京都府立医科大学と科学技術振興機構(JST)は7月25日、は虫類であるヤモリを用い、ほ乳類や鳥類との比較により、脊椎動物の脳のサイズを決定する発生メカニズムの一端を明らかにしたと共同で発表した。

成果は、京都府立医大の野村真准教授らの研究チームによるもの。研究はJST課題達成型基礎研究の一環として行われたもので、詳細な内容は、7月25日付けで英科学誌「Nature Communications」のオンライン速報版に掲載された。

脳の大きさは動物の種類によって著しく異なり、一般に体のサイズの大きな動物ほど大きな脳を持つ。例えば、ヒトの脳の重量は平均して1.4Kgだが、シロナガスクジラの脳は7kgという具合だ。ところが、体重に対する脳の重量比を比較して見ると、ヒトの脳はクジラの脳よりもよりも相対的に大きい。

さまざまな動物間で比較すると、ほ乳類は体重に対して大きな脳を持つ。また鳥類も体重に対する脳の重量比が大きく、これらの動物における社会性の発達や高度な知性の獲得と非常に密接な関係があると考えられている。特にほ乳類の場合、大脳皮質と呼ばれる脳の領域が著しく拡大し、また異なる種類の神経細胞から構成される層構造を形成しているのが特徴だ。こうした大脳皮質の拡大と層形成メカニズムが、進化の過程でどのように獲得されたのかは謎に包まれていた。

ほ乳類は、は虫類、鳥類と共に「羊膜類」と呼ばれるグループに属し、約2億5000万年以上前には虫類の一群から進化したと考えられている(画像1)。発生中の胚が羊膜で保護されていることが羊膜類という名称の由来だ。羊膜によって胚は乾燥から免れ、進化の過程で陸上での発生が可能になったと考えられている。

現在のは虫類、特にトカゲ・ヤモリ類は体重に対して小さな脳を持っている。またほ乳類化石の研究から、ほ乳類の祖先の脳も現在のは虫類と同様に非常に小さかったことが推測されている。

従って、現在生存しているは虫類の脳の発生過程を調べることで、ほ乳類の進化の過程で起こった脳の拡大と複雑性の増加をもたらしたメカニズムが解明できると予測されていた。しかし、多くのは虫類は繁殖期間が限られており、胚の操作も極めて困難であることから、脳の発生過程の研究はほとんど行われていなかったのである。

画像1。脊椎動物の系統関係。ほ乳類、は虫類、鳥類は羊膜類と呼ばれる動物のグループに属しており、これらは進化の過程で両生類から分岐したと考えられている

そこで野村准教授らは、は虫類の中でも例外的に1年中繁殖が可能で、かつ多くの卵を産卵するマダガスカル産の地上性ヤモリの「ソメワケササクレヤモリ」に注目し、その大脳皮質の発生過程を詳細に解析することにした。ソメワケササクレヤモリの成体は約20cmの体長を持ち、メスは1回の交尾で2個の卵を1週間おきに数ヶ月間産み続けるという習性を持つ。

ヤモリの大脳皮質の発生過程における細胞分裂や細胞分化の割合を検討した結果、ヤモリの細胞は非常にゆっくりと分裂すること、また神経細胞の産生スピードもほ乳類や鳥類と比べて非常に遅いことが判明。さらに、胚発生が完了する期間(60日)と比較して、大脳皮質の形成が産卵後わずか2週間ほどで終了することも確認された(画像2)。従って、は虫類の脳は、単位時間あたりの神経細胞の産生率が非常に低く、これがは虫類の大脳皮質が相対的に小さいことの要因の1つであると考えられるという。

画像2。大脳皮質が形成される期間と細胞分裂の頻度をマウス、ヤモリ、トリで比較した結果、ヤモリでは大脳皮質の形成期間に対して細胞分裂の頻度が非常に低いことがわかった

