、こちらも1966年から飛行試験を繰り返した。ただ、写真を見比べれば分かるように、ドライデンとラングリーでは設計思想に明確な違いがあった。

ラングリー研究センターで開発されたHL-10 (C)NASA

左から、X-24A、M2-F3、HL-10 (C)NASA

また米空軍でもX-23と呼ばれる無人のリフティング・ボディの実験機が造られ、ロケットによって宇宙空間まで運ばれ、大気圏再突入と、大気圏内での飛行コースの変更を実証した。

これほどまで研究されたリフティング・ボディだったが、結局このときは実際の宇宙船の開発に結びつくことはなく、研究データの一部が、後のスペースシャトルの開発に活用されたのみであった。