のんびりと街を散歩しながら、ふと考えた。「街歩きをする際に、便利なスマホのアプリはないだろうか」。街が変われば、便利なアプリも変わることだろう。そんなわけで、このシリーズでは街と厳選アプリを絡めて紹介していく。今回は、1880年代の古地図を参照できる「東京古い地図」アプリを使いながら、皇居の外郭を散歩した様子をお伝えする。

江戸から明治にかけての遺構が散見される皇居の周辺。現代の地図と古い地図を見比べながら、散歩してみた

東京古い地図というアプリでは、縮尺5000分の1の「東京図測量原図」(1883年、明治16年)と、縮尺2万分の1の「関東平野迅速測図」(1880年、明治13年)が参照できる。現代の地図(Googleマップ)と古い地図がワンタップで切り替えられるので、この130年間に起こった変化を地図の上から確認することが可能だ。皇居周辺では、どのような変化が見られるだろうか。

東京古い地図は、東京図測量原図と、関東平野迅速測図、Googleマップが一度に参照できるアプリ

1880年代の日本と言われても、すぐにはピンとこない。ペリーの黒船来航が1853年で、1868年には元号が明治元年に変わる。1871年に廃藩置県が行われ、1877年には西南戦争が起こっている。1880年代は、明治維新により国のあり方が大きく変化していった、そんな時代だ。

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有楽町で電車を降りて、散策を始めた。はじめに向かったのは東京国際フォーラム。歴史を感じられるようなものを探してみたが、しかし何も見つからなかった。古地図を確認してみると、1880年代にはだだっ広い「陸軍練兵場」になっていたようだ。江戸時代以前の面影は、そのときに失われたのかも知れない。

東京国際フォーラムの様子。この周辺には、かつて土佐藩邸の上屋敷があったと聞いたことがある

現在の地図と古地図を見比べてみたところ。1880年代には陸軍練兵場になっていたようだ

東京国際フォーラムから少し歩いた所にある大きな交差点には「鍛冶橋跡」の案内板が立っていた。案内板によると、この近くに江戸城の外郭門「鍛冶橋御門」があったという。古地図で確認してみると、確かに鍛冶橋門と書かれている。