野村准教授らは、さらにヤモリではなぜ神経細胞の産生率が低いのか、その分子メカニズムの調査を実施。すると、マウス(ほ乳類)、ニワトリ(鳥類)と比較して、ヤモリでは細胞の運命をコントロールする「ノッチシグナル」が強い(活性化レベルが高い)ことが明らかになったのである(画像3・4)。ノッチシグナルとは、細胞膜上のタンパク質によって活性化されるシグナルで、細胞の運命の決定に重要な役割を果たすものだ。

以前の研究により、ノッチシグナルが活性化されると神経細胞の産生率が低下することが知られてはいた。そこで研究チームはノッチシグナルを阻害する遺伝子を「電気穿孔法」によって、ヤモリの脳へ導入することで、人為的にヤモリの神経細胞の産生率を増加させることに成功したのである。電気穿孔法は組織や細胞に電気パルスを与えることで細胞の外から細胞内に遺伝子を導入する方法のことだ。発生中の胚組織に効率よく外来遺伝子を導入することができる。

ヤモリの脳ではノッチシグナルの活性化が高く、神経分化がゆっくり進行する。画像3(左):マウス、ヤモリ、ニワトリの大脳形成期における神経分化のスピードが比較された。その結果、ヤモリはほかの動物と比較して神経分化が非常にゆっくり進行することが判明。画像4:ノッチシグナルが活性化されている細胞をこれらの動物で比較すると、ヤモリではノッチシグナル活性化細胞の割合が非常に高いことが明らかとなった。ノッチシグナルは神経分化を抑制する働きがある

ほ乳類の大脳皮質は、異なる種類の神経細胞が積み重なった層構造を形成しているのが特徴だ。こうした異なる神経細胞は、脳の発生時期に応じて産生される。そこで野村准教授らは、ヤモリの大脳皮質にもほ乳類のような異なる神経細胞が存在するのかを検討。その結果、ヤモリの大脳皮質にもほ乳類の大脳皮質と同様な種類の遺伝子を発現する神経細胞が存在し、こうした神経細胞は脳の発生時期に依存して産生されることがわかった(画像5・6)。

ヤモリ大脳にもマウス大脳皮質と同様な神経細胞が存在する。画像5(左):ほ乳類(マウス)の大脳皮質。マウスの大脳皮質は層特異的な神経細胞(紫、緑)から構成されている。画像6:は虫類(ヤモリ)の大脳皮質。ヤモリにも、同様な神経細胞のタイプが存在することがわかった

今回の研究により、ほかの動物と比較して、ヤモリでは神経分化のスピードが非常に遅いことが明らかとなった形だ。この結果から、ほ乳類や鳥類の進化の過程で、神経細胞の分化スピードが亢進し、脳が大きくなったことが推測される。

またヤモリにもほ乳類と同様な種類の神経細胞が存在していた。最近の研究では、鳥類にも同様な神経細胞が存在することも明らかとなっている。従って、大脳皮質の層特異的な神経細胞は、ほ乳類、は虫類、鳥類を含む羊膜類の共通祖先ですでに形成されていた可能性があるという。これは、祖先型動物がどのような脳を持っていたのか、という謎に迫る画期的な発見だ(画像5)。

画像7。羊膜類の共通祖先で、大脳の層特異的な神経細胞が産み出された。さらに、ほ乳類と鳥類の進化の過程で神経細胞の産生が亢進して、これらの動物で脳が大きくなったと考えられるという

今回の研究成果によって、脳の巨大化をもたらした発生メカニズムの一端が明らかになった。この研究により、ほ乳類型の脳がどのようにして獲得されたのか、その進化原理の解明につながることが期待される。また、ほ乳類の中でも、霊長類、特にヒトは体重に対して非常に大きな脳を持つ。今回の研究は、ヒトの脳がどのように巨大化してきたのかという進化学的な問題や、脳の発生が不全となるさまざまな遺伝子疾患に関する理解を深め、その原因解明と治療を目指した研究につながることが期待されるとしている。