また、NFCではないワイヤレス技術という点も疑問の余地がある。NFCは別に必須のものではないが、SquareやPayPal Hereといった新しいPOS向けソリューションが登場したり、加速度センサーや位置情報を組み合わせてクラウド上で2つの端末をマッチングして擬似的にNFCと同様の機能をiOSに提供するBumpのようなサービスがあるのも、iPhoneをはじめとしてNFC搭載端末が少なく、同機能が利用できないことに起因している。もしNFCが多くの端末で使えるのであれば、別にBumpの仕組みでNFCを利用しない理由はない。

また現在、米国では2015年までにEMVと呼ばれるクレジットカードへのセキュリティチップ搭載が義務化され、金融機関やバックエンドのネットワーク、リテーラー各社が対応を急いでいる。店舗に設置されるターミナル端末も入れ替えが発生するため、「このタイミングでEMVとNFC両対応を進めよう」という気運が高まっている。その場合、一気にEMV対応POS端末やNFC対応が進むことになり、「磁気カードしか使えない」という米国の状況は大きく変化することになる。その意味では、あえてNFC以外の技術をAppleが積極採用する必要性は薄くなる。Bumpのようにワイヤレス技術(3GやWi-Fi)とiTunesアカウントをマッチングさせる方法も考えられるが、iOSデバイス同士の通信ならともかく、広く利用されるウォレットでApple独自の仕組みを導入するのはナンセンスだ。

Appleのウォレットサービスはどのようなものになるか

以上を踏まえたうえで、筆者なりにAppleのウォレットサービスについて予測してみる。まず筆者の意見として、NFC機能は少なくともマイナーチェンジ版といわれる次期「iPhone 5S」については搭載される可能性が低いとみている。現在iPhone 5が搭載しているBroadcom製のWi-Fi/Bluetooth/FMコンボチップ(BCM4334)はNFC非対応だが、BroadcomではNFCを含んだコンボチップも提供を行っており、移行自体は問題ないと思われる。問題はむしろ「アンテナ実装」と「セキュアエレメント実装」の部分にある。

iPhone 5Sでは筐体デザインが変更されないと思われるため、NFC用のアンテナは金属で被われた背面には配置できず、本体背面最上部または最下部のガラス部分に限定され、これではNFCのタッチ用途での使い勝手は大幅に悪くなる。実際、内部デザイン上の変更余地も少ないという話を聞いており、少なくとも次の世代でNFCを搭載する可能性は低いだろう。

セキュアエレメント(SE)については若干事情が複雑だ。SEは小さなプロセッサの一種で、内部でアプリが動作し、各種機密性の高いデータをハードウェア的に保護している。正攻法でデータを直接抜き出すことは非常に困難なため、十分に安全性が担保されていると考えていいだろう。一方で実装方式についてはSIMカード方式、組み込み方式(エンベデッド)、SDカード方式など複数存在し、どの方式を使うかでウォレットを含むセキュアなデータの制御権を誰が握るかが変化するため、NFC業界全体でもどの方式を採用するかで水面下の綱引きが続いている。

筆者があるキャリア関係者に聞いた話によれば、以前にAppleはSIM以外の方式を採用してペイメントサービスへの参入を計画していたものの、SIM方式を強行にプッシュする仏Orangeら欧州キャリアらの猛反対にあい、計画していたiPhone 4S前後の時期での採用を見送った経緯があるという。一方でSIM方式を採用することで、サービス提供にあたって携帯キャリア各社や世界のSIMカードシェアで6割以上を握るGemaltoといったベンダーの過剰介入を招く可能性があり、これを忌諱したのがNFC採用を見送った本音のようだ。実際、GoogleはGoogle WalletでのNFC採用にあたってエンベデッド方式を採用したことで、キャリア連合であるISISと激しく対立する結果となってしまった。

以上の経緯から、Appleはセキュアエレメント実装に関してかなりシビアになっていると考えられる。ゆえにAppleがペイメントサービスやウォレット機能をiOSに実装する場合においても、セキュアエレメントを採用してのNFC実装は可能性が低くなると筆者は予測している。AppleがセキュアエレメントなしでのNFC実装を模索している可能性については、複数の関係者から同種の話が出ており、かなり信憑性が高まっている。その場合、NFCのアンテナや通信機能を搭載してタグの読み取り(カードリーダモード)や端末同士のデータ交換(PtoPモード)は可能でも、セキュアエレメントはないため、端末を自動改札やPOSにタップしての買い物やゲート通過(カードエミュレーションモード)は利用できないとみられる。その場合、いかにSEなしでモバイルペイメントやウォレット機能を実現し、安全性を担保するのかという点が、Appleが準備しているといわれる「キラーアプリ」のキモとなる。

実現方式は不明だが、セキュアエレメントが本来担うデータ保持をiTunesなどのクラウド上に行い、PINコードと指紋認証などの2要素認証を組み合わせてセキュリティを高める方法が1つの案だ。これはGoogle Walletが似たような仕組みを実現している。ただしこのままでは通常のクレジットカードネットワークでは処理ができないため、何らかの工夫が必要になる。iTunesのクレジットアカウントを使っての買い物が可能になるという予測もあるが、これが実際にMasterCardやVisaといったクレジットカードと同様にどこでも買い物が可能なのかを考えると、比較的限定されたものになるだろう。いずれにせよApple 1社の力だけでなく、サードパーティらの広範囲での協力が必要になる。すでにPassbookで利用できるようなサービスは、セキュアエレメントを要求するようなセキュリティレベルをそのもそも必要としていないため、サービスへの対応はそれほど難しくないだろう。

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まとめると、ウォレット機能の改良は進むものの、そこで実装されるとみられるペイメントサービスは当初は地域的、あるいは機能的に非常に限定されたものになると考えられる。一方でハードウェア更新でNFC搭載の可能性は高まり、次々世代以降ではかなり可能性が上昇する。ただし実装については従来の方式とは異なり、当初はAppleのサービスや使い勝手を向上するものが中心となり、場合によってはウォレットサービスを一部拡充する形になるかもしれない。少なくとも、日本で利用しているおサイフケータイのようなサービスとは使い勝手が異なるものになるだろう。